病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈19〉
『ペスト』の作中で最も活発に動き回る人物として挙げるなら、それはやはりランベールであろう。彼はけっして「補足的な人物」などではなく、また「受苦的な流刑者」にとどまるものでもない。自分の心で感じ、自分の頭で考え、自分の意志で行動する。苦悩も怒りも、哀しみや喜びも、彼自身のものとして発せられる。むしろある意味でランベールはリウー以上に「主人公」的だともいえるのであり、いかにも小説的なキャラクターなのだ。もっと言うなら、それはまるで少年マンガのヒーローのようでさえある。
あらためてこのランベールという人物が織りなす行動や感情の、そのバラエティに富んだ様相というものは、暗い色に塗り込められたようなこの『ペスト』という物語において、強い彩りにもなっているのだということは、ここで特に主張しておきたいところなのである。
ランベールは、パリから地中海を隔てたアルジェリアの都市オランに、取材派遣されてきた新聞記者であった。彼自身も語るように、このオランという町にとっては全くの「よそ者(すなわち「異邦人」)」であり、滞在中にたまたま折悪しくペストの病禍に巻き込まれてしまっただけにすぎない。
その思いがけず遭遇した災禍、そのさなかで突きつけられた自らへの「流刑」という境遇にあって、ランベールはしかし、いっさい「断念しなかった」のであった。彼は終始もがき続け、あがき続けた。あちらへこちらへと時にはそれが見当違いにさえ思える方向であっても、自分が嵌り込んでしまったこの苦況を打開するための「よりましな方法」を探し求めて、彼は絶え間なく動き続けた。ある意味、彼こそ「反抗的人間」であった。
ランベールは結局、当初カミュが構想したようには、ペストに感染することも死ぬこともなかった。彼は、オランという縁もゆかりもない土地でさまざまな人々と接するうちに、驚くほどの変貌を遂げていく。この『ペスト』という作品をランベールの成長物語だというには、彼は少し年を取り過ぎてはいるかもしれない。とはいえ、小説的な愉しみとしては、そのような視点から読むこともできるのではないだろうか。
そんなランベールの「精神」とは、まさに健康なのだと言うことができるだろう(いわば「健康的人間」?!)。欲望も自尊心も、あるいはかつて抱いていた理想や、それに対する挫折と鬱屈そして葛藤、さらに現状に対する疎遠な気持ちや焦燥感などについても、彼自身として心から湧き出るまま健康的に表現されている。
何事にも、何に対しても、率直であること。それがランベールの「健康」の源泉であり、その彼の心の健康さが、まさにその旺盛な活動ぶりに結びついているのだと思える。
リウーはランベールに、自分のペストに立ち向かうにあたっての姿勢を「誠実」という言葉で言い表していたが、しかしランベールもまた、まさに「自分自身の心」に対して、いつでも誠実であったのだと言える。自らの抱く理想に対して誠実であり、そしてその理想への失望と挫折に対しても彼は常に誠実で率直なのであった。
リウーやタルーの人物像に、作者であるカミュを重ね合わせる見方はかねてからよくあるのだが、むしろ、新聞記者の経歴や青年期の女性関係の旺盛さからしてみれば、外形的にはランベールにより近しい側面も多くあると言えるのではないだろうか。初期のエッセイなどからしてみても、カミュの精神にもやはりそのような「健康さ」は、要素として強くあるように感じられるのだ。
〈つづく〉