「杉本文楽」 常識を超え新たなコンセプトを提示するアーティストの視点
現代美術作家の杉本博司さん(1948〜)が、江戸・元禄時代の人形浄瑠璃文楽を再解釈して「杉本文楽」を作り上げました。2011年に『杉本文楽 木偶坊 入情 曾根崎心中付り観音廻り』を初演、2013年のマドリッド、ローマ、パリ公演を実施、2017年に『杉本文楽 女殺油地獄』を上演しました。
私は『杉本文楽 女殺油地獄』を観ましたが、そもそも文楽をほとんど観たことがなく、どこが再解釈なのかその時はよくわかりませんでした。先日、ギャラリー小柳の小柳敦子さんから、従来の文楽とはかなり違ったものにしたというお話を伺い、アーティストによるイノベーション創出の事例そのものだと気づきましたので紹介します。
文楽の世界の常識とは
まずは文楽についておさらいしておきましょう。
人形浄瑠璃文楽は、日本を代表する伝統芸能の一つで、太夫(語り)・三味線・人形が一体となったもの。その成立ちは江戸時代初期にさかのぼります。
文楽では人形を操ることを「遣う」といいます。人形のかしらと右手を遣う「主遣い(おもづかい)」、左手を遣う「左遣い(ひだりづかい)」、足を遣う「足遣い(あしづかい)」の3人で1体の人形を遣います。より人間らしい動き、より豊かな表現を追究するなかでこのような遣い方が生まれました。これを「三人遣い」といいます。
人形遣いの基本の衣裳は、「黒衣」と「頭巾」。伝統芸能の舞台では、黒は「見えない」という約束事があります。ところが、名場面、盛り上がる場面で主遣いが顔を出すことが江戸時代から行われていたそうです。その後、どんな人が人形を遣っているのか知りたいという要望が増え、最近は主遣いは顔を出していることが普通になっています。そのため、人形の顔の横には人間の顔があるという状況になっているのです。
常識を覆した杉本文楽
杉本さんは、やたら顔がいっぱいあって、しかも人形の顔よりもはるかに大きい人間の顔が見えることに違和感を感じていました。そこで、文楽が始まった初期に立ち返り、現在演じられている文楽の常識を覆す演出を考えだしました。
杉本文楽のwebサイトにその見どころが書かれています。
杉本文楽では、主遣いの人にも頭巾をかぶってもらい、人間の姿は見えなくしました。紫綬褒章も受賞されているような大御所にも頭巾をかぶってくれと言うところもアーティストならではですね。
通常設置される手摺と呼ばれる仕切り板もなくしました。そして、従来文楽では人形は左右にしか動かないところを、前後にも動かす演出にチャレンジしています。ここまで斬新な演出を行うことで、暗い空間に人形だけが舞う幻想的な舞台を創ることができたのです。
欧州公演のダイジェスト動画があって、最後にカーテンコールをしていますが、これも従来の文楽では行わないことだそうです。
中にいると常識を覆すことは難しい
文楽の中にいて日々接している人には、従来行っていることが常識であって、なんでこんなふうになっているのか? とか、これっておかしいのでは?といった点になかなか気がつきません。
これは、私たちの日々の行動でも、企業活動でも同様だと思います。中にいると、その常識に囚われてしまい、覆す発想が出てこないものです。
常識を覆すことを考え出すには、自分が一旦外に出て常識と思っていたことを見つめ直すか、アーティストのように外にいる人に入ってきてもらって、かき回してもらうかをする必要があります。
杉本さんとソニーとのコラボレーションで挑むコペルニクス的転回
杉本さんは、ソニーとコラボレーションして宇宙をテーマに変革を起こそうとしています。ソニーのSTAR SPHEREというプロジェクトです。
このプロジェクトのwebサイトに、杉本さんと様々な分野の人との対談シリーズ ”科学から空想へ”が掲載されています。文筆家の山本貴光さんとの対談で、アーティストと企業や科学者とのコラボレーションの重要性を議論しています。
多くのビジネスパーソンにとって、アーティストとコラボレーションするということ自体がコペルニクス的転回だと思いますが、非常に大きな効果が期待できます。自分達では乗り越えられない常識の壁を、軽々と超えていくアーティストの視点と思考の凄さに気づいて、アーティストとのコラボレーションにチャレンジしてほしいものです。
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