評価不安と愛着の作用
私は他者にどのように思われたか、どのように評価されたかということについての不安が高い傾向があり、そういう不安を評価不安と言ったりする。
元来の性格では、周りの目を気にせずにのびのび振る舞う人間だったので、今の自分に対してますますヤキモキするというか、本当は人の評価を気にして怯えたくないのにどうして、という思いがあったりする。
評価不安が高くなったきっかけとして思い当たるのは、小学校時代の転校、中学時代のクラスメイトとのトラブルと孤立、高校時代の部活での不適応と孤立と抑うつ、あたりだ。思春期になるだけでも他者視線を気にするようになるのは年齢相応のことだと思うが、マイナス体験が続いてしまったせいで自己評価がダダ下がり、他者評価が恐ろしくなったらしい。
ラッキーなことに大きな挫折を感じずに過ごせていたのが、転校以降うまくいかないことが増え、慣れていない挫折に耐えきれなかった、という側面もあったと思う。
そのあたりからますます完璧主義的になった。人から指摘されないように。ヌケ、モレ、穴がないように。
つい最近も、評価不安が爆上がりする出来事があった。何で私は、人から低い評価をされることがこんなに怖いんだろうと思う。人が私をどう思うかはコントロールできないし、どう思われたとしても私自身の価値は変わらない、ということが、理屈では分かっていても腹落ちしていない。
そういう苦しさとは、20年以上のおつきあいになってしまった。もはやこの不安は特性になってしまったかもしれない。かなしい。もとの自分に戻りたい。人からどう思われるかを気にせず発言できていた頃の自分が好きだった。
救いなのは家人の存在で、今回、不安が高まってモヤモヤしているときに、ただくっつくだけで何となく不安が下がる経験をした。こ、これが、愛着の作用…!?と思った。嫌なことがあった時に、愛着対象にくっつくことで不快感をやわらげ安心感を得る。子どもの頃にもきっと経験はしていたんだろうけど、記憶力がいいはずなのにそんな記憶はなく、めちゃくちゃ大人になった今、実感をともなって愛着の作用を知る。