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道玄坂をおりる/嫌な顔をされる 4

 坂を少し下ったカラオケ屋の前あたりを、よく見かける人が歩いていた。真ん中がハゲていて、その両側を短くした、五十歳過ぎくらいのおじさんで、この人はいつもしっかりした顔つきをしているなと思って目に付いていた。今日はポロシャツにチノパンをはいていた。スーツのときもあるし、どういう仕事をしているのかなと思うけれど、いつもしまりのある顔をしていて、少し頑固そうな感じはしつつも、ひねくれてはいなさそうで、この人はまわりに慕われながらしっかり仕事をしているんだろうなと思えて、好感が持てた。この人がいるとなんとなく見ていたから、たまに向こうからもじっと見られたりすることがあった。そうやって目が合っても、この人からは嫌な顔をされたことはなかった。
 もうひとり、よくすれ違う人の中で、いい顔だなと思って顔を覚えている人に、丸刈りのおじさんがいるのだけれど、その人もいつもしっかりした顔で歩いていた。いつもスーツで、柄や色が派手なわけではないけれど、発色のいい生地の、そこそこ高そうなスーツを着ていた。背もそれなりにあって、体つきも余分な肉が少なくがっしりしていた。派手な顔で、もとから大きな目をぱっちりと見開いて、背筋を伸ばしてしっかり歩いていて、なかなか格好がよかった。粗暴な雰囲気もなく優しそうだし、お喋りそうでもあり、とにかく快活そうだった。さぞバリバリと働いているのか経営者だったりするのだろうなと思っていた。派手な顔だったし、いつも顔を上げて歩いている人だったから、目が行きやすいというのもあるのだろうけれど、この人ともよく目が合っていた。その人からも嫌な顔をされたことはなかった。
 今見えている姿もそうだけれど、真ん中がハゲのおじさんも、いつも顔を上げて歩いている。お互いに顔を上げているから、おじさんとは目が合いやすいというのもあるのだろう。おじさんの前後にも歩いている人がいるけれど、みんな顔を上げてはいなかった。
 おじさんの手前を歩いていた女の人が前を通り過ぎていく。三十歳前くらいの、不動産の営業をしているような感じのスーツを着た女の人で、その人も顔を上げていなかった。何メートルか先の地面を見詰めながら歩いているけれど、何も見ていないようにも見える。何かを考えているように見えるけれど、だるいな、だるいなと、それだけをずっと思っているようにも見えた。
 真ん中がハゲのおじさんが通り過ぎていった。不動産ふうの女の人を見ていたから目は合わなかったけれど、通り過ぎていく横顔も、やはり不動産ふうの女の人とはずいぶん違っていた。だるそうにしていないというのもあるけれど、目がちゃんと何かを見ている感じがした。
 顔を前に戻すと、おじさんの少し後ろを歩いていた男の顔に目が留まった。ずいぶんと顔をしかめていた。そして、そのしかめた顔がこのあともずっと続きそうなしかめ面だった。気分が悪いとか身体がだるいという以上に、自分が不愉快な気持ちになっていることに自分で不愉快になってイライラしているような感じだった。三十代前半くらいで、短い髪を軽く立てた、顔のつくりとしては整っていそうな男だった。それなりに格好の付いたスーツを着ていて、鞄なんかもよさそうなものをさげてはいた。会社に着けば、しかめ面をやめてそれなりに格好をつけた顔に切り替えるのかもしれない。けれど、今しているような、イライラしながら紙を丸めるようにぐしゃぐしゃにしかめられた顔を見ていると、少し思うようにいかないだけで、自分のことしか考えなくなるような男なのだろうなと思ってしまう。
 目が合って嫌な顔をしてくるのは、こういう感じの人が多かった。特別きれいでも、特別ブサイクだったりダサかったりするわけでもない人たち。そして、多少容姿が整っているとか、格好がちゃんとしているふうな人であっても、あまりリラックスした雰囲気のなさそうな人ばかりだったように思う。
