紫苑の始まり

学生時代を思い出して始めた写真撮影、 動かなくなり始めた指で遊んでいるゲーム、 ふと目にとまった論文へのコメント、 退職した大学教員が作る徒然なるブログです。

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  • 写真と紀行

    日々持ち歩いているカメラで撮影した写真、お出かけした先での美しいと感じた風景の写真、旧宿場町の今、など写真と紀行のマガジンです。

  • 『学習する社会』

    研究的なシリーズエッセイ『学習する社会』です。

  • A・RE・KO・RE(雑記)

    ゲームの話や将棋の話、日常の出来事で考えたこと、ニュースを聞いて気になったこと、・・・日々、日常でふと考えたことをまとめてみました。

  • 社会科学系エッセイとレビュー

    社会科学の一端を担ってきた者として考えたことをエッセイにし、出会った論文のレビューをしています。

最近の記事

中山道『伏見宿』の今。宿場から少し裏手にあった女郎塚が印象的でした。

中山道を京から江戸に向かい、美濃に入って10宿目が伏見宿です。太田宿と伏見宿は木曽川を挟んで位置する宿場町です。1694年(元禄7年)までは、このあたりでは東西に流れている木曽川沿いにある太田宿と土田の渡しで行き来した土田宿が太田宿と対になる宿場でした。木曽川の流れの変化などにより、渡し場の位置が上流の太田の渡し(今度の渡し)へ移動され、土田宿は中山道の宿場としては廃宿となり、中山道と名古屋城下を結んだ上街道の宿場になりました。渡しが移る際に上流に位置する伏見が宿となりました

    • なばなの里の秋、ダリアとイルミネーションが楽しめます。ライトアップされた庭園が幻想的でした。

      2024年10月19日から2025年6月1日まで、半年の間、なばなの里ではイルミネーションを楽しめます。夕方から出かけると、ダリアやコスモスといった秋の花とイルミネーションを楽しめます。今回は11月5日に出かけたのですが、ちょうど寄せ植えのコンクール展示もされていました。 ダリアって色々なんですね 今まで特にダリアを意識して見てきたことはありませんでした。なばなの里で改めてダリアを観賞して、その種類の多さと多様性に圧倒されました。写真はアップしていませんが、まるで菊のよう

      • 中山道『太田宿』の今。昔ながらの街の風景に溶け込んでいるエノキとヤドリギがシンボルになっていました。

        中山道を京から江戸に向かい、美濃に入って9宿目が太田宿です。飛騨へ向かう「飛騨街道」、関・郡上へ向かう「関街道」への分岐点を持つ場所であり、平行して木曽川が流れていて、交通・物流の要衝だったようです。宿場町であった往事を偲ばせる街並みが残っていますが、鵜沼宿のような再整備ではなく、自然な状景です。脇本陣などが公開されていました。 脇本陣など 脇本陣の林家住宅と「小松屋」という屋号の旅籠が公開されています。脇本陣の庭から格子を経て街道方向を見ると、立派な和室が連なっています

        • なばなの里の初秋、可憐なコスモスが一面に咲き始めていました。

          10月11日になばなの里(三重県桑名市長島町駒江 漆畑270、https://www.nagashima-onsen.co.jp/nabana/)に行ってきました。10月19日に始まったイルミネーションの準備真っ盛りでした。コスモスは5分咲き程度でしたが、可憐なコスモスが風に揺れていました。 ピンク、白、黄色 コスモス畑では白とピンクのコスモスが可憐さを競っていました。ピンクのコスモスは薄い色から紫に近い色まで色々で、もう少し花が増えれば綺麗なグラデーションも楽しめるので

        • 中山道『伏見宿』の今。宿場から少し裏手にあった女郎塚が印象的でした。

        • なばなの里の秋、ダリアとイルミネーションが楽しめます。ライトアップされた庭園が幻想的でした。

        • 中山道『太田宿』の今。昔ながらの街の風景に溶け込んでいるエノキとヤドリギがシンボルになっていました。

        • なばなの里の初秋、可憐なコスモスが一面に咲き始めていました。

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        記事

          中山道『鵜沼宿』の今。再生整備された街並みが往時を偲ばせてくれます。

          中山道を京から江戸に向かい、美濃に入って8宿目が鵜沼宿です。宿場町であった往事を偲ばせる街並みが再生整備されていて、町屋館や脇本陣などが公開されていて、ボランティアによるガイドも利用できます。 再生整備された街並み 通りの南側に残る麩売り家並み(菊川酒造、坂井家、梅田家(2軒)、安田家)はいずれも登録有形文化財で、そのうち一軒は1891年の濃尾震災でも倒壊を免れた江戸時代後期の建築物です。通りの北側には脇本陣の酒井家が復元され、公開されています。再生整備された通りの東端に

