てるもともんきち
どんな一日にもどこかに隠れている天使を紹介します。
自分のリズムで生きていこうということで、生きている内に頭に浮かんだことを俳句にして載せています。
日記を毎日つけられない野郎なので、書きたい時に書くことにしました。
僕のnote仲間の友人たちに、「好き嫌い」というテーマで自由にエッセイを書いてもらいました。エッセイ好きから、普段エッセイを書かない人まで。個性豊かな作品をぜひ読んでみて下さい。
僕は喫茶店でバイトをしている。常連さんが多く、彼らは店に入ると店員の案内を待たずして自分で席に座り、「〇〇お願いします」と注文する。僕も一応メニューを持っていくのだが、たいていはメニューを見ずに決まったものを注文する。それはもう、作業化された予定調和のやり取りだ。忙しい時なんかは、つい食い気味で「コーヒーですね」と言いたくなる。常連さんのほうも慣れ切って、無意識に注文を発しているような感覚である。しかしこのやりとりにも時に変化が訪れる。 常連さんの注文はだいたいアイスコ
満員電車が好きな人なんていない。朝のまだ眠いなか、もしくは疲れ切った家路で、見ず知らずの人とほとんど密着して、狭い車内で揺さぶられる。汗だくのおっさんに挟まれる。ビネガー味ののシャカシャカチキンになった気分だ。 私は吊り革に体重を預けて、車内の揺れと、揺れるおっさんの動きを予測しながら自分のパーソナルスペースを確保したい。だから、私は混雑する電車に乗ると、何よりも吊り革の確保を優先する。 今日、同じように吊り革を持とうとすると、おっさんと同じタイミングで、同じ吊り革に手を
私は一年休学していたので、同級生はみんな卒業して働いている。大学にはもう知り合いは誰もいない。近所に住んでいた友達も出て行ってしまった。 だから大学を歩くと、パーティ後の片付けのときのような切ない気持ちになるときがある。そして、大勢の見ず知らずの学生たちの喧騒がさらにそれを引き立てる。授業や図書館なんかは平気だが、学食なんかは、寂しくないというと嘘になる。 そんな中、私は今学期、他学部の授業を履修している。この授業では、400人は入る教室が満席になる。ガヤガヤとした教室
どんな一日にもどこかに隠れている天使を紹介しています。 寝不足のひまわり(24/10/14) よく通るゲーセンに長い間残っている「クレヨンしんちゃん」のひまわり。ゲーセンに一日中いたら、寝られるわけないよね。おやすみなさい、また明日ね。
皆さんはオレオをどうやって食べるだろうか。2枚のココアビスケットを分解して、片方についたバニラクリームをもう片方のビスケットですくって食べやしないだろうか。私はオレオを手にすると分解したくてたまらなくなる。しかし幼い頃 「行儀悪いから外でそうやって食べたらダメ。」 と母親に教わった。だから私は家にいる時だけそうして食べてきた。友達の家でオレオが出されても分解するのを我慢してきた。そのはずなのに、、。 少し前、テレビCMで女優が 「スクープ♪」 と言いながらオレオを
自分のリズムで生きていこうということで、生きている内に頭に浮かんだことを俳句にして載せていきます。 ・高級車が路駐するな ・クレヨンにある色で言ってください ・昼間の信号消えてないか ・このフロアは直通エレベーターに軽視されている ・お世辞を真に受ける時間を少し下さい
自分のリズムで生きていこうということで、生きている内に頭に浮かんだことを俳句にして載せていきます。 ・自分でも何言ってるかわからない ・先生がタバコ吸ってるのを見て動揺した小3 ・未だにわからぬ三面鏡 ・あわてんぼうの年越し蕎麦 ・全員の年齢を足す必要はあるのか
自分のリズムで生きていこうということで、生きている内に頭に浮かんだことを俳句にして載せていきます。 ・ありがとうで片付いた話 ・小さなことからでも できている西川きよしはえぐい ・人の話を奪うんじゃないよ ・腹が減ってはうんこさえできぬ ・微々たることからコツコツと
自分のリズムで生きていこうということで、生きている内に頭に浮かんだことを俳句にして載せていきます。 ・今年の抱負何にしたっけなと2月 ・自転車横断帯を渡る歩行者もなかなか危険やろ ・憧れるのをやめる以前に、いじけてまうぞ私は ・自己完結最速記録更新 ・そんなんで笑うな
自分のリズムで生きていこうということで、生きている内に頭に浮かんだことを俳句にして載せていきます。 ・わざとじゃないねんエルボーしてごめん ・向こうがすねていることにする ・自打球にひとり騒ぐバッター ・おズボンと言った店員を二度見してしまった ・立ち会いの静けさ まわしの上のたゆみ
自分のリズムで生きていこうということで、生きている内に頭に浮かんだことを俳句にして載せていきます。 ・いらんけど欲しい について説明する ・おっさんの後ろを選んで並ぶ ・正規の正岡子規と言いたくなる ・ZOOMで沈黙タケノコニョッキ ・肉まんもキムタク持ちするぜ
死んだ脇役がいた。 彼は、消化されゆく死に筋に立った現実に抗えず、単純に劣化版へ成り下がってしまったのだろうか。 売れ筋の主役を立てることができても、こんな演技では誰にも元気を与えられない。 僕は見かねて彼を舞台から降ろした。それでも彼は変わらずそこに残っていた。たった100円で消費し尽くされてたまるかと。 だがやはり、舞台から出てくる彼の身体はキンキンに冷えていた。
コロナと同時に大学に入学した頃、私はリモートでのコミュニケーションの不自然さが嫌だった。授業では、オーバーリアクションを取る画面越しの皆を不気味に感じてしまった。暗転したパソコンの画面に映る私の笑顔は、もっと不気味だった。でもテレビでは、当たり前のようにリモート会議のコツが特集されていた。「反応がわかるように大きくリアクションを取ろう」「良いカメラや照明を用意しよう」上半身だけがシャツのような形のパジャマも取り上げられていた。何がリモートだ、自分を取り繕うような商品を本当に良
ひとり夜行バスを降り、黙々と蕎麦を食べる朝は少し寂しい。ふと顔を上げると、みんな北北東を向いていた。みんな今日が吉日になることを願っているのかもしれない。たくさんの湯気と一緒に太陽も昇ってきた。
私が小学生の頃、我が家には「丁寧に挨拶をする」というルールがあった。 だから夜中に姉と喧嘩をしても、翌朝にはちゃんと「おはようございます。」と言った。不貞腐れて目も合わせずに。丁寧な挨拶が嫌味のようだ。 家族以外に対しても、挨拶が目的化していた。 何度も挨拶をするのは不自然だから、近所の人に1日に2回出会ったときの言葉を用意していた。その後の会話は恥ずかしくてできなかった。ヒップホップ好きの友達ができたら長いハンドシェイクをするはずだから、右手と左手で練習していた。でもヒッ
今年は「1年生」の年だった。 僕が大学に入学した直後、世間はコロナ禍に突入した。そして今年、ようやくコロナによる規制が緩和され始めた。僕は3年生にして初めて、まともな対面授業やサークル活動を経験した。やはりこの2年間はどうあがいても空白だったのだと痛感した。しかし、その2年の影響を振り返っても今年は報われない。 暗い出来事は、ブラックホールのように明るい出来事を吸い込み、見えなくしてしまう。忘れてはいけないのは、暗闇の中にあって初めて見える"輝き"があるということだ。