教育委員会が議論している間に、子供は成長してしまうというジレンマ。
「一部の関係者だけで作ったプランではなく、みんなで作ったと思えるプランにするべきだと思うんです」
先日も記事に書いた通り。
私は趣味が行き過ぎて、とうとう市の教育委員会が実施する「総合教育会議」を傍聴してきた。
その日の議題で「時期教育計画の策定」というモノがあった。
その話し合いをしている時に、委員の方から出てきたフレーズ「みんなで作ったと思えるプラン」が、とても気になった。
えっ、それってかなり難しいよね…。
先日の記事への反響も含めて、難しさを感じる理由を整理してみたいと思う。
物理的に無理
こちらの記事に、学校の先生(元も含めて)もコメントをして下さった。
そのコメントに「決定事項がおりてくるのみ」というモノがあり、妙に納得してしまった。
趣味でこんな所に首を突っ込んでしまう私も、自分の勤める会社の「経営戦略会議」なんて見た事がない。
社員数が1万人以上いて、経営陣が何を考えて方針決定に至るプロセスを知らない。
私も同じように「決定事項がおりてくるのみ」なのだ。
勿論、会社の経営戦略会議なんて非公開なので見る機会もない。
(公開されたら聞きに行きますとも)
でも何よりの原因は、やっぱり「階層の深さ」だろう。
実際に、私の住む市は市全体で小学校の教員が約5千人いる。
その5千人の中には、管理職、担任、定年後再雇用等色々な「立場」の方がいる。
世代だって20代から70歳近くまでの方がいる。
工藤勇一先生みたいな教育観に憧れる人もいれば、金八先生みたいな熱血教師や、ガチガチの管理教育をしたい人もいるだろう。
このバラバラで膨大すぎる関係者が「みんなで作った」と思えるプラン。
これは、相当な難題だと思う。
「意識高い系」の意見?
資料には、時期教育計画の策定にあたって実施したアンケートの回答等が掲載されていた。
当日は気が付かなかったけれど、よく見るとアンケートの回答率が物凄く低かった。
インターネットを使用したアンケートの回答率はこんな感じだった。
6割の教員、保護者7割が「無回答」。
無回答の人の真理は分からない。
回答したところで反映される気がしないのかもしれない。
または、単に余裕がないのかもしれない。
ネットの他に、対面でのアンケートも実施されていた。
この対面の場に参加するのも、ほんの一握りの人だ。
一部の例を出すと。
小学生は、約12万人いるうちの300人。
先生は、小中合わせて約7千人いるうちの900人。
その他、PTAの会議に参加した人16人。
これって全体から見たら、物凄く少数の意見交換。
特に保護者の中で「PTAの会議」に出てくる16人なんて、とてつもなく意識高い保護者だ。
でも、大事なのは「意識高い系」じゃないほうの意見ではない?
毎日が忙しすぎて、学校教育どころか子供にも向き合うゆとりがない人。
子供が不登校で、学校という存在と距離を置いてしまっている人。
公立に期待を持てず、「暇つぶし」「子供の預け先」程度に考えている人。
私立に目が向いている人。
特に不登校の子がいるならば、その子供や保護者の意見こそ大事じゃない?
「なぜ選ばれないのか?」「何が嫌なのか?」
そういう所に向き合わずに、学校の活動に意欲的な人だけで意思決定をされる事がズレていく原因な気がする。
スピード感のなさにびっくり
何よりも驚きなのは、この「時期教育計画の策定」を2年がかりで行って、今後10年間の指針にするという事。
いやいや、2年間話し合っている間に子供はどんどん成長してしまうよ💦
特に「10年間の指針」という考え方にびっくりしてしまった。
10年後なんて、本当にどんな時代になっているか分からない。
そもそも、これは何を策定しているの??
改めて資料を読み返してみると「基本理念・基本目標」の検討に向けて、意見聴衆をしてるとの事。
だからなのか、生徒、保護者、教員から出てきた意見は「キャッチフレーズ」的なモノが多かった。
イヤ、身につけて欲しいと思うよ。
身につけて欲しいけど、このキャッチフレーズ的な「目標」って2年がかりで検討する様な事なのだろうか?
トップダウンで意思決定ではなく、「みんなで考えよう!」とする。
その方針は一見すると、素晴らしく思える。
だけど、みんなで考えても1つにはまとまらない。
それこそ「多様性」であり、一人一人、家庭ごとに「指針」がある。
「ガチガチの管理教育の方が、自分には合う」
「自由な発想で取り組みたい」
色々な考え方の子供が、自分に合う学校をチョイスできるような環境を作る方が近道だし、市として魅力的な気がする。
私立へ向かう気持ちが分かる
結局、公立って階層が深すぎるのだ。
文部科学省→都道府県教育委員会→市町村の教育委員会→学校
うーん、子供までの距離が遠すぎる。
過去に、私立小学校の先生の講演を聞きに行った事がある。
その中でICT教育に関する話題がとても印象的だった。
だからこそ、私立は先生の力量がとても試されていると思う。
逆を言えば、「公立は先生の裁量でできる事が少なすぎるのでは?」とも思う。
この前も3時間授業参観があり、フル参観をしてきたけれど。
1時間目に長男のクラスで行われた「人権」に関する授業が、次の時間に他のクラスでも行われていた。
その「授業の進め方」が完全に同じなのだ。
まるで台本があるのか?って位、同じ様に進行している。
これって、当事者である先生はどう感じているのだろう?
「自分だったらこういう風にやりたい」みたいなモヤモヤとか、抱えていないだろうか?
結局、こういう所だと思うんだよな。。
どんな教科でも、テーマでも。
先生が、自分のクリエイティビティをフル稼働させて授業ができたら「やりがい」を凄く感じられると思うのだ。
「先生になる」という事は、先生の中にも「理想の教師像」とか「理想の教育」とか、「こんな授業がしたい」みたな想いがきっとあるだろう。
でも、それを国、市町村、学校の方針でガチガチに台本作られたら、ちょっとつまらなくないだろうか?
だからこそ、文部科学省の方針から大きく外れないものの。
学校という顔が見える範囲で、色々な取り組みを決める事ができる。
教科担任制等で、日中から先生が「空き時間」を持てる。
そういう「私立の学校」の方が、良さそうだ!
そんな風に思う親は、沢山いるだろう。
(多分、私もその一人だ)
でもさ、だからと言ってさ。
日中の8時間位を公立小学校へ通わせて、17時から21時まで塾へ通わせて…みたいな。
「子供の人権どこいった?」的な受験が当たり前に行われる。
これって、どうなのよ?と思うのです。
いや。
単なる趣味?ですよ。
教育関係者でも何でもないです。
政治家とかでもありません。
だけど、この仕組みに対して自分は何かできる事はないのか?
長男も来年小3になってしまう。
もしも受験をするなら、やっぱり色々と方針転換が必要になる。
教育計画2年かけて作っている間に、子供はどんどん成長してしまう。
私は、保護者として何ができるのか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
うーん、誰か良いアイディアがあったら教えて下さい🙇♀️ ←他人任せかよ(笑)
今日も有難うございました。