道玄坂をおりる/嫌な顔をされる 8
少し先のラーメン屋のあたりを、丸刈りのスーツのおじさんが歩いているのに気が付いた。今日もまたしっかりした足取りで、顔を上げて目をしっかり開いている。いつもどおりだなと思った。いつも身のこなしや顔つきに安定感がありすぎて、なんだか胡散臭くもある。けれど、社長さんとか、えらい人というのはだいたいそういうものだったりもする。人前では気分任せな顔をせずに、こういう顔をしているべきだと本人が思っている顔をキープしている人が多いのだろう。今までいた会社でも、社長や取締役の人たちはだいたいそんな感じで、いつ見ても同じ顔で、いつも同じトーンで喋るなと思っていた。そして、みんな笑い声が大きくて、笑い方にしても、えらい人特有の、はたで聞いていてちょっといかがなものかと思うような、一方的な感じのする笑い方なことが多かった。楽しかったり面白かったりして、笑いがこみ上げてきた感じではなく、普段の大きめな喋り声のトーンのまま、「それはおもしろいね」と言う代わりに、はははと発声しているような感じがする笑い方だった。若い人でもそんなふうに笑う人がたまにいるけれど、あれを聞かされるたびに、自分はこんなふうに笑う人間にはなりたくないなと思ってしまう。
とはいえ、これまでの自分がいた会社の社長さんたちには、どの人にもいい印象を持っていた。もちろん、どの社長も裏ではいろいろと言われていたけれど、俺は直接一緒に仕事をする機会もなく、たまに社長が喋るのを聞いているくらいだったし、そうやってたまに眺める対象としては、エネルギーを感じる人というのは、単純に見ていて楽しいものだった。
丸刈りのおじさんと目が合って、俺は口に微笑みの形を作って、目を逸らした。おじさんにも、それなりの疲れやだるさはあるのだろう。けれど、そのだるさに頭の中でああだこうだと文句を言いながら、嫌な顔でだるそうに歩くのではなく、顔を上げてしっかりと歩いている。しっかりした格好でしっかりした顔をして会社に向かって、そして、会社に着いたらしっかりと仕事をするのだろう。えらいなと思う。
自分はそんなふうにはできていないのだ。丸刈りのおじさんのように、他の人が話しかけやすかったり、一緒にいて気分がいいように、活発そうな感じをキープしたりはできていない。いつも基本的にぼんやりして、何か考え始めると、すぐにその考え事にどっぷりと浸ってしまう。大学の頃くらいまでは、多少元気がないときでも、他人に対しては元気があるふうに振舞ったほうがいいんじゃないかと悩んだりしていた気がするけれど、それもとっくに諦めてしまったように思う。
別に、いつでもぼんやりしているわけではないけれど、ここしばらくは会社に行くことを思うだけで嫌な気持ちになるし、会社に行けば断続的に新しい嫌な出来事が起こり続けるから、自然と元気になるのも難しい。昼休みくらいなんだろうと思う。中華料理屋にいるときが、自分がもっとも安定して元気そうに見えている時間なのだろう。だいたい毎日ご飯をお代わりするし、お店の人がにこにこ応対してくれるから、俺の方もにこにこしている。ただ、いつもひとりで昼飯を食っているから、見る人によっては、ひとりで昼飯を食っている時点で、何か人格に問題があるのだろうと思っていたりもするのかもしれない。けれど、友達と会っているときでもないかぎり、普段の自分の元気そうな姿なんて、せいぜいそれくらいだろう。
こうしてひとりで会社に向かって歩いているときの自分は、そういう楽しいときの自分とはだいぶん違った顔をしているのだろうと思う。それが他の人からどんなふうに見えているのかはわからないけれど、俺としては、見た感じとしては、多くのぐったりした人たちよりはましなはずだと思っている。体調が悪かったり、だるかったりしても、潰れたようなぐしゃっとした顔にならないように気をつけているし、顔があまり弛緩しないように、目と頬と口に多少の緊張感を持たせて、顔を前に向けるように意識したりもしていた。けれど、しまりのある顔をしようとして、結果として、他人に対して閉じた雰囲気のある顔に見えているのかなとも思う。しまりのある顔ということしか思っていないから、さわやかそうな顔をしようともしていないし、優しそうな顔つきをしようともしていない。道を歩いているときは、むっつりしているとか、暗そうだとか、真面目そうな感じとか、そんなふうに見えているのかもしれない。
表情だけでなく、歩き方にしても、だるそうにならないようにしている。上体は起こしているし、重心は骨盤の少し前目に置いて、どたどたとした感じに歩かないようにしている。とはいえ、ずっと昔からだけれど、顎が少し上がってしまっているだろうし、鞄を右肩にかけていているのでわからないのかもしれないけれど、骨格が左右で右肩上がりで歪んでいたりもするし、どう見えているのかはわからない。
容姿としても、人に不快感を与えるような格好はしていないつもりではある。シンプルというか、そっけない感じのものを着ているが好きだから、かわいげは全然ないし、女子受けしそうな要素はないのだろうけれど、さわやかぶっても、格好つけても似合わないし、自分にはそれが合っているように思っている。それなりに生地の色や質感がよいものを選んでいるし、身体にもある程度合っていると思うし、服装に違和感や嫌悪感を持たれることはないのだろう。
