学校に行かないという選択。「段ボールで地形作り講座&ムックリ作り講座。」
我が家の長男は5年生になった年度から、「ひらめきときめきサイエンス」という、日本学術振興会が企画している小中高校生対象の科学講座に参加させていただいている。
講座の大半が参加対象学年が5年生以上だったので、それまでは、興味があっても参加できなかったので、5年生になった時には「やっと参加できる!」と長男が喜んだのを覚えている。
こちらの講座は、様々な角度から科学に興味を持てるようにとプログラムが考えられており、全国各地で開催されている。その土地、その大学の特徴が活かされたプログラムが多いので、北海道だけでなく、全国各地へ講座を受講する旅に出ることが出来たら面白い旅になるだろうと想像するのも楽しい。
昨年12月、参加した「ダンボールで島と滝をつみあげよう!-さわってわかる高精細 3D 情報-」は、コンターと呼ばれる薄い段ボールを重ね、地形の模型を作り、その変動がどのように起こっているのかを学ぶ講座だった。本来は、一昨年の12月に開催、参加する予定だったのが、リモート開催となってしまったので、一年越しのリベンジ対面受講となった。
去年は、自宅で華厳の滝の模型を作るキットを郵送していただいたのだが、華厳の滝は、4年前から比べると、観光バス23台分の体積が削られていることが、こちらの研究室の調査でわかっているそうだ。
華厳の滝でそんなことが起きているとは!関東で生まれ育ち、修学旅行といえば、日光。華厳の滝にも行ったことがあるが、まったく知らなかった。
参加した5・6年生の子どもたち14名程で、段ボールで、島の地形を作ったそうだ。その島は、温暖化・環境の変化を受け、地形が削り取られており、このままだと40年後には消滅してしまう可能性が高いそうだ。
この環境の変化を、文字の情報としては理解できる。
講座では、研究室で数年に一度の調査を続けてきたデータを使い、8年前と去年のデータ使い、実際にそれぞれの年度の島の模型を作り、触れることで、その変化を実際に感じる事が出来たようだ。このような機会には、なかなか巡り会えないと思う。
そして、昨日は、「作って鳴らす!ムックリ研究室」という講座に参加した。ムックリは、アイヌ民族の竹口琴だ。そのムックリを自分で作成し、音を出すこと体験する講座である。
北海道には竹林が無いので、元々は、竹以外の木を使っていたらしいのだが、ムックリが描かれていた昔の絵画に〈竹の節〉が描かれており、本州との貿易で竹を入手していたことが、明らかになっているらしい。(海外には鉄製の口琴楽器があるのだそうだ。)
講座では、事前に講師の方々が竹を割って糸鋸である程度のアウトラインを作ってくださった「ムックリキット」が配られ、作り方のポイントが書かれたプリンも配られ、それを見ながら、各自で平刀や小刀を使って形を削り出す。長男から、プリントを見せてもらうと、削る深さ、彫刻刀の使い方のコツも丁寧に書かれている。弁の厚さは音を出してチェックしながら削っていく。
次には、切り出し小刀で、ムックリの形を削り出す。狭く成りすぎないように、よい形の曲線で、と書かれている。
印象的だったのは、最後に、
弁のふるえを 支える
弁のふるえを わくへ つたえる
ムックリの形の完成=美しい形で
と書かれていた事だ。
こうして作ればいい、という正解ではなく、〈美しい形で〉。
何を美しいと感じるのか、ということは、個人的な感性が大きく左右するだろう。その部分を作り手である子どもたちの感性に任せている気がした。
この一文を読んだだけでも、長男が、この講座に参加できたことへの大きな意味を感じた。
実際に彫刻刀を使うので、安全管理に配慮しなくてはならないと、初めは子どもたちの作業は、少なく設定されていたらしい。しかし、講師の方の一人が、「君たちには、できると思うんだよね。」と子ども自身で行う作業を積極的にやる方向で講座を進めてくださったらしい。
