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人生初 精神疾患との闘い(その1)
最初に
僕が人生で初めて精神疾患と向き合うことになったのは、今から約3ヶ月前の8月中旬です。
ある日の朝、職場に着いた途端に嘔吐、そのまま卒倒し、気づいた時は救急車の中でした。
休職のために心療内科を受診し、”適応障害”と診断されました。
まぁ、よくあるっちゃよくあるやつです。
うつ病と適応障害はまた少し違うのですが、ここでの説明は省略します。
しかしどちらにも共通して言えるのが、”抑うつ状態”という、気分がひどく沈んでしまう症状が現れることです。
現在は療養開始から3ヶ月が経ち、投薬治療の効果もあり、症状はずいぶん軽くなりました。
僕の場合は3ヶ月で軽快へ向かっているので、そこまで酷いパターンではありませんが、抑うつ状態と向き合うのは本当にしんどいです。
少しでも精神疾患と向き合う人への理解が広がりますように。
現在の仕事
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まず簡単に自分の仕事内容などを紹介します。
自衛隊→ベンチャー旅行会社→現職 がざっくりとした職歴です。
平日9時〜5時半勤務(休憩45分)、土日祝休及び年末年始休暇あり。
特別休暇で夏の期間に計6日のお休みもあります。
ちなみに去年度の有休使用は6日半でした。
(夏休は全部取得しているので12日くらいのイメージです)
給与は手取りで15万ほど、それと年2回のボーナスがあります。
仕事内容は窓口でのお客様対応と内部の事務処理がメインです。
最近は窓口での対応業務が増えてきて、日中のほとんどは窓口、残業時間で内部の事務処理をすることがほとんどでした。
残業時間は直近平均で月40時間前後ですので、毎日2時間くらい残ってました。
パッとみた感じ、そんなに悪い環境では無いかなと。
(感じ方は個人差あると思います笑)
でも、体調壊してしまったんですよね。
1年前ほどからあまり眠れなくなり、倒れる前3ヶ月は、夜中2時くらいから20分〜30分ごとに起きてしまう状態でした。
十分な睡眠の質を確保できないと、疲労が抜けず、気分が沈みやすくなります。しかも注意力も落ちるので凡ミスが起きやすくなってしまいます。
不眠がひどくなってからは、「過敏性腸症候群」であるとも言われ、便秘と下痢をずっと繰り返してました。
自分なりに考えた要因を簡単に列挙すると、
・直属上司との人間関係
・円滑に進まない業務
・実家の家庭環境
・そして頑張り屋で完璧主義な自分の性格 かなと。
詳しい経緯や僕のバックボーン等は、この後にくる投稿で赤裸々に書いています。
「しんどいです」
このひと言を言うのになかなか勇気が出せない中、2回ほど課長(直属上司の上の方)に相談しましたが、職場改善の前に自分の限界がきてしまいました。
ちなみに実家では、「仕事しんどい」って言うと、親の機嫌悪い時にはボロカス言い倒されるので、あんまり言ってませんでした。
↑これ、個人的にはめちゃめちゃキツかったです笑
何もアドバイスを求めてない、ただただ「そっかそっか」って聴いて欲しいだけなのに、返り討ちに遭うときのダメージはマジですごい!笑
思考に冷静さを欠く
負のサイクル
僕が体感した中で、抑うつ状態の怖いところは、今までなら考えもしなかったネガティヴな感情が頭の中で暴走し、歯止めが効かなくなるところです。
今思えば、僕は倒れる前からすでに思考のコントロールができていませんでした。
僕の場合、不眠症に悩んでいたこともあり、負のサイクルに拍車がかかってしまっていました。
職場はもちろん、布団の中に居ても憂鬱な気分が晴れない僕は、心を鬼にして、洗面台へ向かいます。
テレビから聞こえてくる、どこかで起きた人身事故のニュース。
僕が味のしない朝ごはんを食べているとも知らず、列車の遅延と、その影響を淡々と読み上げるアナウンサー。
羨ましいな。
思ってはいけないことが頭に浮かんでも、もはや何も違和感を感じない自分が、そこにはいました。
「行ってらっしゃい」
温かいはずのこの言葉が、毎朝、容赦無く僕を崖から突き落としました。
毎日の電車・バスが憂鬱で、今まで聞いていたお気に入りの音楽を聴いても何とも感じない。
飛び込む勇気もない僕は、ドアが開いてから、重い足取りで車内へと踏み込みました。
意地悪な各駅停車の列車が、ひと駅、ひと駅と、僕をじらすように職場へと運び、その度に僕の不安感が煽られるのを、ただただ静かに感じていました。
耳栓をするように着けたイヤホン。
音楽のボリュームを、1つ、また1つと上げる。
「まもなく、〇〇、〇〇です。」
降りる時間だと知らせる車内アナウンスが聞こえないよう、何も感じない音楽でかき消すルーティン。
![](https://assets.st-note.com/img/1668150766881-i0eJw510Zh.jpg?width=1200)
俺、何やってんだろ。もう辞めたいな。
でも電車の中のサラリーマンも
みんな頑張ってんだよな。
でも今の俺、マジで限界じゃね?
