見出し画像

【拒食症実体験記録】病の実態 運動脅迫・精神科入院~回復過程


16?cm 3?kg

当時のメモより

机の奥から分厚いメモが出てきた。

なんだろうと思ったら

あのときの記録が

びっしりと綴ってあった。

書いた覚えない、、、

でも確かに私の字であった。

見てたら泣きそうになった。

書いてあったことを

ここに綴ります。

↓↓↓↓↓↓

小6の頃、痩せていたのに

太っていると思うようになりました

今思うと、

家庭環境などが原因で

自分の存在の意味が

ないと思っていたこと

学校や家でのストレス

中学生になる不安などが

原因だった気がします。


小6の終わり頃に拒食症を発症しました。

お菓子抜く→炭水化物を抜く

→全体的に抜くようになりました。

ここまでが小学6年生まで。


中学になると環境の変化+勉強。


特別元々の頭が良い訳でもないのに

テストでは常に上位をとっていましたが、

勉強がくるしくてストレスでした。


中1の2学期、

激しい運動を始めました。

登下校は遠回り。

学校では、

休み時間もトイレでスクワット。

授業中もお腹や足に力をいれる。

米をナフキンに包んで捨てる。


家でもひたすらに運動。


かばんに教科書を全部詰めて、

20キロ以上のかばんを背負って登下校してました。

ヘルパーのおじさんに登山みたいと言われるほど詰め込んでました。。

はや歩きや、つま先立ちは当たり前。


痩せて体力がないときに

追い討ちをかけるように体育祭があって。

常に筋トレ+ハードな練習に耐えました。

「私は全然、運動してない。

他の部活の人は

もっともっと動いてる、

もっともっと頑張らないと」

って思ってました。

でも今考えると、

痩せる前から

ほんとうに体力がない人間だったから

運動部活の人と比べること自体

おかしかった。。


低血糖、低体温、睡眠障害、

筋肉はほぼなくなっている限界の状態で

1日中運動をしていました。


運動と食事制限は

どんどんエスカレートしていきました。

食べたらすぐに、狂ったように運動。

そのうち、食べられていたトマトなども食べられなくなりました。

助けて、死にたい、苦しいとさけびました。

親に止められても振り払って運動。

睡眠障害で寝つきが悪くて

それでいて五時にはおきてたから

すごく眠かっただろうけど、

もはや麻痺してた。

朝からラジオ体操とスクワットを永遠に続けてました。


とうとう入院。

入院嫌だって泣きました。

運動したい。

学校いきたい。

家帰りたい。

どれだけ体重増やさなきゃ退院できないの。

もういやだ。。



入院して最初の1日を終えて

「うんどうしてない!いっぱいたべた!一週間で出られますか😭」

って言ったことを覚えています。

でも相手にされず、

冷たい看護師さんから

「運動してたって聞きましたけど。」

って言われてギャンギャン泣きました。

あきれられてる感じが伝わってきて辛かったです。

私にとっては運動我慢してたのに。

誰もわかってくれないんだ。

私の話なんてちゃんと聞いてくれないんだ。

一生出られないんだ、ここから。

そう思いました。


ご飯のとき、

米をはしでペチャンコにして、

食べて少なくなったように見せて全てを残している私に向かって

「いっぱい食べてね(笑)(笑)」

ってばかにしたように言ってきた

男性看護師のことを今でも覚えています。


その看護師は、私に

「スクワットやりすぎ笑」

って言ったんです。

私はよし!とおもいスクワットを頑張って止めて、

「運動我慢してます。」

っていったら、

「運動してるじゃん。ほら、なんで立って力入れて動いてるの。おかしいよ。それじゃーだめだよー(笑)(笑)」

って言われました。

なんで?これでも我慢してるのに…わかってくれないの?

悲しくて、辛くなって部屋に戻ってスクワットを100回ぐらいやったな…。

あんなふうに人の気持ちに寄り添えないような人だけには

絶対になりたくないと思いました。


でも逆に、

「主治医のせんせいと話させてよ。どうしたらいいの。」

と言ったとき、

寄り添って話してくれた

優しいかたもいました。

その看護師さんは、

私をバカにしたりしなかった。

思いやりを感じました。


看護師さん「大丈夫だよ。そのうちゆっくりよくなったら、必ず退院できるよ。

そんな長い時間なんてここにいないから。中学生なんでしょう。

学校もあるし、早めに退院させてくれると思うよ。」


私「ほんと?一週間で出られますか。」

看護師さん「うーん。それはわからないけれど、症状がよくなったら。」

私「もう我慢してるよ。よくなったよ。出たいよ。」

看護師さん「主治医のせんせいと明日とかに話させてもらう?色々思ってること話しなね。」

私「今日がいいです…(号泣)」

みたいな。(苦笑)