そういう講師の方、そういう大人の存在が、子どもたちの学びを広げてくれるのだと思う。
彫刻刀で怪我をすることは、どんなに気を付けたとしても在り得る。しかし、そうであったとしても、使う経験がなければ、いつまでもその匙加減はわからないのではないだろうか。
その場を提供する側となる大人が、それを「危ない」とするか、「怪我をすることもあり得るけれど、使い方によっては、便利で面白い道具だ」と、捉え、見守る姿勢を持つかどうかで、子どもたちの学びの幅は変わってくると思う。
それは、きっと、彫刻刀に限らずなのだろう。
ムックリにつける紐の結び方は、八の字結び。どうやっていいのか説明を読んでも理解できない子も多かったらしい。今は暮らしの中で〈紐を結ぶ〉という行為自体が少ないと思うので、それもまた貴重な体験だ。
普段からナイフで鉛筆や木を削り、彫刻刀や刃物を使うので、作業がスムーズに終わり、やや手持ち無沙汰にしていたらしい長男。すると、「もう一本作ってみたらいいよ。」とムックリキットをいただいたそうだ。
ムックリ作りの後には、「ムックリを科学する」と題して、構造と発音、音声解析のお話を伺ったらしい。声は、喉の奥にある声帯をの音を口や鼻と共鳴させるが、ムックリは、口元の音を口・喉・器官に共鳴させる。
「音の出し方がとても難しかったんだよ!」と、長男は熱心に説明してくれた。講座には、ムックリ奏者の方が来てくださったそうで、とても素敵な演奏を聴かせていただいたようだ。
感性の部分だけではなく、「ムックリを科学する」という視点は、理系頭脳の男子には、とても魅力的なことなのではないかと思う。
彼は、早速、昨日の講座を思い出しながら、家でムックリを作っていた。自分で昨日作ったムックリの音を元にして、音を出しながら、弁を調整し、さらに彫刻刀とカッターを使い削っていく。最後に「アイヌの文様を描いたらカッコイイかな。」と、描き入れ完成。所要時間は30~40分弱。
「出来た!」
長男は、生き物好きの友人(大人)のちょっと過ぎてしまった誕生日のプレゼントにすると言って、ムックリをラッピングし、「今から、渡しに行ってくる。」とバスで出掛けて行った。
ここまで書いてきた事柄は、長男が講座で学んだことを、家で彼がアウトプットした話をまとめたものだ。
各講座には、保護者の参加も認められている事が多い。(ムックリ講座は感染拡大防止のため、ご遠慮くださいとのことだった。)
実際に私が長男を送迎すると、保護者の方々は、一日びっちりと講座の会場に同席していることが多く、画像の撮影に忙しそうな姿を見かけることもある。
私と夫は、講座に同席したことがない。長男もそれを望んでいない。さっさと帰れ!とでもいうような視線を投げ掛けてくる。
私達も、これらの講座は、〈彼の学びの場である〉と認識しているので、彼を送り届け、講師の方や講座開催関係者の方々にご挨拶し、さっさと会場を後にする。
もし、私や夫が講座に同席していたら、長男は私達にアウトプットする必要がなくなるだろう。「お母さんたちも聴いてたよね?知ってるでしょ。」と。
一緒に居ないことで、彼自身で体験したこと、感じたことを、彼なりの言葉にして伝えようとする。長男から、学んだことについて聴く度に、「それは、面白そうだね!」「え?それってどういうこと?」と私の興味も湧き、自分で調べたり、長男と話をする。そして、暮らしの中の違った場面で、学んだことをアウトプットする姿が度々見受けられるのだ。
〈講座を受けて、終わり〉ではない。
学んだことには、終わりがなく、何処までも続いていく。
それが、私にも、面白くてたまらない。
学びは、暮らしの中にあり、暮らしは学びの連続なのだ。