陰謀論ではない世界の終焉の話が読みたい人向け
今回は、文明社会の崩壊について書く。
言わずもがな。どんなに偉大に見える文明社会でも、人類史上、終焉をむかえたことがある。
正直言って、我々の世界はますます醜くなっている。限られた資源をうばいあい、「身内」以外の人々を拒絶し、戦争の継続を許している。人類は、持続不可能な道をつき進んでいる。
私たちは、後戻りできない地点にどれほど近づいているのだろうか。
科学者らは、地球規模や地域ごとの崩壊の可能性と、そのメカニズムを理解しようしている。もちろん、それを食い止めたいという想いからだ。
2014年に発表された、ある研究によると。重大な要因は2つある。
生態学的緊張 と 経済的階層化。
生態学的カテゴリーでは。地下水・土壌・漁場・森林などの自然資源の枯渇という点で、我々は潜在的な破滅への道を歩んでおり。これらは全て、気候変動により悪化する可能性があると。
経済的カテゴリーでは。それ自体で崩壊につながる可能性があり。世界のごく一部が莫大な富と資源をたくわえていることは、社会を不安定にし崩壊をまねくと。
より具体的には、こんな感じだ。
超富裕層が、労働力で彼ら彼女らを支えている庶民に、(自分たちよりはるかに数が多いにもかかわらず)ほとんど何も渡そうと/残そうとしないことから、それが起こる。富や資源がじゅうぶんにわりあてられないため、労働人口が激減する。労働力不足により、最終的には、彼ら彼女ら自身も崩壊する。
このようなことを科学的に予測している者がおり、それを懸念した者たちが労働の機械化を急いでいる可能性は、大いにある。
ネットで見られる文章の多くは、考え足らずなのかわざとなのか、原因と結果をその逆の前提で話す。
人間の大半が消えた世界で、あなたの代わりに稼働 = 労働し続けるマシーンの音が、聞こえるか。今までどおり、もしくはそれ以上に、草木は輝き鳥たちはさえずっている。そんな早朝だ。霧雨の中、ゴミを回収するロボットが見えるか。
国内および国家間に見られる不平等は、大きな格差が存在することを示している。火を見るより明らかだ。
世界の人口の約半数が、3米ドル/1日未満で生活をしている。
崩壊の影響を真っ先に感じることになるのは、世界の最も貧しい人々だ。彼ら彼女らは、すでに、炭鉱のカナリア状態だ。
崩壊は回避も可能である。持続可能な軌道に戻ることもできる。と、私などは信じているが。
残念ながら。決断の難易度は私たちの政治的・心理的能力を超えている、と考える専門家もいる。
気候変動の専門家の見解例。「今世紀中に、気候問題を解決する機会に立ち向かうことはできない。それは単に、これまで通りの行動を続けるよりも問題を解決する方が、費用がかかるからだ」
1999年国連UNEP「生物多様性を保つことはすでに手遅れ」。2003年米ワールドウォッチ研究所「大絶滅時代に突入」。
私たちが修正不可なレベルに入りつつあることを示す、1つの兆候。それは非線形性だ。世界の秩序における突然の予期せぬ変化が、増加していることである。
歴史上の文明社会の崩壊は、多数の要因が重なった結果である。大きな地震が発生する前に、長い年月をかけて地下で起こっていることのようにだ。
見方を変えれば。過去は、未来がどのように展開するかについて多くのヒントを提供してくれるもの、ということでもある。
西ローマ帝国の崩壊から得られる、重要な教訓の1つは、複雑さには代償がともなうということだ。
紀元前1世紀の終わりまでに、ローマ人は地中海全域に勢力を広げていた。そのくらいで止まっておけばよかったのだろうが、物事は順調に進んでしまった。
彼ら彼女らは、陸路で新しいフロンティアに進出した。
海路での輸送は経済的だったが、陸路での輸送は遅くて高価だった。無理に手を広げることで、その間ずっとコストをふくらませていった。