でも社会はしんどくて当たり前だよな。
自衛隊出身なのにこんなんで。情けないな。
自分で起業する勇気も無ければ
金稼ぐスキルも無い。
じゃあ我慢しないと。頑張らないと。
前の俺、もっと強かったよな。情けない。
毎日、自分を責めてはまた責めてを繰り返しました。
最寄駅からはバスで職場の前まで向かうのですが、バスには職場の人がたくさん乗ってきます。
誰とも話したくなくない。
話しかけてほしくない。
でも仕事には行かないといけない。
バスの中ではなるべく話しかけられないよう、イヤホンを奥深くへ押し込み、1人席に座るようにしていました。
初年度からずっと習慣にしていた毎朝の職場の掃除も、できなくなっていました。
職場では、お客様の前では、笑顔でいなきゃ。
良いのか悪いのか、この信念だけは、自分が1番大切にしているものでした。
何とかデスクに足を運ぶため、何とか力を出すため、いつしかイヤホンからはトレーニング中に聴くBGMが爆音で流れ、
バスを降りる時には、上手な笑顔で、音楽の止まった耳栓を鞄にしまう毎朝でした。
無理をしないと笑えなくて、毎日帰る時には体が空っぽな感覚でした。
それでも毎日、枯れ切った元気を絞り出すよう、自分に鞭を打ちました。
そんなこんなを繰り返していると、気づいた時には救急車の中でした。
みなさん、
時に反省は必要ですが、
毎日自分を責める必要はありません。
朝起きて、仕事に行ってるだけで
十分えらいです。
でも。
本当にしんどい時は、
しんどいって言って大丈夫ですよ。
お医者さんに相談しても良いんです。
もし誰にも言えない時は、僕に言ってください。
”十分頑張ったっしょ。 もう辞めよ。”
僕が倒れたのは金曜日でした。
月曜日も念の為お休みをいただいていましたが、迎えた週末はいつも以上に眠れませんでした。
「十分頑張ったっしょ。もう辞めよ。」
日曜日が終わり、月曜日の明け方、ふとこんなのが頭をよぎりました。
そして勢いのまま夜中の時間帯も気にせず、課長へLINEを送信…。
「退職することにしました。明日、改めて職場へ伺います。」
課長からは、「一旦話そう。待ってます。」と早朝に返ってきました。
そして朝、家を出る直前に
「仕事辞めてくる。」
と親へ一方的に言い放ち、退職届を出しに職場へ向かいました。
職場に着いたのは良かったものの、足がすくんで、建物に入ることがどうしてもできず、課長に連絡しました。
すると、わざわざ課長も半日休みを取ってくださり、近くの喫茶店へ向かいました。
![](https://assets.st-note.com/img/1668151030560-uNtOdgB0G7.jpg?width=1200)
僕が毎日抱えている感情、恐怖感、不安感 etc…
僕の頭がなかなか働かず、言葉にするのに時間がかかっても、課長は何も言わずにそっかそっかと聞き続けてくださっていました。
ひと通り僕が話し終わった後、課長が優しく話してくれました。
・課長という、上司としての気持ち
(できれば辞めないでほしい。)
・課長自身の子供と同じ世代の子に対する、1人の親としての気持ち
(辞めるなら次の仕事を決めてからの方がいいんじゃないかな。)
・精神疾患を患った家族を持つ、課長個人としての気持ち
(でもどうしても辛すぎる時は、無理して仕事続けなくてもいいんだよ。)
結論、課長にも、正しい答えはわからないって。
すごい人間味があって、すごく安心したのを覚えています。
でも、最後のあたりから課長の目から涙が…。
「自分の子供と同じ年代の子が、こんな思いしてたなんて。」
「ごめんね、気付いてあげられなくて。」
「ごめんね、そこまで追い込んでしまって。」
課長が泣きながら溢したその言葉で、ハッと我に返った一瞬がありました。
なぜなら、課長自身も今年度から新しく着任して、大変な毎日を過ごしているのを間近で見てきたからです。
いや、課長が悪いわけじゃないんだけど…。
あれ、なんか俺、焦りすぎてね…?
このまま辞めたら、なんか後悔する気がする…。
課長にLINEをした時は、職場への恐怖心が頭の中を圧倒していて、ただただ「逃げなきゃ」っていう感覚、冷静な判断ができない状態でした。
僕はたまたま経済的に厳しい家庭環境の中、お金がどれだけ心の余裕を左右するか、自分の両親を目の当たりにして、幼い頃から育ってきました。
加えて社会人になってからコロナで収入を絶たれ、かなり生活に苦労したこともあるので、収入が切れる状態をあえて自分から作ることは考えにくいタイプです。
そんな自分が、次の仕事が決まっているわけでもなく、ただ逃げなきゃという一心で、賢明とは言い難い方向へ走っていました。
まぁぶっちゃけた話、そんなにも身体がしんどくなる職場は辞めて全然良いとも思っています笑
ただ、休職制度があるんだったら一旦休んで、そこから考えるのが僕にとっては賢明な判断なのかなって思いました。
課長の言葉でハッとしたあの一瞬から、
”十分頑張ったっしょ。いったん休も。”
って頭の中で変わったのを覚えています。
今考えても、ベストの答え出せそうにないな。
うん、今は頑張らなくていいや。
そうしてしばらくの間仕事をお休みすることになりました。
注文した2つのホットコーヒー。
口をつけた時にはひんやりしていましたが、なぜか安心を感じました。
僕が冷静さを失ってしまった時、何も言わずに話を聞いてくださった課長には感謝でしかありません。
この人には、ちゃんと仕事で恩返ししたい。
焦りでも何でもなく、自然とそう思えた時間でした。
ということで、休職までのストーリーを書いてみました。
次に続く、精神疾患との闘い(その2)では、実際に自分が休職して3ヶ月、適応障害と にらめっこするお話を書いています。
後に続く投稿でも、休職までの細かい背景を書いているので、よければそちらも覗いてみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました!