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「半神」 萩尾望都 何故「わたしの神」なのか

*ネタバレ 萩尾望都「半神」全体・ラストまでの言及があります。 何故、「半神」というタイトルなのか。 何故、姉は死んでしまった妹を「わたしの神」と呼ぶのか。 何故、憎しみ続けていたはずの妹に「愛していたよ」と語りかけるのか。 一つの試みとしての解釈です。 *画像はすべて、萩尾望都「半神」です。 「半神」は、1984年に「プチフラワー」に掲載されました。 今からちょうど40年前の作品です。 しかし、40年経っても少しも色あせることのない正真正銘の傑作です。 この作品は、

    • 虎に翼 最終回 エンドロール 地獄の先の春

      すみません、「自粛中」と言っておきながら書かせて頂きます。 「虎に翼」の最終回に驚いてしまって。 1つだけ、「地獄」について。 桂場と寅子、よねさん達とのやり取り。 そして、寅子と母親のやり取り。 そしてそして、米津さんの主題歌の2番がエンドロールで流れるなんて。 やはり「地獄」なんだよなぁ、と思ってしまいました。 第1週目の最後。寅子と母親のやり取り 母「本気で地獄を見る覚悟はあるの?」 寅子「ある」 ナレーション「こうして最後の敵を倒した寅子は、無事地獄への切符を手

      • ドクターストップ

        実は、主治医の先生から「SNS禁止」というお達しが出されています。 なので、昨年の12月から投稿を自粛しておりました。 これが最後の記事でした。 しかし、「虎に翼」の規格外の面白さに思わずたまらず投稿を再開してしまいました。(-_-;)(七か月と少ししか持たなかった・・・) そのままの勢いで「オサムとアトムと」も9本・・・ 「虎に翼」も更に2本・・・ 他にも1、2本・・・ 落語のマンガの話まで 「虎に翼」もう少しで終わるのが残念です。 「オサムとアトムと」は、20年

        • あかね噺 十三巻 主人公は誰?

          「あかね噺」というマンガが2022年から「週刊少年ジャンプ」で連載されています。 第二巻が出た際に、帯に庵野秀明監督が推薦文を書いていると知って興味を持ち、即購入しました。 実際読んでみたら、文句なしに面白い!! 2023年には、マンガ大賞第2位に選ばれました! が、しかし・・・ 最近、段々と勢いがなくなってきたような気がしておりました・・・ ところが! 最新刊の十三巻、主人公あかねの兄弟子まいけるの真打昇進試験が、一冊丸ごと使って描かれています。 再び話が盛り上がっ

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        記事

          [オサムとアトムと 番外編]鉄腕アトムと巨人の星

          *「巨人の星」「ブラックジャック 後遺症」のラストについての言及があります。 手塚先生が、梶原先生の「巨人の星」を物凄く意識していたことは有名です。アシスタントさんに「梶原一騎の作品と、僕の作品とどっちが面白いんだ」と涙ながらに聞いたり、「これのどこが面白いのか説明してください!」と尋ねたりしていたそうですね。 しかしまずは、「巨人の星」の「野球ロボット問題」について考えてみたいと思います。 野球ロボット 大リーグのカージナルスが来日し、巨人軍と対戦します。 試合は巨

          [オサムとアトムと 番外編]鉄腕アトムと巨人の星

          嬉しい

          とても嬉しいです。読んでくださった方々、スキをつけてくださった方々、本当にありがとうございます。 でも、この表示では何の投稿だかまるで分かりませんね・・・ タイトル長すぎですね。 「...」って・・・・😞 こちらでした。 ありがとうございました!!

          ローマは一日にして成らず

          私の机の前に、2枚の浮世絵が飾ってあります。 一枚がこちら 「おしをくりはとうつうせんのづ」です。これはある人の45歳の頃の作品です。 70歳前半の作品がこちらです。 葛飾北斎「富岳三十六景 神奈川沖浪裏」です。 「おしをくりはとうつうせんのづ」の頃は、西洋画の技法を学んでいたので、その影響が強かったようです。 しかしそれにしても、北斎も最初から超絶技法を身につけていた訳ではないのですね。当たり前ですが。 北斎は75歳で出した「富岳百景」の跋文(あと書き)に「70

          ローマは一日にして成らず

          【オサムとアトムと 番外編】アトムと「MONSTER」と「PLUTO」

          「PLUTO」は、「鉄腕アトム・地上最大のロボット」のリメイク版ですが、「MONSTER」は、ある意味「裏アトム」と言えると思います。 「MONSTER」の主人公の「Dr.テンマ」は、「天馬先生」「天馬医師」という意味ですが、「天馬博士」という意味にも通じます。 「鉄腕アトム」は、天馬博士が造った「正義の味方の少年ロボットアトム」が主人公の物語ですが、「MONSTER」は、Dr.テンマが「怪物の少年ヨハン」をよみがえらせてしまった物語です。 怪物 「PLUTO」では、

          【オサムとアトムと 番外編】アトムと「MONSTER」と「PLUTO」

          【オサムとアトムと 番外編】鉄腕アトムとデビルマン

          *グロテスクな描写があります。ご注意下さい。 *「デビルマン」のラストについての言及があります 私は「鉄腕アトム」をリアルタイムで読んだ世代ではありません。単行本や復刻版で、初めて読みました。 アトムを読み始めた頃、古本屋さんで単行本を漁っているとこんなシーンを見つけました。 「青騎士」の一場面です。人間に危害を加える可能性のある「青騎士型ロボット」は分解されることになり、捕らえられたアトムの父親と母親が虐待されています。 この非道なシーンを読んでいると、「あれ、何だ