それでも、数世紀はなんとか安定していた。その影響は、内戦と侵略に悩まされもした3世紀に現れ出した。
軍隊が予算を食いつぶしていった。増大する経費をまかなおうと、銀貨の価値を下げた。すると、インフレが高まってしまった。そんな中で、中核となる領土を維持しようとしていた。
ゴート族にローマを陥落された410年が、西ローマ帝国崩壊のはじまりだと。たしかにそうなのだが。それでもいちイベントにすぎない。より正しくは、1世紀以上にわたる下降スパイラルの結果だ。点と線の違いと言うか。
このことを解説するのに必須なのが、アドリアノープルの戦い(378年)の話である。
低い丘の上に陣取り、荷馬車の後ろに待機するゴート軍の歩兵。その下の平原に展開しているローマ軍:中央に歩兵・両翼に騎兵。
8月の日中。強い日差しと、ゴート軍の放つ弓矢が降り注ぐ中。疲れた体にムチうって、この丘を登ってくる。そんなローマ歩兵を想像してみてほしい。ぜぇぜぇ言っていそうでしょう。
ベストなタイミングで、(他所での戦闘を終えた)ゴート軍の騎兵が合流した。自軍の進行がまきあげる砂塵で、ローマ軍はその到来に気づくことができなかった。
騎兵戦では、勢いが最も重要だと言う。不意をつかれたローマ軍は、あっけなく敗北した。
これは私の空想話ではない。
アミアヌス・マルケリヌス「飢えと渇きで衰弱し、装備の重圧を感じていたローマ兵を、空高く昇る太陽が焦がした。混乱の現場で、歩兵に計画を立てる力は残っていなかった。塵が舞いあがり空を覆った。敵の弓がとんできているのが見えず、避けることができなかった。叫び声が響きわたった。蛮族が兵士たちを踏みつけていた。我々の隊列は粉砕され、秩序ある退却は不可能となった」
この戦いは、ローマ軍の終わりの始まり的に表現されることがある。YES とも NO とも言える、微妙なラインだ。
ゴート軍は翌日、アドリアノープルの町を攻撃した。しかし。この日は、守備隊と住民が力をあわせて、ゴート族を追い返すことに成功している。
蛮族が我々を……と、ローマ人の精神にとって、たしかにトラウマ的な出来事だったのだろうが。ゴート軍はローマ軍に対して、技術的な優位性をもっていたわけではない。あったとして、先ほど書いたような「勢い」だ。いや、重要なポイントなのだろうよ。
アドリアノープルでと言うよりもあの丘で、勝利したことで、ゴート族の国家(?)がローマ帝国の境界~ギリ領土内に存在し続けることに。→ 西ゴート。(フン族の臣民として故郷に残ったゴート族を、東ゴートと呼ぶことになった)
ローマ人は西ゴート人に、同盟者の地位を与えてみたが。略奪的な性質(ローマ目線で言えば)はおさまらず、帝国を繰り返し侵略した。最終的に、410年にローマを略奪した。
アドリアノープルの戦いの真の遺産(ゴート目線で言えば)は、これだ。
ここまで広くとらえて、はじめて。アドリアノープルの戦いでの敗北は、西ローマ帝国崩壊の原因だったと言える。
自分たちが腕力で劣る存在を見ると、相手の知力を腐す傾向があるのが、西側ムーブだ。
3つ目の巨人キュクロプスの神話は、そのことをよく表している。
「日本人ほど、生まれつき自然に対する愛着が強く、それが広まっている民族を見たことがない。季節特定の花が最高の美しさになる時、それを眺めるためだけに、全国民が外出するのだ」ウォルター・ウェストン
うーん……。日本人の花見には、いろいろな要素があるのだよ。あなたたちが圧倒的武力で追いやったネイティブ・アメリカンこそ、自然に対する愛着が強かったじゃないか。
「日本を旅行する時、婦人たちのやさしい手助けなしには、一日たりともすごせない。彼女たちは、いつも笑顔を絶やさない。外国人の客がどんな不合理なことを言っても、朝であろうが夜であろうが、言いつけを喜んでしてくれる」ハーバード・ポンティング
笑。ヤバい文章だな。
