【鬱な自分との具体的な対話例】脳内に仮想セラピストを出現させてみた!
これからいつかはやってくるだろう鬱な状態になりかねない私へ
心の処方箋として未来の手紙を用意しておこう
ちょっとnoteをおまじないのように活用できたら嬉しいんです。
今現在わりと気分がよかったり睡眠時間が短めでも覚醒したりします。
さらに突然意識を失うほどの眠気がきて失神するくらい超元気過ぎだったりなのを感じています。
躁病の少し手前の状態でなんとか踏ん張れ!
でも気持ちが高ぶって周囲に迷惑をかけまいと少しそこで立ち止まって頓服のオランザピンとか飲んでます。
ひらたくいうと精神安定剤ですね。有名なのはジプレキサとかリスパダールとか。オランザピンはそのジェネリックです。)
また鬱でも躁病でも最後は入院という手やお部屋で静かに療養するという手段が残っています。
自害するよりはるかに救いのある選択肢です。
私もひどく病んでしまったら厭わずに入院してきます。
そんなときは家事すらできません。
やってる場合でもありません。
最後に文末で家事をおすすめしています。
それはある程度心の病がほどよく回復してきた段階でというのが大前提です。
さぁうまく今後心の安定を維持できるかなわたし???
降臨せよ私の脳内セラピスト!
躁の後は鬱も(おそらく)くる~もし鬱な気分をきたら~セラピストが私の前に現れたならば…
まずはどんな気分か具体的に把握してみましょう。
とにかく気分を言語化したら楽になるんです。
リストアップするもよし。日記にしてみるもなおよし。
(noteに創作して書きあげるもさらにまたよし。)
冒頭の鬱な気分の様子の記述に目を通してくださったそこのあなた!
以上の具体例から今の気持ちで(あるいは鬱から回復できなかった過去には)どれくくらい当てはまりますか?
どれかひとつでも当てはまりましたか?
もしそうでしたらば、まずは自分に甘く優しくありましょう。
何もかもうまくいくかどうかはわからないもの。
健康な心の持ち主ですらそうです。
心を病んだらなおさらそれは増幅されがちです。
今や未来が不安でたまりませんか?
それは今まで頑張ったから。頑張りすぎたから…。
後から結果として大きな揺り戻しがやってきたのでしょう。
あるいは身の回りの家族や友人や恋人が急に鬱や躁の後の鬱になってしまったら?
精神科に通うくらいの躁的(maniacな)気持ちの後の揺り戻しがやってきたら?
絶好調で寝ることも食べることも忘れるくらい頑張って自分を鼓舞しつつ努力を重ねてふとわれに帰った頃。
いつもと様子がおかしなことに気がついたらどう接していけばいいんでしょうか?
あれほどエネルギッシュでやる気に満ち溢れていたのになぜかその勢いがなくなってしまった後。
私ならなんて返しましょうか?
人は一人として同じ人生を歩むことはできません。
ただ私なら自分の経験を振り返って何か具体的なお話ができるんじゃないかと思いキーを叩き始めました。
どこまで内容を続けられるか今なお手探りです。
病的な気分の落ち込みとどう付き合うのか精神障害者自身の心の内側をのぞいてもらえたら幸いです。
自分で自分を救えないという絶望感
私なんて毎日ごろごろしてるだけで私の人生にどれほどの生産性が…?
うつの患者になってしまった私の家族へ伝えたいこと。
漢字で鬱と書く。いかにも気分の悪いイメージ。
それは自分を憎むことの裏返しを裏返していくことで前に進めるのではないでしょうか
大切な家族がひとり、そしてまたひとりと、鬱に落ちてしまいます。
ご自愛くださいという絵柄のスタンプを送ります。
実際に家族が復帰して自分を大事に愛せるまで何度このスタンプを使おうと思うんです。
どういうわけか私の周りには憂鬱になってしまったりおっくうになって毎日たくさんの精神科系のおくすりをもらっていたりするのです。
わたしだけが心の病で苦しんでいた。
そしたらいつの間にか家族にまで広げてしまったのか?
やはり遺伝なのか?
家の家系がそういう弱者なんか?
まぁ気に病んでもきりはありません。
心の病気になってしまったのは自分だけで周りは大丈夫そうだった過去があります。
ところが現在では私はそこから一歩は抜け出している(気がします)。
鬱の沼は私だけで周囲は楽しそうという状況でもなくなっております。
辛い思いをしてる家族には、時間とお金が許す限りはとことん療養してほしいと思います。
私にも数年単位で鬱の沼に落ちて布団の中でひたすらこもり続けていた時期があります。
そんな沼にはもうハマりたくはありません。
躁状態で取り乱して精神科病院に入院した経歴もあります。
躁病になったあとで気力体力を消耗しきったみたいにひたすら眠り続けていました。
私が回復に必要だった時間をムリに使うことなく私ほどは長く寝込まなくても良いとも思います。
環境が許すならできるだけゆったりしてもいいとも思います。
最近毎日が楽しくないのなら家事をしよう
今を自分を許していますか?今自分を憎むことをやめていますか?
