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中山道『伏見宿』の今。宿場から少し裏手にあった女郎塚が印象的でした。

中山道を京から江戸に向かい、美濃に入って10宿目が伏見宿です。太田宿と伏見宿は木曽川を挟んで位置する宿場町です。1694年(元禄7年)までは、このあたりでは東西に流れている木曽川沿いにある太田宿と土田の渡しで行き来した土田宿が太田宿と対になる宿場でした。木曽川の流れの変化などにより、渡し場の位置が上流の太田の渡し(今度の渡し)へ移動され、土田宿は中山道の宿場としては廃宿となり、中山道と名古屋城下を結んだ上街道の宿場になりました。渡しが移る際に上流に位置する伏見が宿となりました。比較的新しい宿場です。

宿場の面影はほとんどない

伏見宿の街並み1
伏見宿の街並み2
石碑でわかる本陣跡

中山道はこのあたりで国道21号線と重なっているため、街並みに往時の面影を求めることはほとんどできません。伏見宿本陣の跡地は公民館になっており、石碑がそれを知らせてくれています。

宿場としての風景

旧伏見郵便局(観光案内所)、松屋山田家住宅
一本松公園のトイレ
一本松公園の道標(左 兼山八百津、右 御嵩)

普通の街並みになっている伏見宿ですが、往時を偲ばせる風景もあります。旧伏見郵便局舎はミニ観光案内所(ゆったり伏見宿)として利用されており、地域交流の場にもなっているようです。旧伏見郵便局舎は松屋山田家住宅に増築されたもので、松屋山田家住宅は古民家カフェ多鞠庵として使われています。以外にも、新設されている伏見交差点のトイレが往時を偲ばせるという皮肉な風景も見られます。

不思議な空間

住宅地にある女郎塚
女郎塚の不思議な空間
子安観音

伏見宿の南、住宅街の脇に女郎塚があります。女郎塚は洞興寺境内にある土盛で数多くの石仏が建立されています。脇には子安観音堂(宝形造、桟瓦葺)が建立されています。一説には、伏見宿には数多くの飯盛女が働いていて、この女子家中には身寄りのない人も随分いたので、この塚に懇に葬ったので女郎塚というように成ったといわれています。多数の石仏の立ち並ぶ風景は少し不思議な空間を醸し出していました。

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