「家によりつかない子」
先日のトラウマケア関連の研修で体験したこと。
演習の時に自分がクライエント役をする。周りはみんな初めましてなので、比較的ライトな悩みを探す。あまり思い当たらず、「職場の上司が威圧的で、特に会議前などにひどく緊張したり、怒られると萎縮してしまう」をピックアップ。「怒られるのが怖い」「怒られるとフリーズしてしまう」「お客様のためというより、上司を怒らせないためにどうしたらいいかを考えてしまう。それはどうなんだと思う」などなど話す。恐怖や緊張に焦点を当ててケアを受ける。なんと、緊張感はわりと軽くなる(プラセボもあるのか?)。しかし、何となく喉の辺りが詰まったような感覚になる。そこでふと、「言いたいことが言えない、ってことじゃん!」「これって、根っこは親に対する気持ちじゃん!」と気づく…
演習の中で「いつからですか?」と聞かれて、幼少期…いや、小中学生?と曖昧な返答をする私。そのときは、自分の気づきに自分でもびっくりして慌てていたかもしれない。
親の態度は幼少期から今の今まで大きくは変わらない。別に頭ごなしに怒鳴ったり叩いたりなんてしない。ただ、「やめて」と言った些細なことをやめてくれない。伝えたい気持ちをそっくりそのまま受け取ってくれない。話を半分くらいまで聞いて「こういうことでしょ」と決めつける。そうじゃなくて!そういうことじゃなくて!と怒っている自分は、ずーっと前からいたはずだ。
どこかのタイミングで、そうじゃなくて!と怒ることすら諦めたのかもしれない。気持ちを言葉で親に言えなくなった。言いたいのに言えない。言おうとすると涙が出てきそうになるから言えない。だから行動や態度で示した。でも行動や態度では、本当に伝えたいことは伝わらなかった。そしてその頃には、本当に伝えたいことが自分でも分からなくなっていたのかもしれない。
中学生のときには、とにかく絶対にこの家からは出ると決めていて、でもすっかり離れることもなんだかできなくて、隣県の大学に進学したけれど、物理的に距離をおけたのは本当に良かったと思う。あの頃の私、本当によく頑張った。あなたの選択は正しかった。
ただ、距離をおけたからといって、この一方的に抱いているわだかまりが修復されるってことはなくて、実家において私はいまだに「家によりつかない子」である。そのことがどういう意味なのか、あの人たちは分かっているのだろうか。
私はそれを親に分かって欲しいのだろうか。
分からない。