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十五歳の絶望。平岡公威くんの詩。

三島由紀夫は小説を書くに先だって詩人だった。新学社近代浪漫派文庫42巻『三島由紀夫』において『十五歳詩集』と題して少年詩人だったかれの詩の数々が冒頭の一章を形成しています。ただし執筆直後にこの表題の詩集が出版されたわけではなく、後年三島選集や全集などで少しづつ少年時代の三島の詩は知られるようになった。(いまでは三島の詩篇は、『決定版三島由紀夫全集』37巻に全657篇納められています。)たとえそれらのいくつかでも読めば、15歳にして三島が一流の詩人であることにも驚くけれど、むしろその詩に潜む不穏ななにかにあなたは息を飲むでしょう。


わたしはまがごとを待っている
吉報は凶報だった
きょうも轢死人れきしにんぬかは黒く
わが血はどす黒く凍結した……。

(『まがごと』部分。)


戦時下において公威きみたけくんは、死を恐れながらもどこかで死を待ちこがれていて、そんな矛盾した心情の、その黒々とした部分をこの詩はえぐり取っていて。怖いですねぇ、不穏ですねぇ。なお、この詩は江藤淳が注目して以来、三島由紀夫を論じるにあたってよく引用されます。しかし、三島由紀夫ファンならばなるべく多くの詩を味わうべきで、そのときあなたは、あまりにも孤独な少年の姿に、ぞっとするでしょう。



たとえば、次の詩はどうでしょう。


風景の一角を遠い電車が
見えない人生のようにとおりすぎた
汽笛をひびかせて、鉄橋を轟かせて、
家々のむこうに風の音がしていたが……
家は
在った
一つの無為にして永遠な存在を主張していた

(『建築存在』部分)



窓の向こうを電車が通る。線路沿いの家に住んでいればあたりまえのことですね。(当時平岡家は松濤の東大駒場の裏手に住んでいましたが、むしろこの詩に描かれているのはそれに先立つ平岡家が信濃町に住み、公威くんが小学校高学年を過ごした時期を追想した詩である可能性が濃厚です。)



さて、その電車は「見えない人生のように通りすぎ」る。この「見えない人生」って公威くんの人生のことでしょ。しかもこの連の5行目、「家は」、ここで改行して「在った」。この改行が恐ろしい。いかにも不穏に感じられるでしょ、この家が。しかも、その無為な家に(!)、公威くんは幽閉されていて、けっしてほんとうの人生を生きることができない。他方、窓の向こう電車は通り過ぎてゆく、まるで自分の生きられなかった人生のように。



次の詩はどうでしょう?


熱帯


暗く広いへやの一隅のクッションたち。
それはしどけない女の寝姿に似ている
あらわな脈を打っている ああこの疲れよ
彼の女たちの上にちらちらってくる夕日に
そんな日々、わたしは燦然たる熱帯を空想する


十五歳で童貞の公威くんは、部屋の隅のクッションを眺めながら、女たちの寝姿を妄想しています。普通に考えたらこれ、公威くんの女という存在への欲情的妄想でしょ。しかも、クッションが複数枚あるゆえ女たち、すなわち複数系です。それにしてもはたしてこの妄想はセバスチャンの絵を見ながら欲情してオナニーする男の子(『仮面の告白』)の妄想でしょうか? もっとも、あの小説で描かれた三島のセバスチャン・コンプレックスが真実かどうかは、きわめて怪しいけれど。いいえ、むしろこの詩は祖母なつに軟禁状態で育てられ、その後は母に溺愛されるというかたちで支配された。三島が深く愛する妹もいるものの、三島の育った環境は一貫して女権的だった。そんな女権世界から脱出し解放された世界、熱帯を公威少年は夢見ているのだ。



『石切場』という詩がまた恐ろしい。
4連の詩の後半を引用しましょう。


   
断層を天はにく
そこには絶望がある
石のぎらぎら
酸藻は雲母にまみれ……


   D
殿堂というものを人は見ただろうか。
生きた墓地はかちというものを

人は見ただろうか。
天に向き、をおそれず
ぎりぎりな いやらしい生を噛み
わたしは嫌悪する
わたしは避ける
わなないて立ち止まる
石切り場。石群のその前に。


どうです? ただならない不穏なものが潜んでいるとはおもいませんか? ぼくはこの十五歳の少年にぞっとする。いったいこの少年は、これからどうやって自分の人生を切り拓いてゆくでしょうか?







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