 けれど、むしろ東京の街中ではそんな人ばかりなのだ。今視界に入っている人たちの大半がそうなのだろう。ただ、特別きれいでもブサイクでもない人が大半なのは当たり前だとしても、リラックスした感じがあまりしない人があまりにも多いなと思う。ぐったりとした顔をした人ばかりで、真ん中がハゲのおじさんのように、その人を見ていて、この人はこういう人なんだろうなと感じられるような人は、むしろ珍しい。見ていて何も感じないか、もしくは、しかめ面の男のように不快な感じのする人ばかりだった。
 みんな疲れているのだろうなと思う。体力的な問題もあったりするのかもしれない。疲れがいつまでも抜けないままで過ごしている人は多かったりする。けれど、人前でそんな顔になってしまうほどに、通勤が大変だったり、会社勤めが大変だったりするのだろうか。中には、乳幼児がいるとか、毎日仕事が遅いとか、そのうえで家事もしてお弁当も作っているとか、家庭内暴力がひどいとか、そのうえで家事もしてお弁当も作っているとか、そういう人もいるのかもしれない。けれど、みんながそういう状況なわけでもないだろう。俺は下る側だけれど、道玄坂なんてたいした坂道ではないのだし、みんなしんどそうにしすぎだろうと思う。
 普段、会社にいたり、どこかのお店にいたりすると、誰かの疲れていたり、だるそうだったりしている顔が魅力的だなと思ったりすることもあるけれど、朝の通勤途中にすれ違う、いかにも疲れていそうな人たちは、自分のだるさに自分で押しつぶされてしまっているような、汚ない方向に崩れた顔をしている。
 だるさが顔に滲んでいるくらいなら、それは見ていても嫌なものではないはずなのになと思う。疲れていると、本人がいつもうっすらと意識している、こういう顔をしていようとしてやっている表情が弱まって、本人の素の表情のようなものが浮かんでいるように見えるときがある。軽くだるいくらいのときに、力があまり入っていない、くったりした感じの顔で何かをしている姿は、かえって見ていて引き込まれたりする。
 自分がどんな顔をしているかということに意識がないのだろうかと思うけれど、女の人ならば、そこに意識がないということもないだろう。単純に人目を気にしていないだけなのかもしれない。自分の部屋の中では、だるいときに我慢しないで思いっきりだるそうにしていたりするのだろう。外だからそこまではできないにしても、知らない人ばかりだし、誰が見ているわけでもないから、だるいなと思いながら、だるそうな顔をそのままにしているというだけなのかもしれない。実際そういう人は顔を上げていないし、何も見ていなさそうだったりする。誰にも顔を向けていないから、顔向けできないような顔をしながら人前を歩いてしまえるというのはあるのかもしれない。けれど、むしろ、ふてくされているような感じなのだろう。肉体的にも疲れているけれど、それ以上に気持ち的に疲れていて、肉体の疲れを我慢してまともな顔をしていようという気になんてならないという感じにも見える。
 みんな会社に向かっているのだろうけれど、会社勤めはつらいんだろうなと思う。俺も、前の会社では、体力的にきつい状態が長く続いて、慢性的に体調がおかしくなったりしていた。その頃と比べてしまうから、今の疲れはたいしたことがないとしか感じられないけれど、しんどいときはしんどいというのはわかる。
 人それぞれなのだろうけれど、それなりに多くの人が、仕事にうんざりしているのだろうなと思う。仕事自体には特に不満がなかったり、そもそも仕事に対してやる気がなかったりする人にしても、毎日行かなくてはいけないことや、仕事に行くだけで一週間が疲れて終わることにうんざりしていたりはするのだろう。俺も仕事がだるいなとは思う。大変だとか疲れるというより、嫌で嫌で仕方がない。別に仕事が嫌なわけではない。会社が嫌なのだ。上司が嫌だし、部署も嫌だった。会社には嫌な気持ちになりに行くようなものなのだなと思う。今日も一日中黙っていないといけない。そして、上司に睨まれるのを無視して過ごさなくてはいけない。


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