          中山道『鵜沼宿』の今。再生整備された街並みが往時を偲ばせてくれます。

          「ごんぎつね」のふるさと矢勝川に深紅の彼岸花が咲き広がっていました。でも、少し残念な色合いでした。

          「ごんぎつね」などの童話で有名な作家、新美南吉の生家近くを矢勝川が流れています。南吉が散歩していた矢勝川の堤に彼岸花で真っ赤な風景を描こう、と1990年に有志が活動を始めて30数年、1.5㎞300万本の彼岸花堤ができあがっています。東海地域では秋の風物詩として毎年のように取り上げられる深紅の絨毯の風景が堪能できました。 深紅の絨毯 深紅の絨毯が堤ののり面に広がっていて、平日にもかかわらず多くの方が散策して、紅い堤防の風景を楽しんでいました。彼岸花の群生は広範囲に広がってい

          「ごんぎつね」のふるさと矢勝川に深紅の彼岸花が咲き広がっていました。でも、少し残念な色合いでした。

          中山道『加納宿』の今。岐阜駅の南の市街で道標とグレーチングが宿場であったことを教えてくれます。

          京から江戸へ向かう中山道、美濃に入って7宿目が加納宿です。加納城の城下町でもあり、宿場では数少ない城下町・宿場町です。美濃16宿・岐阜17宿で最大規模の宿場です。 岐阜市街の一画 加納宿は岐阜県の県庁所在地でもある岐阜市の市街地に位置しています。JR岐阜駅の南口から南へ数百メートル、徒歩数分の距離です。岐阜駅の北側は商業地が広がり、岐阜市役所に至る大通りの起点でもあり、岐阜市の中心地と言った風情があります。加納宿がある南側は閑静な住宅街が広がっています。加納宿はその住宅街

          中山道『加納宿』の今。岐阜駅の南の市街で道標とグレーチングが宿場であったことを教えてくれます。

          美濃の山深くに、幽玄の社がひっそりとたたずんでいました。瀧神社。五宝滝にも寄り道しました。

          岐阜県美濃市にある瀧神社に行ってきました。名古屋からは一宮方面の東海北陸道経由あるいは瀬戸方面の東海環状道経由で1時間半ほどで着きます。ただし、最後の山道はかなり幅員が狭く、山道の運転に慣れていない人は苦労するかもしれません・高賀山を囲む6つの神社の一つで、御祭神は瀬織津姫です。 奥深い山の中腹 瀧神社は山の中腹にあり、鬱蒼とした森の中にあります。針葉樹の巨木群に囲まれています。昼なお昏い苔むした石畳の参道をしばらく歩くと、ひっそりと佇む鳥居が見えてきます。 長い階段

          美濃の山深くに、幽玄の社がひっそりとたたずんでいました。瀧神社。五宝滝にも寄り道しました。

          紅いケイトウと黄色いケイトウの絨毯に白の母娘が印象的でした。9月のぎふワールド・ローズガーデン

          ポストインされた中日新聞販売店の情報誌『ハピなびなごや』に秋の花畑が特集されており、そこに「ぎふワールド・ローズガーデン」(岐阜県可児市)のケイトウピクニックの情報が掲載されていました。ぎふワールド・ローズガーデンのHPによると、既に見頃を迎えていると言うことだったので、ケイトウピクニックのイベントが始まる前でしたが、ケイトウの撮影に出かけました。 一面のケイトウ絨毯 ケイトウにはトサカケイトウや久留米ケイトウ、ヤリゲイトウ、羽毛ケイトウなど多くの種類があり、色も多様なよ

          紅いケイトウと黄色いケイトウの絨毯に白の母娘が印象的でした。9月のぎふワールド・ローズガーデン

          中山道『河渡宿』の今 裏街道の渡しは今も生きていました!

          江戸と京都を結んだ五街道の一つ中山道の美濃16宿、京都から江戸に向かう場合、木曽三川が行く手を阻みます。最初の大きな川「揖斐川」を渡ったところに「美江寺宿」があり、次に越える大きな川「長良川」を渡る手前に「河渡宿」があります。河渡宿も美江寺宿と同じように宿場町を思わせる街並みはほとんど残っていませんでした。 堤防下の中山道 河渡宿を示す看板が設置してあり、一里塚跡の石碑があるので「河渡宿」と分かりますが、普通にドライブしていると何の変哲もない田舎の街並みです。河渡の渡しは

          中山道『河渡宿』の今 裏街道の渡しは今も生きていました!

