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「道徳」の名のもとに行われる非道徳 〜中2道徳教材「蹴り続けたボール」への疑問〜
道徳教材談義をしているときに、ある院生が、「実習校で扱ったやつで、納得いかないのがあったんですけど…」と紹介してくれた。
中2道徳教科書(学研)に掲載の、「蹴り続けたボール」。
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サッカー、ワールドカップ日本代表としても長く活躍した長谷部誠選手が、プロになりたての頃を振り返って書いた文章だ。
教材文は、こんなあらすじ。
浦和レッズに加入したばかりの長谷部選手が、サテライトチーム(二軍)の遠征メンバーに選ばれた。「自分も期待されているのだと思い、無性にテンションが上が」る。母親に声をかけたところ、両親と姉妹がはるばる静岡から茨城まで見に来てくれることになった。
が、実際にはベンチスタート。後半も出番なし。「ピッチの外でぼう然と立ち尽くしながら試合終了のホイッスルを聞」くことになった。
情けなさと「耐え難い屈辱感」を味わう。「一人で浮かれていたことも悔しさを倍増させた」とも。
が、「こんな暗い気持ちのまま部屋にこもっていたら、おかしくなってしまいそうだった」ので、長谷部選手は、クラブハウスの練習場で、「壁に向かって思いっ切りボールを蹴」る。いわく、「悔しさと自分への怒りが入り混じって、般若のような顔つきになっていたと思う」。
長谷部選手はそれでもボールを蹴り続けた。そして…。
「二時間が過ぎ、体力も気力もなくなった頃、もやもやとした気持ちも吹き飛んでいた。
(監督が悪いんじゃない。)
当たり前のことに気がついた。」
院生が引っかかったのは、本文そのものではなく、これが、「アンガーマネジメント」とセットになっている点。
「蹴り続けたボール」の続きで、「怒りの温度計」というのが載っていて、怒りの「強さの度合い」と「あなたの態度」との関係を考えさせるコーナーになっている。
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院生は、長谷部選手の話からこれに持っていくのって、無理があるんじゃないか?と思ったらしい。
たしかにそれは引っかかる。
長谷部選手の文章の最後に載っている「考えよう」では、
① 長谷部選手が、(監督が悪いんじゃない。)と思えたのはなぜだろう。
② 長谷部選手はなぜ、当たり前のことに気が付かなかったのだろう。
の2つが尋ねられている。
アンガーマネジメントの話といまいちつながらない。
気になって、この教材文の出典元の、長谷部誠『心を整える。』を購入して読んでみた。
それで驚きの事実が判明した。
この文章には続きがある。「(監督が悪いんじゃない。)当たり前のことに気がついた。」の先がある。
それ以来、僕は悔しいことがあったときは、なるべく早く消化するように心がけるようになった。
とあり、具体的には、浦和レッズ時代には、
試合に負けたり、何か悩みごとがあるときは、ひとりで温泉に行くようにしていた。
ドイツ移籍後は、
1泊2日のひとり旅に出るようになった。
とのことなのだ。
そして最後は、こうまとめられている。
恨みを貯金しても仕方がない。ボールを蹴って身体を動かしてもいいし、何かリフレッシュして、次に向かってリスタートした方がはるかに建設的だ。
なるほど。
長谷部選手が書いたこの話は、怒りや恨みや悔しさでいっぱいになったときには、体を動かしたり温泉に入ったり旅に出たりして、スパッと切り替えよう、引きずらないようにしよう、というメッセージを持つものだったんだ。
が、道徳教科書におけるこの長谷部選手の文章の扱いは、そうなっていない。
教科書会社の指導書によると、この教材での発問および想定される子どもの反応は以下の通りだ。
発問① 家族まで招いて試合の出番を待ち、「みんなの前でいいプレーを見せるぞ。」と思っていた長谷部選手の気持ちはどんなだったでしょう。
・活躍しているところを見てもらいたい。
・監督はきっと重要な場面で自分を使ってくれる。
発問② 長谷部選手が、(監督が悪いんじゃない。)と思えたのはなぜでしょう。
・自分にはまだ力がないから、試合に出せなかったのではないかと気付いたから。
発問③ 「当たり前のことに気がついた。」とあるが、長谷部選手はどんなことに気がついたのですか。グループで話し合いましょう。
・自分中心の考えでは成長はない。
・ベンチにいても、学べることはある。
発問④ 長谷部選手はなぜ、当たり前のことに気が付かなかったのでしょう。
・悔しさにとらわれていたから。
・思い通りにならなかったことに腹を立てていたから。
ひたすら、気持ちを尋ねる内容。あるいは、気持ちを答えさせる内容(ちなみに「内容項目」は、「相互理解、寛容」だそうだ)。
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おかしくない??
