20240815 通院メモ この夏の大きな「怒り」の感情は少し溶けた感じがする
昨日のクリニックのリハビリ。
7コラム法に則って作成していたワークシートを下に、集団認知行動療法のテーマとして取り組んだ。
7コラム法の書き方やワークシートについては、2021年の1月に書いたnoteを参考にしてもらいたい。
昨日の7コラムのワークシートでは、火曜日にあった出来事によるストレスを書き出していた。
ストレスを感じた出来事に対して、一番大きな気分は「いらだち」だった。
自動思考やその自動思考の根拠となる事実を書き出していったのだが、リハビリの先生から、深掘りするための質問が来る。
そうすると、「いらだち」の大元となる気分として、とても大きな「不安」があったのだ。
いらだちは、どちらかというと他責。
最近、仕事での出来事やトラブルに対して、かなりいらだちが強く、言い換えれば他責の強い状態だった。
自分の場合、他責は軽躁状態のサインでもある。
その他責のサインを探っていけば、とても大きな不安、自責が隠れている。
ものすごく不安の根っこは、「自分みたいな人間は、周りにとって迷惑だ」という、とても強い自責であり、ものすごく大きな鬱を引き起こしてしまうトリガーでもある。
こうした、他責であったり自責であったり、認知としてはどちらにしても冷静ではないところが強い。
他責の強さは、仕事を辞めるための材料を集めて、自分を納得させようとしている行動にも見える。
そんなことを考えている中で、自分の生きていく中でのこだわりって何だったんだろう?ということを考えるようになった。
これまでの人生で、自分が何を考えていたのか、何をしたかったのか、どんなことに興味を持って生きてきたのか、そしてそうしたことの積み重ねで今の仕事を選ぶことになったかが、ものすごくクリアに、そして一直線上に乗っかっているのが見えてきた。
そこには、とても熱い思いがあることも思い出すことが出来た。
そうだ。
自分はこんなことを考えて、世の中を見て、そして考えて、どうすればいいかを考えて生きてきたんだ。
そんなことが見えたのだ。
このことは、また機会があれば書こうと思う。
しかし、それに気付いたとき、あれだけイヤだと感じていた仕事について、改めて良いところがあることに気付くことが出来た。
とても尊い理念があるじゃないか。
それを一所懸命に取り組んできたんじゃないか。
なにも、自分が取り組んできたことは意味のないことじゃない。
自分で、そう思うことが出来たことで、仕事のことに対しての怒りやいらだち、悲しみといったものが溶けて小さくなっていった感じがある。
おそらく、仕事をすることの意義みたいなことを持っていたのに、それを過剰適応で目の前のことに合わせようとしすぎたために、心身ともにストレスでいっぱいになってしまったのだ。
その構図が見えてきた。
ならば、今の仕事を続けるにしても、別の職場に移ることでストレスについて小さくなるかもしれないし、また今の職場や仕事ではなくても、別の角度から関わることが出来るということも見えてきた。
手段を変えても良いんだ。
その考えにいたることが出来たのは、昨日の集団認知行動療法による大成果といっても過言ではない。
この夏の大きなストレスが一つ、認知を変えるだけで、そしてこれまでの自分を見つめ直すことが出来たことで、小さくなった。
この夏、休職してリハビリに通う選択をして、本当に良かったと思える出来事だった。
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