【オサムとアトムと】手塚先生がアトムを描きたくなくなった時
手塚治虫先生は、「アトムは実のところ、初期の2、3年のあいだは描いていて嬉しかったのですが、あとは惰性の産物でした。」と語っています。
描くのが嬉しくなくなってきたのは、具体的にはいつ頃で、理由は何だったのでしょうか。
アトムが最初に登場する「アトム大使」は、1951年の4月号から連載が開始されています。それから2、3年というと「赤い猫」「空飛ぶ摩天楼」「火星隊長」の頃になります。
「赤い猫」以前では1つのエピソードが終わっても、「鉄腕アトム」の連載自体は続くので、最後のコマには「つづく」と表記されていました。
しかし、「赤い猫」のラストでは「おわり」となっています。
手塚先生はこの頃から「鉄腕アトム」を「おわり」にしたいと思い始めていたのかもしれません。
「赤い猫」の次には「空とぶ摩天楼」という短編を挟んで「火星隊長」という力作を描きました。
単行本の解説マンガで、嬉しそうに紹介しています。
「『こんな構図が新しい』といって喜ばれましたっけ」と。
アトムは、「世界宇宙協会」に招かれて、お茶の水博士達と一緒に飛行機でアメリカに向かいます。
ところが、その飛行機がハイジャックされてしまいます。ハイジャック犯はB島へ向かいますが、B島では極秘の原爆実験が行われようとしていました。
アトムの活躍で、原爆の爆発から危機一髪で逃れることに成功し、飛行機はアメリカへと向かいます。(ここまでが「空飛ぶ摩天楼」です)
「火星隊長」
世界宇宙協会で、アトムは火星探検隊の隊長になるように要請されます。
しかし、探検隊の隊員たちからは、ロボットが隊長になる事に対して不平・不満が出ます。
アトムたちは第二次火星探検隊として火星に向かいます。
第一次火星探検隊では、レンコーン大尉が宇宙怪物の攻撃を予言して要塞を築くことを主張し、隊長と議論の末、反乱となったのでした。
アトムも宇宙生物による攻撃の危険性を指摘しますが、ケチャップ大尉は笑い飛ばします。
アトムに対して不満を募らせたケチャップ大尉達は、ついにアトムに対して反乱を起こします。
しかし、宇宙生物の攻撃が始まります。
自分の誤りを認めたケチャップ大尉は、アトムの制止を振り切ってロボット兵器に搭乗し、宇宙生物と勇猛果敢に戦い戦死します。
最後に「おわり」の文字で締めくくられます。
しかし「鉄腕アトム」の連載は終わりません。作者が止めたくなっても人気連載を終わらせて貰えないのは、昔も今も同じなのでしょう。
「コバルト」
浮かぬ顔のお茶の水博士。火星探検から帰ってきたばかりのアトムに、深海に沈んだ水爆を回収する使命を命じる役割を担わされたのです。(原爆の次は水爆です)
このお茶の水博士の何とも言えない冴えない表情は、手塚先生の気持ちをそのまま表しているのではないでしょうか。
アトムを働かせ続ける・描き続ける事に、うんざりして来たのではないでしょうか。
「あとは惰性の産物でした」という訳です。
アトムの家庭では、アトムを働かせ続けるかどうかで、激しい夫婦喧嘩が始まります。
アトムは両親の喧嘩にうんざりして、家出をして行方不明になってしまいます。お茶の水博士たちは、急遽「アトム第二号」のコバルトを造ることになります。
「家出」も「アトム第二号」も、アトムを働かせ続ける事(描かされ続ける事)への手塚先生なりの抵抗なのでしょう。
さて、「鉄腕アトムは」絵の出来不出来が結構あるのですが、「火星隊長」と「コバルト」の絵のレベルの落差はかなりひどいものです。
手塚先生の作品に対するモチベーションの違いが如実に表われてしまっているのでしょう。
さて、「火星隊長」の後でモチベーションが急降下した理由は何でしょうか。
そもそも手塚先生は何故、「火星隊長」でアトムを「アメリカ」へ行かせることにしたのでしょうか。火星探検に行くだけの話なら舞台は日本でも構わなかったはずです。アトムの世界では、日本でも宇宙旅行を普通にしているのですから。
アトムがアメリカの世界宇宙協会を訪れた場面を見てみましょう。
「やあよくきてくれました、日本少年!」「うーむ、うわさにたがわずたのもしそうな少年だね」「日本人。いや日本ロボットの名を」「はずかしめないように頑張ります」
「日本」が連呼されています。
そして火星探検では、「アメリカの探検隊の隊長」としての役割を十分に果たすことができるだけの成長ぶりを証明しました。
手塚先生の「大人になる事」と「アメリカ」に対する思い、そしてアトムを描いた最初の理由が「人種差別」にあった事は、「天馬博士はマッカーサー」で述べさせて頂きました。
手塚先生にとっては、アトムが「アメリカ」に行って、人間に対して命令するだけの責任ある立場の「成長した存在であること照明する事」が重要だったのでしょう。
「日本人は12歳の少年のようなもの」と発言したマッカーサーへの、手塚先生からの返答です。
「空飛ぶ摩天楼」の原爆実験というエピソードもアメリカに対する風刺だったのだと思います。
手塚先生は、「アトム大使」以来描きたかった事(人種差別・ロボット差別問題、アメリカへの思い、成長の問題)を「火星隊長」で全部描いてしまったのではないでしょうか。
手塚先生にとっては、「鉄腕アトム」は「火星隊長」で「おわり」だったのでしょう。
それにもかかわらずなおも連載を続けることを求められて、手塚先生はウンザリしてしまったのではないでしょう。「アトムは実のところ、初期の2、3年のあいだは描いていて嬉しかったのですが、あとは惰性の産物でした。」という訳です(特に、ロボット同士の対決モノを繰り返し描くことには抵抗があったようです。)
しかしそれでも、その後も「電光人間」「エジプト陰謀団の秘密」「地球最後の日」等々の傑作を生み続けたのですから、手塚先生はやはり「漫画の神様」です。