顔は、自分の顔だし、自分ではなんとも思わないけれど、おばさん全般や、商売をしているおじさんからは、よく気軽に男前と言われはする。ただ、それはおばさんの言うことであって、本人がそう思ったというよりは、少し顔が整っているふうだから、褒められそうなところをとりあえず褒めている、というだけのものがほとんどだったと思う。そして、そういう、おばさんその他からの気軽な顔へのコメントと、付き合っていた人に、付き合いだしてから欲目で言われたものを除くと、女の人から顔が格好いいと言われるようなことは、ほとんどなかった。思い出そうとしても、はっきり思い出せるのは一回くらいで、それにしても十年くらい前だった。ひとづてで、格好いいと言っていたよと聞くことはあったけれど、それもたまにというくらいだったし、そう考えると、自分の顔というのは、少し整っているふうである、というくらいの感じなのだろうと思う。そもそも、男前以前に、俺は背が低かった。一六五センチで、足も長くないし、肩幅があるからそれほど目立たないようだけれど頭も小さくはなかった。直接言われたわけではないけれど、付き合っている人の知り合いの女の人なんかと飲んだり飯を食ったりすると、その知り合いの人が俺について、「立ったらあれ?ってなった」とか、「立つと、あぁ……って感じだった」と言っていたというのを聞かされたことが何度かあった。そして、自分でもそりゃそうだろうと思っていた。顔としてもそうだし、全体的な容姿としてはなおさらだけれど、自分の容姿が世間一般的によいものらしいと感じるほどの経験はなかったし、自分でもそんなふうに思ったこともなかった。
ただ、日本以外のアジアの人からは、顔についてそういうことを言われる頻度が高かったから、そちら向きの顔ではあるのかもしれない。毎日行っている中華料理屋のおばちゃんも、たまに格好いいねとか言ってくれていた。その場限りではなく、何度も会っている人からそう言われると、それが特に意味のない褒め言葉であっても、おばちゃんからであったとしても、日本人でなかったとしても、いつもうれしいものではあった。
ただ、中華料理屋のオバちゃんのように、個人的な感想として俺の容姿を褒めてくれている感じがするときは素直にうれしかったけれど、ただ顔が整っているふうであるからと、顔がそうだからどうのこうのと適当なことを言われるのは、自分でそう思っていないだけに、いつもうっとうしく思っていた。
会社でも、前の職場は男ばかりだったから、そういうことを言われることはほとんどなかったけれど、今の職場は女の人も多くて、男の人にしても、そういう雰囲気の中で過ごしているから、飲み会なんかの席で、俺に対してイケメンだとか、もてそうだからどうのこうのとか言う人が何人かいて、それを言われるたびにうんざりした。もちろん、近所のおばさんに言われたのと同じように受け流せばいいだけなのだろう。内向きに仕事をして、内向きな話ばかりしている人たちなのだから、社内で話していてもおばさんのような話し方をするのは仕方のないことなのだ。
けれど、会社でそういうことを言われるのは、単純に社内で自分が飲みに行くことのある範囲の人たちの中では、顔の作りが整っている感じの人が他にいないからというだけなのだ。職場のメンバーで喋っているから、職場の中でそれっぽく扱える人がいるのならと、そういう話をしたがっているだけで、こうして道を歩いていて他人の目を引くほどのものは俺にはなかった。自分では、多少はしっかりした見た目ではあるのかなと思うし、少なくても、全体的に見てダサいという感じはしないんじゃないかと思うけれど、チビなだけでダサいと思う人もいるのだろうし、結局のところ、普通か格好いいかといえば普通だと思う人のほうがはるかに多いくらいの、特別どうということもない見た目なのだ思う。目を引くということなら、あの丸刈りのおじさんのほうが、俺よりもよほど目を引くだろうと思う。
結局、服装や体格とか、顔の作りとか、そういうものは、ケチをつけようと思ったときにケチを付けられる要素というだけで、その人の印象というのは、顔つきとか、表情とか、身のこなしとか、そういうものから全体的になんとなく感じ取られるものなのだろう。丸刈りのおじさんは、もうすっかり身体に染み付いて意識もしていないのだろうけれど、いかにも重役らしくというか、仕事ができる人らしく振舞っているところもあるのだと思う。そして、おじさんの場合、容姿としても特にケチを付けられそうなところもない。だから堂々としっかりした人ふうに振舞っているのが板についていたりもするのだろう。格好悪いとああいう態度で道を歩けないし、格好がまともなだけでも、あんなふうに見るからにしっかりした人という感じにはならない。誰かが何かえらそうなことを言っていても、それを聞いている人は内心で、けれどお前は格好悪いんだよと思っていたりする。逆に、格好はついていて、それらしいことを言っていても、他人はその人の顔つきや雰囲気に、なんとなく形だけやっているのかなと感じていたりもする。顔つきというのは、自分がどういう顔をするのか決めれば、その顔ができるというものではないのだ。そういう顔をしていても他人から白い目で見られないから、そういう顔つきをしていられるのだし、その顔つきであれこれをやっていくことで、その顔つきが自分の顔つきとしてしっくりくるようになるのだろう。しっかりした人らしく振舞っていられるのは、実際にしっかりした人だからという面が大きいのだ。
ただ、おじさんの場合は、いかにもしっかりした人らしく振舞っているのだろうけれど、俺はそんなふうに振舞おうとはしていない。俺の場合は、人の目を意識しているようで、見られても困らない状態をキープしているだけなのだと思う。自分では、自分をどういうふうに見せようとしているわけでもないつもりでいる。そんなふうなのだし、むしろ、他人からの印象としては、何か空っぽな感じがするのかもしれない。
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この作品よりあとに書いたものなので、こちらのほうが面白いです