元の文章は、悶々と悩んでこじらせるんじゃなく、パーっと体動かしたり温泉に浸かったりして切り替えよう!という話なんですよ。
それがなんで、
「自分にはまだ力がないから、試合に出せなかったのではないかと気付いたから」
とか
「自分中心の考えでは成長はない」
とか、頭でっかちな話になってるの??
「評価のポイント」も、
・教材を読み、長谷部誠選手の気持ちになって考え、物事に臨む姿勢について多面的・多角的に考えていたか。
・葛藤や苦悩を乗り越えて、前向きに生きることの大切さについて、自分自身との関わりの中で考えを深めていたか。
となっていて、体を動かして切り替え、という点はまるで無視だ。
そもそも本文自体、「それ以来、僕は悔しいことがあったときは、〜」以下の文章が削られたことによって、体動かして切り替えようよ、という趣旨もぼやけてしまっているしね(タイトルも、「恨み貯金はしない。」から「蹴り続けたボール」に改変)。
おそらく、この教科書教材作成の真相というかいきさつはこういうことなんじゃないかな。
長谷部選手の『心を整える。』の「恨み貯金はしない。」が、怒りのコントロールに関わる点で、道徳の教材にするのによさそう。
↓
「アンガーマネジメント」方面で、「怒りの温度計」をセットにしよう。
↓
ただ、一人温泉や一人旅は、中学生にはまだ早いだろうから、その部分は削ろう。
↓
ボールを蹴り続けるシーンは残ったけれど、授業の流れとしては、道徳の授業らしく、「(監督が悪いんじゃない。)当たり前のことに気がついた。」の部分に焦点を当て、長谷部選手の気持ちをたどらせることにしよう。
こうやって、元の文章の趣旨をまるで無視した、むしろ、「体動かして切り替えようよ」から「気持ちの持ち方が大事です」へと正反対の内容になった、謎教材ができあがってしまったのではないか。
指導書には、「授業を活性化させるコツ」というのもついていて、例えばこんなものだ。
・多角的に考えさせる補助発問を工夫する
「当たり前のことに気がついた」ことを考えた後、「なぜ、当たり前のことに気が付かなかったのか」について考えることにより、多様なものの見方や考え方の幅を広げることができる。
体動かして切り替えという要素を無視して、気持ちの持ち方に終始させておいて、今さら「多様なものの見方や考え方」と言われてもねえ…。
あるいは、
・導入を工夫して、興味をもって入り込ませる
導入で、著名なプロサッカー選手の想いに共感することで、自らの状況に重ね、核心に迫っていく。写真や試合のDVD、インタビューの映像などをうまく活用すると引き付けやすい導入になる。
とかも。元の文章をまるで無視した扱いにしておいて、「著名なプロサッカー選手の想いに共感することで」とか、よく言えたものだ。
取り上げた長谷部選手の文章自体は、面白い素材になりうるものだと私は思う。私だったら、一人温泉や一人旅の部分も含めて提示したうえで、
「みんなも、腹が立つことがあったあと、がむしゃらに体動かしているうちに、腹立ちがおさまったっていう経験、したことある?」
とか、
「中学生のみんなは一人温泉や一人旅はできないかもしれないけれど、自分はこうやって気持ちを切り替えているっていうのがある人いる?」
みたいなことを尋ねるかなあ。
こうした問いは、先入観なく元の長谷部選手の文章を読んだなら、自然に出てきそうなものだけれど。
「心」に焦点化するのではなく身心の連関の大事さを伝えるような文章を、その趣旨が分かりにくくなるよう改変し、もっぱら心の持ち方に終始させるような「発問」をつけて読ませる。
これが「道徳教育」の名のもとに行われるのであれば、それはなんと非道徳的なことだろう、と私は思う。
この記事公開後の後日譚をアップしました。この教材について私に教えてくれた院生がこの記事を読んで、のやりとりです。
別の道徳教材批判も紹介しておきます。これらは特殊な事例ではなく、道徳教科書に掲載された教材には、「なんじゃこりゃ」というのがいっぱいあります。