          『学習する社会』#24 3.学ぶこと 3.2 思考のための道具 (3)学びの過程 2)多様な学びの姿

          3.学ぶこと3.2 思考のための道具(3)学びの過程コルブ(1976)が提示した学習サイクルのモデルは学習が循環しながら進行し続けるモデルであった。この学習サイクルを今という時間の進行と共に生起する行為の進行と重ね合わせて考えるためには、学習の多様な姿について把握する必要があろう。今回は、学びの姿について二人の論者の主張を見てみよう。 2)多様な学びの姿先に述べたように、コルブの学習理論は学びが循環的に常に進行していることを示しているが、多様な学び全てを効果的に解釈できるわ

          『学習する社会』#24 3.学ぶこと 3.2 思考のための道具 (3)学びの過程 2)多様な学びの姿

          『学習する社会』#23 3.学ぶこと 3.2 思考のための道具 (3)学びの過程 1)コルブの学習理論

          3.学ぶこと3.2 思考のための道具前回までに述べてきたように、我々は世界を類型的に認知している。我々が日々何かを為している「行為の進行」においても、計画は類型的に描かれ、行為の進行にともなう計画の修正も類型的に行われる。経験は類型的に認知されていて、計画の空白部分は類型的な経験で埋められ、修正される。修正された計画も類型的に描かれている。もちろん、我々は目の前にある現実が個別事象であり、今積みつつある経験が個別で唯一のものであることをであることを知っている。それでも、我々は

          『学習する社会』#23 3.学ぶこと 3.2 思考のための道具 (3)学びの過程 1)コルブの学習理論

          中山道『美江寺宿』の今 宿場の街並みはほとんど残っていませんでした。

          江戸と京都を結んだ五街道の一つ中山道の美濃16宿、その西から四番目の「赤坂宿」を過ぎて東の東京(江戸)方面に向かうと、木曽三川が立ちはだかることになります。その最初の川が「揖斐川」で、赤坂宿から呂久の渡しで揖斐川(呂久川)を越えて東に向かうことになります。呂久の渡しを越えたところに「美江寺宿」があります。 美江寺宿への道すがら 赤坂宿から美江寺宿に向かい、呂久の渡しの手前(揖斐川の西側)に瀟洒な「小簾紅園」という名の公園があります。仁孝天皇の第8皇女和宮(かずのみや)が徳

          中山道『美江寺宿』の今 宿場の街並みはほとんど残っていませんでした。

          ゲームの話。Skyrim への mod 導入顛末記。右往左往~その6~ 雑記#10

          (その1)で、Skyrim本体をインストールし、mod導入遊びに最低限必要な MO2、SKSE、LOOT、xTranslator を導入しました。 (その2)で、大前提となるバグフィックス系、リソース系のmodを導入しました。 (その3)で、ユーザーインターフェースを改善しました。 (その4)で、美しい(?)自キャラを作成しました。 (その5)で、景観を美しく見せるために天候オーバーホールと光源調整を導入しました。 今回の(その6)では、景観そのものの変更を進めたいと思います

          ゲームの話。Skyrim への mod 導入顛末記。右往左往~その6~ 雑記#10

          ゲームの話。Skyrim への mod 導入顛末記。右往左往~その5~ 雑記#9

          (その1)で、Skyrim本体をインストールし、mod導入遊びに最低限必要な MO2、SKSE、LOOT、xTranslator を導入しました。 (その2)で、大前提となるバグフィックス系、リソース系のmodを導入しました。 (その3)で、ユーザーインターフェースを改善しました。 (その4)で、美しい(?)自キャラを作成しました。今回の(その5)では、景観を美しくしたいと思います。 (その1) 基本の基本 (その2) 大前提の mod (その3) UIの改善 (その4) 

          ゲームの話。Skyrim への mod 導入顛末記。右往左往~その5~ 雑記#9

          『学習する社会』#22 3.学ぶこと 3.2 思考のための道具 (2)行為の進行

          3.学ぶこと3.2 思考のための道具今まで何をしてきたのか、これから何をするのかを考える際、我々は経験の生の、そのままの記憶で考えるわけではない。経験を類型化された事物、類型化されたモノ/コトとして記憶して考える。類型という思考のための心的で個人的な道具を使って考える。他方、我々は何かをすることによって考えられるようになる。今回は、思考の前後に、そして思考の過程に不可欠な「行為」の進行について考えてみたい。 (2)行為の進行我々は外的世界について行為を通じて知り、知っている

          『学習する社会』#22 3.学ぶこと 3.2 思考のための道具 (2)行為の進行