一番古い記憶は0歳の時
一番古い記憶は、おそらく生後数ヶ月の時。
両親共働きのため、私は母方祖父母の家で過ごすことが多かった。その祖父母の家に、二人の知らないお姉さんがやってきた。私は母に抱っこされて、玄関でそのお姉さんたちを迎えた。
みんなで和室に移動すると、一人のお姉さんが私を白い布でつつんで、棒状のもので布の四方をまとめて吊りあげ、私を宙に浮かせた。私は、モノみたいに扱われたのがものすごく嫌で、めちゃくちゃ泣いて嫌がった。四方から白い布の頂点部分が集まって残りの三角形から見える天井と、泣きながらバタつかせる自分の手足を、今でも覚えている。体重を測られていることは、何となく理解していた気がするが、他にも体重を測る方法があるはずなのに、何でこんなふうにモノみたいに扱われなきゃいけないのか、ということに、ものすごく納得がいかなった記憶がある。
しばらくたった後に、また二人の知らないお姉さんがやってきた。前回と同じペアだったかは覚えていないけど、同じように和室に行き、白い布でくるまれて宙に浮かされた。このとき私は「はいはい、こないだと同じことやるのね」「わかりましたよ」「しかたないわね」みたいな諦めの気持ちで身を任せ、泣かなかった。
大人になってからは、「これって0歳のときのエピソードだと思うけど、さすがに記憶の捏造かもしれない」と思っていた。が、最近母親にこの記憶の話をしたところ、当時で言う保健婦、今の保健師を養成する専門学校からの依頼で、乳幼児の発達状況を確認する機会をボランティア的に提供していて、0歳から1歳になるまでの1年間、月1回、学生さんに訪問に来てもらっていたのだそう。実際に、その学生さんからのお礼状も残っていた。
ということは、もしかしたら、私の一番古い記憶って、生後1ヶ月時の記憶かもしれないってこと…?ただ、残り10回分の記憶はないので、必ずしも初回と2回目の記憶とは限らない。自我が芽生えた生後数ヶ月の段階で、はたと「モノ扱いすんじゃねー!」と思ったのかもしれない。
とはいえ、1歳前の記憶があるというのは、我ながらちょっと気持ち悪く、一方でどこか自慢したい気持ちもある。
自分の記憶がどうやら事実だということが分かったあたりで、私ってもしかして、特に子どもの頃、記憶力が良すぎたのかな、と思うようになった。一度人から言われたことは、大体忘れなかった。自分が言ったことも、大体忘れなかった。自分としてはそれが当たり前だったから、親が、私の言ったことを忘れたり、親が私に伝えたことを忘れたりすると、ものすごく傷ついて憤慨していた。「何で話をちゃんと聞いてくれないの」と思っていた。忘れられるのは、聞いていないからだと思っていた。
ただ、自分自身も年齢を重ね、前より記憶力が低下してきていることを実感したことと、家人とのやりとりで私もすっかり相手の話を忘れていたり、「それ前にも言ってたよ」と言われる体験を経て、もしかしたら親は、聞いていなかったんじゃなく、年齢相応に忘れてしまっていただけなのかもしれない、仕事をしながら子育てもする生活する中で、通常誰にでもある範囲で忘れてしまっていただけなのかもしれない、なんなら当時の私の記憶力は親よりかなり良かったのかもしれない、と思うようにはなった。
一番古い記憶が、もっとこう、ポジティブなものだったらなぁと思わなくもない。ただ、私の性格の根本って、ここから始まってるのかなぁと思うところもある。プライドの高さだったり。正論を言いがちだったり。最後は相手に合わせたり。不条理、理不尽が嫌いなことだったり。
記憶力がいいというのは、メリットが多いようでデメリットもある。忘れてしまった方が楽な記憶もある。でもこの一番古い記憶は、忘れたくないなと思う。