しがない臨床心理士A

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評価不安と愛着の作用

私は他者にどのように思われたか、どのように評価されたかということについての不安が高い傾向があり、そういう不安を評価不安と言ったりする。 元来の性格では、周りの目を気にせずにのびのび振る舞う人間だったので、今の自分に対してますますヤキモキするというか、本当は人の評価を気にして怯えたくないのにどうして、という思いがあったりする。 評価不安が高くなったきっかけとして思い当たるのは、小学校時代の転校、中学時代のクラスメイトとのトラブルと孤立、高校時代の部活での不適応と孤立と抑うつ、

    • 母 2

      「あっそ」という相槌が大嫌いだった。話の途中で挟まれると傷ついて話す気が失せた。 話を最後まで聞かないで分かったふりをして決めつけるのも大嫌いだった。母フィルターを通すことによって微妙にニュアンスの違う話になり、否定してもうまく伝わらなかった。 大学生の時に実習で母校に行った。最後の打ち上げの時にとても温かい言葉をくれた先生がいて、ありがたくて嬉しくて、泣けて泣けて仕方なかった。母が車で迎えに来てくれたが、泣いている私を見て「何か変なこと言われたの!?そんなの気にしなくて

      • 母のことは嫌いではない。かといって好きとは言えない。苦手が一番近いかもしれない。やっぱり嫌いなのかもしれない。母に対する思いを言語化するのは非常に難しい。 私は第一子として生まれ、乳児期から深刻なアトピー、アレルギー、喘息があったので、幼少期は相当慎重に、可愛がられて育ったんじゃないかとは思う。母は手書きの育児日記を、私が4〜5歳になるまで書き続けており、大事にされていたのだろうということは分かっている。 両親共働きだったため、母方祖父母宅から幼稚園に通うような生活をして

        • それは誰の問題か

          どんなに頑張って気持ちを言っても、親に分かってもらえない、その気持ちを認めてもらえないときって、どうしたらいいんだろう?何を言っても「嘘をついている」「人のせいにしている」「その場の思いつきで言っているだけ」と言われるクライエントさんのお話を聞いていて、私はそこまで明確に否定されることはなかったけれども、真っ直ぐ受け止めてもらえないという点では共通なので、受け止めてもらえなかった側の気持ちは想像がつくところも多く、一緒になって呆然とした(何ならちょっと涙すら出た)(クライエン

          一番古い記憶は0歳の時

          一番古い記憶は、おそらく生後数ヶ月の時。 両親共働きのため、私は母方祖父母の家で過ごすことが多かった。その祖父母の家に、二人の知らないお姉さんがやってきた。私は母に抱っこされて、玄関でそのお姉さんたちを迎えた。 みんなで和室に移動すると、一人のお姉さんが私を白い布でつつんで、棒状のもので布の四方をまとめて吊りあげ、私を宙に浮かせた。私は、モノみたいに扱われたのがものすごく嫌で、めちゃくちゃ泣いて嫌がった。四方から白い布の頂点部分が集まって残りの三角形から見える天井と、泣きな

          一番古い記憶は0歳の時

          「家によりつかない子」

          先日のトラウマケア関連の研修で体験したこと。 演習の時に自分がクライエント役をする。周りはみんな初めましてなので、比較的ライトな悩みを探す。あまり思い当たらず、「職場の上司が威圧的で、特に会議前などにひどく緊張したり、怒られると萎縮してしまう」をピックアップ。「怒られるのが怖い」「怒られるとフリーズしてしまう」「お客様のためというより、上司を怒らせないためにどうしたらいいかを考えてしまう。それはどうなんだと思う」などなど話す。恐怖や緊張に焦点を当ててケアを受ける。なんと、緊張

          「家によりつかない子」

          わたしのこと

          怖いこと。怒られること。人を怒らせること。人に嫌われること。人から「できないやつ」と思われること。失敗すること。自分のミスや不注意でヌケやモレがあって、人に迷惑をかけたり自分のミスが他人に知られること。 苦手なこと。人に直接何かを指摘をすること。人の意見と違う意見があるときに、即座に自分の意見を言ったり、それは違うと思うと言うこと。口喧嘩すること。親に気持ちを言うこと。親と自然にうまくやること。親と一緒に過ごすこと。親に本音を言うこと。 嫌いなこと。自分は悪くない(と思っ

          トラウマ

          トラウマケアの研修を受けて、自分自身のトラウマの箱が半分開いた中途半端な状態になってしまった感じがある。研修中の演習でクライエント体験をするときに、完全に防衛して蓋を閉め続けることも、安心して蓋を開放することもどちらもできず、結果ちょろ出し。 結局そこに引っ掛かっているんだな、未消化なんだな、ということを自覚できたのは良かったけども、中途半端に持ち帰ってきてしまって若干具合が悪い感じ。 スカッとしたくてヒトカラに行って、宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」を歌ったら途中

          タイトルなんてない

          ふと、noteを始めてみようかなと思って、新規登録からメアドとパスワードを入力してみたら、なぜかエラーになって弾かれる。しばらくそれを続けてから、まさかと思って新規登録じゃなくてログインから入ってみた。 ログインできた。 7年記念のバッヂも来てた。 そういえば、誰かの有料記事を読みたくて、アカウントだけ作っていたのかもしれないと思い出す。記憶とはいい加減だ。覚えておいた方がいいことは忘れて、忘れた方がいいことは結構鮮明に覚えていたりする。 noteを始めてみようかなと

          タイトルなんてない