集団授業、先生は辛くないのだろうか?
「次、ここから読んで」
先日、授業参観があった。
その日は国語の授業で、クラスの子供達が1文づつ順番に物語を読む事になっていた。
その中に、授業開始前からずーっと「学習漫画」をブツブツ言いながら読ん
でる子がいた。
休み時間が終わり、保護者が続々と教室へ入ってくる。
それでも後ろの様子を全く気にする事もなく夢中になっている。
その子は授業が始まってからも、ずっと漫画を読んでいた。
机の上には漫画しかない。
先生も勿論気が付いている。
だけど、そこに触れない。
何か特別な事情があって、「座っているだけでいい」という扱いなのかな?と思いきや。
その子に「読む順番」が回ってくると、先生が机の中から教科書を出して読む場所を指示していた。
その子も、そう言われたら読む。
だけど自分の読む番が終わったら、また教科書をしまって漫画を読み始める。
何だろう、これ?
その子がどうこう…と言うより。
「集団授業」というスタイルに益々疑問を感じてしまった。
授業はノートを書くためにある?
その日の国語の授業は、物語を読み読解をする授業だった。
「〇〇さんは何の仕事をしてるかな?」
「〇〇さんは何のために、これをやったのかな?」
と、お話ドリルの様な本文から答えを見つけて子供達が手を挙げて正解を発表する…という内容。
約6ページの物語のうちの1ページを1時間の授業を使って読解していた。
正直、先生の問いに対して答えるだけならこんなに時間はかからない。
どちらかと言うと、殆どの時間は「ノートを書く時間」だった。
「今日の目当てはコレです。書いた後に赤鉛筆で囲ってね」とか。
「今日のまとめは青鉛筆で囲ってね」とか。
「書き方」に対して細かく指定される。
一体これは何の授業なんだろう?
この「ノートに書く」という行為にかかる時間に、バラつきが多かった。
漫画を読んでいた子は一切書かない。
漫画を読んでいなくても、ノートに一向に書き始めない子もいる。
ノートに書かない子供に対して先生が毎回近くまで行って、同じように書くように指導する。
授業中「先生に言われるまでノートを書かない子」は2~3人いた。
忙しすぎる先生
「ノートを書かない子」は2~3人だったけど、「ノートがない子」は5人以上いた。
ノートを忘れたとか、ノートが終わってしまったとか。
授業開始直後だけではなく、授業の真っただ中にバラバラと「先生ノートがない」と申告してくる。
ノートがない子は、教室の後ろに設置されている「枠がコピーされた紙」で代用するルールの様だ。
皆真面目なのか、勝手に取りに行くのではなくいちいち先生へ申告してから紙を取りに行く。
なので、毎回授業が中断される。
あまりにも頻繁なので先生も若干イラっとしている様に見受けられた(笑)
他にも授業中に教室の中を歩きだしたり、窓際にはこっそりカーテンに隠れて遊んでいる子もいた。
先生は、国語の授業なのに絶えず教室の中を歩き回っていた。
「前で授業をする先生」と「見守り役の先生」という二人体制でやるのがデフォルトでも良い位の負荷じゃないだろうか??
幼児教室だって、生徒が4人以上の時は先生は必ず2人配置されていた。
目的が達成できれば良いのでは?
前回、算数の授業の時もモヤっとした。
我が子が歩き回ったり、マンガを読んでいるよりは、真面目に座って授業を受けていた方が親としては安心する。
だけど、歩き回ったり漫画を読んだりしていた子は、もう十分理解しているのかもしれない。
結局のところ、この日の授業は「読解」なのだ。
みんなで一緒に考えなくても、「物語の中から答えを探す」という行為は楽勝なのかもしれない。
ノートに書かなくても分かるのかもしれない。
もし、そうだとしたら子供達にとってこの「集団授業」という時間はとてもシンドイのではないだろうか?
そして先生だって、そういう子の所にイチイチ指示をしに行くのはシンドイのではないだろうか?
高学年になると落ち着いてくると言う。
だけど、その「落ち着く」というのは本当に良い事なんだろうか?
退屈な時間を適当にやり過ごす術を身につけているだけじゃないか?
そして「学校が合わない」と感じた子が不登校になった結果ではないか?
「我慢を覚える事も大事」
それは分かる。
だけど、義務教育期間だけでも9年間。
9年間も毎日「我慢」しなければいけないのだろうか?
本当にこんな感じで「学ぶ事は楽しい」と思えるのだろうか?
先生を責めたいわけじゃない。
学校を責めたいわけじゃない。
一体誰が、この100年以上変わらないスタイルを貫き通したいんだろう?
毎回モヤっとする。
今日も有難うございました。