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空を飛ぶ土竜
2021年8月29日 19:18
夕暮れに猫と散歩の道すがら転がっているかぼちゃと語るポンコツの ポンコツだった人生をかぼちゃに聴いてもらっていたり私には私の定めがわからずにただただここに在るということかぼちゃにはかぼちゃの定めがありましてただただ だから ここにおります生きるとは命をかけて滅びゆくことじゃないかと かぼちゃの曰く生きて死ぬただそれだけのことだけどいとおしくてならぬ日々ある身のうちに蒼
2021年8月19日 21:40
球体のちいさな凸である僕の ぐるんぐるんと青い寂しさ地球の顔にできたニキビのように、自分がやけにちっぽけな存在に思われることがあります。そんなときに感じる「寂しさ」を、ちょっと童画的に歌にしてみました。でも、ちっぽけな自分の「寂しさ」を自覚するところから、きっと何かが始まるとも信じていたいと思っています。(加筆再掲です)
2021年8月15日 23:44
終戦の日か敗戦の日かという議論などどこ吹く風の夏空の青終戦の日か、敗戦の日か、そのどちらが正しいか、僕にはわからない。それにこだわるべきなのかどうなのかも、難しい問題のように思う。ただ、例えば、学校というひとつの現場にいて、そうした問題の存在を伝えるべきか否か、ということを思ってみたりする。式典では国旗・日の丸を掲げ、国歌・君が代を歌う、それが極めて日常のこととして平
2021年8月13日 23:38
ことことと ことことと煮る里芋の あったかい夜のようだな 君は煮物・・筑前煮、煮魚、里芋の煮っころがし・・。実家が農家であったので、大根、ごぼう、人参・・根菜類をよく食べさせられました。煮物は何日か置いておけるので、忙しかった母親にとっては便利なものだったのかもしれません。年をとると子どもの頃の味が恋しくなったりすると言われていますが、冬の夜に石油ストーブの上でそういうものが、ことことと
2021年8月7日 22:57
僕はいつか風鈴だったことがあり ふはりと風に吹かれていたい
2021年8月6日 22:06
アラモという映画がありアラモという砦を守る男たちの話だった勝てるはずのない大軍を相手に堂々と戦い死ぬべき死を確かに死んでいった男たちの話だった人の死に様ということにその時僕はひどく胸打たれ子供心に眠れなかったことを今でもよく覚えているそれで- 死から始めなければならないなんて、ちょっと気取って君の方を見ると隣で聞いているはずの君はもう すやすやと寝息を立てて
2021年8月2日 22:32
猫と僕と吹かれて歩く青田風夏休みになり、相変わらず休みはないのですが、19時前に家に帰れるようになりました。まだ明るいので、玄関に猫が待ち受けていて、帰るなり、散歩をせがまれます。僕を「散歩の道具」だと思っている猫であっても、帰りを心待ちにしていてくれる者がいることは、それなりにいいものです。昨日は八月一日でした。八月一日という苗字があり、これを穂積(ほづみ)と読むそうです。実った