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ノートの勧め(その4)——未来について。

 今回は、「備忘録」(メモ)としてのノートではないというところに焦点を当ててみましょう。
「備忘録としてのノート」の典型的な例は、学校の先生のする、いわゆる板書を書き写すためのノートでしょう。早い話が、試験対策の一つですね。端的に言って、「創造的なノート」の対極にあるものです。
 ここで勧めているノートは記憶を補佐するためのものではありません。むしろ、何かを探すための補助手段と言うべきものでしょう。その探すべき何かは、すでにどこかにあった何かではなく、あなたがこれから生み出すもの、作り出すもの、それを引き出すためのもの、です。
 いや、無から有は生み出せないのだとすれば、忘れてしまったものを思い出すためのものと言い換えたほうがいいのかもしれない。しかも、個人の記憶ではなく、自分が生まれる前の遠い昔の記憶——場合によっては人類の太古の記憶に属するもの——を探るための時間旅行のようなもの。
 また話が抽象的になっているようです。
 ここで言う「ノート」は、いわゆる「日記」とも違う。日記は——さまざまなタイプの、個性的なものがあるでしょうが——基本的には、その日起こったことを書き留めておくためのものでしょう。そして、あとで読み返して、去年の今日はこんなことをやっていたんだとか、長期間にわたって日記をつけてきた人ならば、十年前を振り返って月日の経つのは早いものだと嘆息してみたり。いずれにせよ、そのとき書いていることよりも、記録された内容が大事ということになります。
 そう、日記は基本的には記録ですね。あとに残すもの、用が済めば捨てられてしまうメモとは違う。
 ヴァレリーやキニャールの話に戻すならば、彼らのつけていたノートは忘備録でも日記でもなかった。端的に言えば、思考を鍛錬するための道具、自分と対話し、書物と対話するための道具。
 弁証法という言葉があります。ソクラテスの対話法を起源とすると言われていますが、じつは考える作業は一人では成り立たない。必ず相手が必要になる。「他者」と言い換えてもいい。この「他者」はリアルな他人ではない。リアルな他人だと、対立すれば喧嘩に発展するか、賛同すればそこで手打ちとなって思考が停止してしまう。
「弁証法」とはじつは自己との無限の対話なのです。今思いついたこと、今考えたことをつねに疑い、疑った果てにこれだけは動かし難いという結論に至る。そう、これがデカルトが『省察』でやったこと。デカルトの懐疑と呼ばれています。
 近代科学の起点にあるものです。
 ここでイメージしているノートとはこういうものなのです。
 そんな面倒臭いもの、まっぴらごめんという人も多いでしょう。
 それが多数だと思います。社会は多数によって支えられている。多数によって守られている。そのほうが安心だ。でも、安全かどうかはわからない。
 創造的なものは、個から生まれるというのは普遍的な真理だと思います。個が永遠に自己との対話を続け、無限の疑問を繰り出しているとき、彼は多数に背を向けている。豊穣な孤独というべきでしょう。それは未来に向いている。
 未来は、赤信号みんなで渡れば怖くないというようなものではなく、一人の人間が孤独のなかで志向するものだと考えてみたらどうだろうか。多数がいっせいに足並みをそろえて未来を謳うとき、じつは未来を殺している、あるいは殺そうとしている。それが戦争だと考えてみたらどうか。そして、戦争は必ずしも、国と国との交戦状態をだけを指すわけではないとういうことも併せて考えてみるとどうなるか。
 英語では、孤独には solitude と loneliness の二つの状態があると考えているようです。前者は文字どおり孤独な状態ですが、充実して創造的なもの、後者は寂しくて不安で、昂じると鬱状態になる。
 一般論ではなく、わたし自身が一人暮らしをやっていて、ときに充実した時間を過ごし、ときには病的な孤独感が襲ってきて、不安のやり場に困ってしまうこともある。
 最近はやること(家事)が多くて、ノートに向かう時間はとれません。でも、朝の散歩、週に一度のドライブのときには必ずカメラを持っていきます。ファインダーから風景や花を覗き込んでいると孤独を忘れます。豊かな孤独というべきかどうかはわかりません。
 昨日は自宅のウッドデッキに防水防腐のペンキ塗りをやりました。こういうのもいいです。力がみなぎってきます。
 ノートから、また逸れてしまいました。
 週末に、向こうで新しく出た本の下読み依頼が入ってきました。
 以前、翻訳した作家のものです。
 ジャンルとしてはノンフィクション小説の部類に入る作品でしょう。
 冒頭を少し読んだ感触では、現代の「戦記物」を狙っているような印象です。
 これ以上は、詳しく書けません。
 なにしろ、作品の評価はこの最初の読み込みを土台にして検討が進められ、版権を取得するか見送るかが決まるのですから。
 なので、しばらくは今やっている『7』の終盤への気合いと、新しい作品を読み込むための集中力を同時に維持していかなければなりません。
 この note はしばらく(一ヶ月くらい?)お休みすることになりますが、どうかみなさん、お健やかに。

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