          【オサムとアトムと 番外編】鉄腕アトムとデビルマン

          虎に翼 人は変わる 世の中も変わる

          小橋が、勉強会に来た学生に語ります。 「平等ってのはさ、俺たちみたいな奴にとって、確かに損な所も沢山ある」「けどそのいらだちを向ける時、お前弱そうな相手を選んでないか?」 「この先どんな仕事をして、どんな人生を送ろうと、弱そうな相手に怒りを向けるのは、何にも得がない。おまえ自身が平等な社会を拒む邪魔者になる。嫌だろ?」 学生「嫌です」 「まあ一番になれなくてもさ、お前のことをきちんと見てくれる人間は絶対いるからさ」 どうした小橋、いい事言うじゃないか。見違えたぞ。人は変わる

          虎に翼 人は変わる 世の中も変わる

          【オサムとアトムと】「エジプト陰謀団の秘密」クレオパトラと結婚!?

          「エジプト陰謀団の秘密」は、1959年4月号から8月号に連載されました。 手塚治虫先生は「アトムの物語には、かなりの出来不出来がありまして」と語っていますが、この作品は「とても出来のいい作品」だと思います。とにかく手塚先生が楽しんで描いている様子が、とてもダイレクトに伝わってくるのです。 エジプト陰謀団のバリバリ―博士は、地球を支配するためにロボットのクレオパトラを造ります。アトムと陰謀団との闘いが繰り広げられます。 話の詳しい内容よりも、印象深いシーンを挙げて、紹介さ

          【オサムとアトムと】「エジプト陰謀団の秘密」クレオパトラと結婚!?

          【オサムとアトムと 番外編】アトムとレオとガンダムと

          「機動戦士ガンダム」で、ホワイトベースがジャブローから宇宙に向けて飛び立って行く時、ブライトが「手の空いている者は左舷を見ろ、フラミンゴの群れだ」と言う名シーンがあります。   このシーンについて「山田玲司のヤングサンデー」で玲司先生が、アニメ「ジャングル大帝」のOPとの「つながり」を指摘しています。 「ジャングル大帝」のOPには、本当に素晴らしいフラミンゴの群れの乱舞が描かれています。手塚治虫先生たちスタッフは本編一話分程の労力を注いだそうです。   見事なオマージュで

          【オサムとアトムと 番外編】アトムとレオとガンダムと

          【オサムとアトムと】青騎士問題 アトムは死なないはずだった?

          「青騎士」は、1965年10月号から1966年3月号に描かれた、アトムが人間に対する反乱に加わった挙句、死んでしまうというショッキングな作品です。 しかし「青騎士」をよく読んでみると、手塚先生が最初はアトムを殺すつもりではなかったのではないかと思えてきます。 アトムの死は当初から予定されていたわけではなく、手塚先生の元々の意図を超えた突発的なものだったように思えるのです。 手塚先生の最初の構想では、全く違った内容だったのではないでしょうか。 手塚治虫先生がそもそも目指し

          【オサムとアトムと】青騎士問題 アトムは死なないはずだった?

          【オサムとアトムと】手塚先生がアトムを描きたくなくなった時

          手塚治虫先生は、「アトムは実のところ、初期の2、3年のあいだは描いていて嬉しかったのですが、あとは惰性の産物でした。」と語っています。 描くのが嬉しくなくなってきたのは、具体的にはいつ頃で、理由は何だったのでしょうか。 アトムが最初に登場する「アトム大使」は、1951年の4月号から連載が開始されています。それから2、3年というと「赤い猫」「空飛ぶ摩天楼」「火星隊長」の頃になります。 「赤い猫」以前では1つのエピソードが終わっても、「鉄腕アトム」の連載自体は続くので、最後

          【オサムとアトムと】手塚先生がアトムを描きたくなくなった時

          【オサムとアトムと】手塚復活!ブラックジャックと写楽はアンチアトム!?

          以前、「アトムの最後」について書かせて頂きました。「これが『鉄腕アトム』なのか?」という程、悲惨な作品です。 しかし、「アトムの最後」の5年後に「鉄腕アトム」は見事に復活します。そしてそれは手塚治虫先生自身の復活劇でもありました。 順を追って見てみましょう。 火の鳥復活編 1970年、手塚先生は「火の鳥復活編」を描きますが、この頃は非常に苦しい状況でした。漫画界は劇画が席巻し、手塚先生は古いタイプの漫画家という評価を受けていました。 例えば、67年から「週刊少年サンデ

          【オサムとアトムと】手塚復活!ブラックジャックと写楽はアンチアトム!?

          虎に翼 新潟編 個人的な感想

          「虎に翼」毎日観ております。もう規格外に面白い! ですがですが・・・新潟編になって何だか物足りなくなって来てしまいました。いま一つ、いや二つも三つも物足りないです。 理由は明白です。(あくまで個人的な理由ですが) 桂場がいない!! 多岐川も、久藤もいない!穂高先生は亡くなってしまわれたし・・・ よねさんも、轟も、梅子さんも、花江もいない! 寅子と丁々発止とやり合う「相方」がいないじゃないですか! と思っていたら・・・入倉が突然泣き出して「俺って、本当に人を見る目がな

          虎に翼 新潟編 個人的な感想