「世界中のいかなる国民でも、礼儀という点で、日本人に優るものはない。身分の低い百姓から身分の高い大名に至るまで、大変礼儀正しい」エンゲルベルト・ケンペル
「日本には、礼節によって生活を楽しいものにするという、普遍的な社会契約が存在する」エドウィン・アーノルド
この2つは、限りなく真実に近いだろう。かつ、今回の話にも関連があると思う。
ローマ帝国が分裂した原因は、ざっくり言って、内政不安や他民族からの外圧による弱体化だった。数十万人のゲルマン人が帝国内に入ったことによる混乱も、関係あった。
東西分裂は、東方正教会とローマ・カトリックを発生させた。これも分裂だ。キリスト教の国教化から、3年しか経っていなかったのもあり。
東方正教会:拠点はコンスタンティノープル。東ローマ(後のビザンツ)皇帝が教会のトップとなったため、政治的権力と宗教的権力が完全に結びついた。スラブ民族に多く広まった。現在の例)ギリシャ正教会、ロシア正教会など。
ローマ・カトリック:拠点はローマ。初代のパウロから続くローマ教皇が存在していたため、政治的権力と宗教的権力は(東方正教会よりは)離れていた。カトリックとは、普遍性という意味。
お互いがお互いを破門するという形で分裂。「お互いがお互いを破門」のパワー・ワードよ。1965年まで「和解」しなかった。
西ローマ帝国の話を終わらせよう。
3世紀まで。後退を防ぐために、2倍の軍隊を使用した。それぞれに官僚機構などを必要とする、属州を増やしていった。
帝国を滅ぼしたのは、結局のところ、戦争ではなく財政の誤ちではないか。点でなく線で考えると。
複雑なシステムを秩序立った状態に維持するには、「エネルギー」が必要である。人間社会も似たようなものだ。
西ローマ帝国は、高度に複雑化した状況に対処するよゆうを失っていた。繰り返す。複雑さには代償がともなう。
現代は、化石燃料や産業技術を通じて、同様の崩壊トリガーをおおむね先送りできている。
だが。いずれ、問題解決戦略としての複雑性への投資は、収益が減少するポイントに達するだろう。
財政の弱体化が何をまねくか。前段までに書いてきた。
化石燃料に依存して社会を運営すること。それに代わる、複雑性に対する支払い方法を見つけない限り。終焉をむかえる。
今回は、わざと断定口調で書いている。そういう回にしたくてしている。
貧しい国が先んじて崩壊すれば。大量の移民が流出する。彼ら彼女らは、(今のところはまだ)安定した国へと避難することになる。
すると何が起こるか。想像にかたくない。
移民を制限や禁止し、莫大な費用をかけて “壁” を設ける。現実的に言うと。国境警備用ドローンの導入や、入国者への警備強化などだ。
まるで、免疫学的試みのように。
より権威主義的な統治スタイルで、対応するようになる。
ちなみに。これ系の崩壊は、米国よりもヨーロッパで先に起こるだろう。陸続きな方がね……。
二階級社会。
少数のエリート層がよい生活をおくり、大多数の人々の幸福度が低下する。
不満や恐怖を抱くほど、自分たちの集団のアイデンティティーに固執するようになる。否定的な感情を常日頃もつことは、証拠にもとづく事実の拒絶を生む。
たとえば。ありとあらゆる問題の責任は、自分たちの集団以外にあるとみなし、四方八方にうらみをつのらせてしまう。
これで、集団暴力の心理的・社会的条件がそろった。
現状すでに、崩壊を避けるのは難しいように見える。上記をコンプリートしているからなぁ。
ディストピア作品の話も後でする。
ヨーロッパは、案外、暴力的で劇的な終焉をむかえないかもしれない。もっとひっそりと、ただ消滅していくかもしれない。
徐々にとるに足らない存在になっていき、近隣に吸収されるイメージだ。
小規模なものから、そうなっていく。
考古学者・歴史学者・複雑系科学者のグループが、前近代国家(紀元前2000年~西暦1800年の324の国家)を分析した。
国家の死亡率データ・セットを作成し、ギリシャ神話の運命の神にちなんで、 Moros と名づけた。