私は幸せは気づくものだと思います。
築くものとも思います。
毎日を楽しくするには自らが自分の環境を整えてあげる必要がありそうです。
こんな問いはちょっと抽象的過ぎて何を問われてるのかわからない気もします。
おそらくは自分を愛してる状況というのは具体的には、スタート地点は
状況からだと思うんです。
お薬も毎食後と寝る前にちゃんと飲みます。
感情の波が高ぶって絶好調最高潮!という
気分の急上昇なんてことになるとその後が大変になるのは経験からわかっています。
自分を愛するというのはなかなか説明をするのは難しいことかもしれません。
ただ自分にとって気持ちの良いことは自分の望んでる衣食住生活の選択をし続けることだというような気がします。
ついさっき仕事に着ていくの制服の洗濯が終わりました。
白く洗い上がったシャツをパンパンと干すのは気持ちの良いものです。
好きな服を選ぶことができる。好きな食事を作ることもできる。
さらには大好きなナチュラルとホワイトをベースにした部屋の中でカタカタとキーボードを叩く時間。
私の至福の時間のひとつです。なんて素敵な時間でしょう。
ほんとうにありがたいものです。なにか誰かに感謝したくなります。
ありがとうといってつぶやくのは癒やしにもつながります。
感謝の対象がたくさんあることは救いにもなります。
一人暮らしの自分がリフレッシュするのは家事が充実して自分で自分の世話をちゃんとできること。
そんなごくつつましいことが大切なのでしょう。
脳内の仮想セラピーの結論
もし、この投稿を読んでくださる方で私は沈んで意欲がなくて何をやっても悲しい虚しいなんていう気分の方お見えになりますか?
そんな落ち込みや辛さを味わっているのならば息を整えることをしてもらえたらと思います。
息が吸えるということ息を吐き出せるということ。
実は最近痰に血液が混ざっておりまして、もう長くは生きられないような重たい大きな病気をもしかしたら発症してるかもしれません。
もしもそうだとしたら私だっていつまでnoteで文を連ね続けられるかどうかは結局わかりません。
愛する家族にいくらか何かを残せるのはnoteの創作や書道作品などでしょう。
あれ、なんだか遺書を残すための投稿にいつのまにか行き先が変わってしまいそうです・・・。
でも何がいいたかったのかというと息ができるというのは生きてる証だからなんです。
息していなくて生きてる人ってお化けですから。
痰に血が混ざってるのは呼吸器がどこかで病んでるのですけれど、まだ私だって息ができるというのは生きてる今のこの1秒1秒を瞬間瞬間味わえるということなんです。
長い休みをもらっていて何をしたら良いのかわからないという鬱の真っ最中の家族がいます。
切ないですね。本来休んでいる間は仕事や家事のことなんかも忘れてひたすら身勝手になってもいいんです。
ですから好きなことをして伸び伸びとして過ごしてほしいんです。
趣味の世界とか。
でも趣味って鬱な時って不思議とあじけなく感じがちなんですよね。
遊びって本来楽しいのにどこか鬱な自分は遊びさえどこか虚しかったりそもそも遊ぶ気力すら残っていなくてひたすら布団の中でもがく。
だからまずは息を整えましょう。
どれくらい長く深呼吸できますか?
私は今気持ちが楽なので呼吸してる実感すらあまり湧きません。
自然な息の深さで穏やかに呼吸が整っております。
以前の記事で書いたことがあります。
大切な友人が肺高血圧という大きな病気にかかっています。
ただ暮らしている中で息が苦しくなるほどつらい病気です。
でも彼はもう手術が終わったあとで仕事に復帰しています。
私は彼から生きる姿勢を学んでいます。頭の下がる気持ちがします。
彼の病気からひとつ学べることは楽に息をするということすらも
本当はとてもありがたいものだということなんです。
当たり前を当たり前に思わないで日常に感謝できるか?という
問題提起なのかもしれません。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
皆様におかれましては、まずは穏やかに深く息ができるまで意識を内側から見つめ直してみることをオススメします。
息を整えましょう、そして家事をしましょう♪
そんなところで衣生活、食生活、住生活を軸に家事にも力を注ぎ、仕事に趣味に友人や恋人や家族とも素敵な時間をお過ごしくださいますように。
そしてまたの機会にもお会いできますように。
深く息を吸ってぇぇぇ、吐いてぇぇえ。
そうだ家事もしよう。それまではよく寝よう。起きたら共に遊ぼうよ。
(了)