私はパニックになってたから、人が変わったように

わがまま言ってしまった。

でも、それでも

こんなに優しくしてくれたんです。

心が傷つかない会話でした。

凄く嬉しかった。



でも、だいたいの看護師は

ひどかったです。


私「先生と話させてください😭」

看護師「きょうはむり!今から看護師同士の話し合いだから(バタン)(扉を閉められる)」

私「その話し合いで、私 運動なんてしてなかった、落ち着いてたって言ってください…退院できますか…?(号泣)」

看護師「(無視)」


みたいな感じで

辛かった…。

入院中の運動内容は、

・ラジオ体操×10回

(ラジオ体操は1日三回まで!ときつく言われていたのにも関わらず)

・常に全ての力を込めたはや歩き

・15時間以上たちっぱなし

(常に息切れ、低血糖でいつ倒れてもおかしくなかった)

・スクワット×300回以上


たちっぱなしでつま先立ちで

体に力をいれている状態でも

《運動をしていない状態》。

最低でもこの状態。

(まあ、この状態でいることは

ほぼ無くて、

ほとんどの時間

ずっと歩いていたけど…。

運動を頑張って抑えていてもこの状態。

看護師には

「運動してるじゃん。」

といわれて苦しかったです。)


酢の物に砂糖が

入っていたことに気づいて

絶望しながら必死に

スクワットしたときもありました。

スマホもゲームも一切しなかったです。

もし今病院にいたら、スマホしたり

みんなと趣味の話したりすると思います。

でもそれが全くできない状態で、

運動しかしてなかったな。

夜の8時から9時までは

頭の糖分を使うために勉強してたな…

みんなが集まるところに座って。

でも、体に力を入れたり

30秒に一回ぐらい立ったりしてて、

だからほぼ勉強はできませんでした。。

しかも極限状態で勉強なんてできるわけがなくて、

問題を解いても間違えだらけ。。


常に汗をかいてました。

1日に下着を10回くらい交換してました。

運動していないと、

寒くて死にそうでした。

厚着したり、下着だけになったり。。


体温は常に37度6分とかでした。

本当はじっとしてたら低体温なんだけど、

検温の前にも常に運動してたから。。

それに体温が上がると痩せやすいことを知っててわざと厚着してたから。

でも暑くて暑くて、苦しかったです。


ある夜、病院のトイレで、

柵はあったけど窓が空いてることに気づいたの。

外の空気を一瞬吸ってみたら、

驚くほど気持ちよかった。


涙が止まらなくなっちゃって。

普通になりたいと思った。

でも、無理だと思った。

悲しかった。



親が面会に来て、

油や砂糖不使用の食べ物を

持ってきてくれる時間が、

気がつくと唯一の楽しみになっていました。

「明日は面会にこれないんだ。ごめんね。」

そういわれたときが一度だけありました。

はっきり言って、辛かった。

面会のとき以外、

ずっと運動してたから。

ずっとずーっと、

独りで。孤独で。

運動止められない

止まらない

止めてはいけない

そう思っていたから辛かった


病院で運動を無理やり止めさせられたとき、

ないてあばれました。

無理やり薬飲まされて怖かった。

薬のんだからか、その時は

「落ち着いたね」

って言われました


そういえば、

先生や友人から手紙がきたときは

泣いて喜んだな。。


外出っていうのが

二時間ぐらいできるって言われたとき、

泣きました。嬉しすぎて。安心して。

永遠にこの病院にいるのかなって思ってたから。

ほんとにほんとに不安でたまらなかったから。

一週間なにも食べてなくて

水だけ生活はもう限界で

ふらふらくらくらで

ぼーっとしてて視界も狭くて

記憶もほぼ吹っ飛んでて

絶望しかなかったわたしに

希望の光がさしこんだかんじでした。


外出中は、

車でもじっとできなかった。

座ってるだけというのが耐えられなかった。

パニックになって、

母の肩を

水筒で殴ってしまいました。

車のなかで母は

「痛い。」

と悲しそうな声で言いました。

私は泣くことしかできませんでした。


入院して初めての外出で行った

イオンでは、

たくさん歩きました。

「こんなんじゃ、運動 足りない(泣)」

といいながら。

完全に変人、異常者でした。

(病気だから当たり前だけど…)