古い研究では。国家が消滅する可能性は、1年目と100年目で、同じだったそうだ。飲食店開業の話みたいだな。直感的に、理解できる気がする。
ところが。新しい研究で出た答えは違った。消滅のリスクは、最初の2世紀にわたって上昇し。その後は、高いレベルで横ばいだった。
そのデータ・ベースで得られた国家の平均存続期間は、201年だった。文明の賞味期限か。もはや、多少エモいな。
世界は今や、ハイパー・コネクティッドだ。インターネットの普及で、各所の悲劇を「間近で鑑賞」できるようになった。
米国のような超大国の不安定さは、間違いなく、国境を越えたドミノ効果をひき起こす。
サンゴ礁のように密に相互接続された生態系は、小さなショックを緩和する効果は高いが、大きな打撃は増幅して拡散させる傾向がある。
SNSを見れば。私の話が荒唐無稽ではないと、わかってもらえるだろう。サンゴ礁なんだよ。
OpenAI と Neurallink と Epic Games は、米ユニコーン企業だ。
Brain - Machine Interface(BMI)。読んで字のごとく。マシーンの部分がコンピューターであれば、BCI と言う。
マスク氏。2015年に立ち上げた OpenAI(創立者は他に何人もいる)だが、3年後に役員を辞任。AI開発一時停止リストに署名をしたのが2023年で、その4ヶ月後には xAI を設立。コントか。
一応、彼の言い分はこうだ。ChatGPT は、社会的正義を重視するエリート主義(いわゆる Woke)に傾いている。OpenAI の利益追求の姿勢は、人類のためになるオープン・ソースのAIを開発するという、本来の使命を忘れている。
本音半分・パフォーマンス半分といったところか。私は、アルトマン氏とマスク氏のこれまでの関係性に、詳しいつもりだ。
アルトマン氏のおかしさをじっくりと書くには、回を改めねばならない。
ニューラル・ネットワークの研究でノーベル賞を受賞したヒントン氏は、元教え子でAlexNet の共同開発者であるサツケヴァー氏がアルトマン氏を解雇したことを、誇りに思うと言った。(いいぞ。もっとやれ。笑)主要人物の中で、このことにハッキリと反対した者は誰それ、など。社内の対立構造が見える感じで、おもしろいのだ。
ちなみに。マスク氏はこの技術で、ケガなどで失われた機能を回復させるだけでなく、人間のマインドを強化させたいという願望を抱いている。
BMI や BCI を開発しているのは、Neurallink だけではない。Synchron には、ゲイツ氏とベゾス氏が資金提供をしている。
脳インプラント施術を受けた最初の人物は、肩から下が麻痺している男性で。筋萎縮性側索硬化症の患者だった。
コントロール方法を学びながら、「スター・ウォーズのフォースを会得するのはこんな感じなのでは?」と感想を述べた。
『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』のセリフを思い出さずには、いられない。「コンピュータの普及が記憶の外部化を可能にした時、あなたたちはその意味をもっと真剣に考えるべきだった」
ゴーストという哲学、本当に渋いよね。メモリーって思い出だよ。思い出は感情だよ。
ビッグ・テック、ビッグ・ファイブなどと呼ばれるもの。アメリカの情報技術産業において、最も規模が大きく名声のある数社のことだ。
オンラインにおける支配力を通じて、オフラインの変革を牽引してきたことが定義だ。と言う者もいる。
広義では、Twitter や Netflix も含まれることがある。自動車メーカーであるにもかかわらず、Tesla もそう呼ばれることがある。
Google のシュミット氏は、「Microsoft は、消費者の心の中で消費者革命を推進していないため、このグループには入らない」と述べたことがある。ビッグ5でなく4だと主張したかったようだ。
マグニフィセント・セブン。ビッグ・ファイブに、NVIDIA と Tesla を加えた7社。
いや、もうなんでもいいよ。という心もちになってくる。
日本の渋さ見せてやるわ。
ついに、時代が『AKIRA』に追いついたか?まだか?こっちは待ちくたびれなんだよ。
まじめな話、日本がこれ系に警告を鳴らす作品を……しかも、こんなハイ・レベルな作品を……製作したのは、1988年だぞ。
米国の独占禁止法の精神とは。
市場で独占力をもつ企業や、団結してカルテルのような市場行動をとる企業の、反競争的な行動から消費者を保護することだ。
健全な競争は大切だからな。
よって。意図的な独占と、ビジネスの成功の結果として純粋に独占的な立場にいることは、明確に区別されている。
ビッグ・テック企業は大企業であり成功しているが、成功だけでは独占禁止法違反の理由にならないと。独占禁止法の「正当な違反」は、独占がどのようにして得られたか/維持されたかに、その判断があるからだと。
言っちゃっていいかな。うまくできてんねぇ〜。
「ディストピア 作品」でネット検索をしてみると、大量の映画やマンガや小説が出てきた。
百年前、未来はどのように想像されていたのか。
アルフレート・デーブリーン『山、海、巨人』(1924年)で描かれていたもの。
人口過剰に苦しむハイテクな社会。グリーンランドの氷床をとかして居住空間を増やす計画。それを叶える新しく発見されたエネルギー。悲惨な結果として、北半球全体に波及する環境破壊。
巨大な力を制御することができるという希望。科学力が世界をよりよくするために、集団的かつ公平的に活用されるという希望。
1910年代から1920年代に移り変わる時も。第一次世界大戦があったし。科学は急速に発展していたし。街にはスモッグもスラムもあった。
第一次世界大戦の終結までに。科学が「全てを変える」準備は整っていた。
複数の方向に進む可能性があった、ということだ。衝撃はまさに、プリズムのように作用した。
ほんの一世代前に考えられていたものごとも、当たらなくなってきた。多様で奇妙な世界だ。
私たちは、アリス・イン・ワンダーランドに生きている。
『Moving the Mountain』(1911年)は、女性参政権運動家ギルマン氏が描いた、フェミニストのユートピアだ。
労働は2時間だけ。ソーラー・エンジンなるもので自給自足。犯罪も貧困もない。
その世界は、「堕落者」が不妊手術を受けさせられ排除されることで、達成されている。
作者は、道徳的性格は環境や育ちによって形成されるのではなく、厳密に遺伝するものだと信じていた。
『マイノリティー・リポート』を思い出した。
優生学の考え方は、その時代、一般に広く受け入れられていた。
もしも、この概念が完全に社会に実装されていたら。私たちの多くは、今ここにいない。
ここには、大きな教訓があると思う。
ほんの数世代前、未来のためになると確信して行動していた者たちが、誤っていたのだ。今日、私たちが未来について語る時、熟考しなくてよいわけがない。
偏見によって偏見が生まれかねない。個々人が洞察力をきたえることは、必要不可欠なのだ。
ユートピアでさえも、非倫理的な行為を誘発する危険性がある。
私が大好きな作品は『ガタカ』だ。
過酷な環境で人間的な世界を維持するということは、人間にとって、難しいことなのだ。
危機的状況では、協力的でなくなり・寛大でなくなり・理性に開かれなくなるという、非常に自然な衝動に抵抗する必要がある。
真に根本的な社会改革は、最初は、「できる」というなかば真剣な空想として語られ。その後、「しなければならない」という明白な意識になる。
1年半毎週書いている私のNoteが基本、We Can do this. You Can do it. という主旨で構築されている、理由である。