でも食事、刺身と野菜だけとかだったけど食べられたし

コーヒーも飲めたし、

何よりも外出できたことが

嬉しすぎて幸せでたまりませんでした。


外出後は私は必ず落ち着き、

運動も減りました。

だから主治医の先生は

たくさん外出させてくれました。


外出のあと、

「このまま外泊いいですか?」

と母が言って、

「え??!」

ってなりました。

ついに家に帰れると聞いて、

涙が溢れて止まらりませんでした。

心が不安から安心へと変わりました。


ずっと食べていなかった食事。

でも、安心してお腹すいたのを覚えています。

(それまでも、何も食べてなかったから勿論お腹はすいてたけど…。

食べていい、という気持ちになった、ってのが正しいかな?)


車のなかで、

「なにか食べたい」

といいました。

すると面会のときに

私が食べなかったものを出してくれました。

私は玉こんにゃく2玉とほうれん草を食べました。

私は太りたくないから

6時以降何も食べないと決めていました。

でもその時は、

7時だと知っていたけど食べられました。

なんで今まで食べなかったんだろう。こんなにお腹すいてたのに。

っておもった覚えがあります。


しかし、

家でも地獄は続きました。


夜は特に精神不安定で。。

泣き叫び、不安になって

たくさん運動してしまいました。

おもいっきり壁をなぐったこともありました。

頭で考えることができなくなってたな。


後から分かったこと、

栄養が無さすぎて脳が縮んでいたらしいです

よっぽどヤバい状態だよね。。

こんな感じで家でも拒食症の症状が強かった私ですが、、

少しずつリラックスしていくにつれて徐々に運動が緩やかになっていきました。


緩やかっていっても、

つま先立ちで立ちっぱなし。

+スクワット50回。

+ラジオ体操何回も。

ぐらいだけど…ハード…


食事も前よりはとれるようになって、

ついに

食事の時間だけだけど座れるようになりました!!

今までは食べるときでも

怒られても

悪いとわかっていても

どうしても座れなかった。

すごい一歩だった


初めて家で座れたときの動画

たぶんのこってるかも。。

お風呂は大変でした。

変な汗かくし、寒い!あつい!みたいな、(苦笑)


そのうち、だんだんと

はや歩きじゃなくて

ゆっくり歩けるようになって、

公園で自然を感じれるぐらいまで回復しました。

からだの疲れにも気づけるようになりました。

それまでは、疲れにすら気づけない危険な状態だったな。。

疲れに気づけるようになってからは

あちこち痛くて

寝たきりになりました。。

副腎疲労、

筋肉ほぼゼロ、

体力もない、

一時間ごとに食べないと倒れそうな状態、

低血糖、

若年性更年期障害、

自律神経失調症など

色々あってだるくて苦しかったです。


でもそれを耐えたらついに

学校に行けるくらい回復しました!


1年7組にはいると、

「(私)ちゃん!」と友達が迎えてくれました。

でも体力がまだ回復していなかったので、

一時間で帰りました。

階段もキツかったです。

一回行ったら何週間も休んでたし。。

でもそのうち長い時間行けるようになりました。

実技教科が好きだったから

本当は音楽とかの授業行きたかったけど、

勉強が遅れちゃう、と思って

五教科を優先して受けにいってました。

家でも拒食症で休んでたときの

テストとか全部やってました。

(今思うとほんと真面目だったよなぁ。苦笑)


給食は食べる前に帰ってました。

どうしてもね…。

でもやがて給食

食べられるようになったよ!

1年生のうちに!

ついにここまできたなと思って!

嬉しかったです!

時間かかったな…((T_T))


2年生になった頃には、

登下校ぐらいしか運動しなくても

なんの罪悪感もなくなりました!

前までは、

お米ですら食べられなかった。

6時以降は

何も食べないと決めてた。

なのに、2年生の5月には

揚げ物を8時に食べられるようになりましたww

完全快復。。よかった。。


この記録?を読んでくれてありがとうございました。


↑↑↑↑↑↑↑↑

って書いてありました。

私にとって大切な記録だと思ったのと、誰かにとっての参考になればと思い、ここに公開させていただきます。

この後は、2年生の冬休み前後から希死念慮が強くなっていき、また精神状態が不安定になっていったのですが、そのお話はまた別の機会にするかもしれないし、しないかもしれません。

重い内容でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。_(..)_

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?