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ビジネス・エッセイ

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ビジネスに関する、ちょっとした文章を綴っています。
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#マネージメント

真似される商品を作れ

私が勤めていたシャープには
「真似される商品を作れ」という
創業者の言葉が残っています。

若い時には気づきませんでしたが、
これもとても含蓄の深い言葉だと
思っています。

まず他社より一歩先んじていなければ
真似されることはありません。
独創性のない商品は駄目だという意味が
あります。

しかしさらに深い意味があります。
もうひとつは市場性がなければ真似も
されないという意味です。
独創性があ

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セールスとマーケティング

セールスとマーケティングは、
同じようなものだと思われがちですが、
全く違うものです。

セールスが販売する行為だとしたら、
マーケティングとは売れる仕組みを
作るということになります。
ですから、
マーケティングが上手くいけば、
セールスは不要になります。

自分からお客様にアプローチすることを
プッシュ型、お客様からアプローチして
いただけるようにすることをプル型と
言いますが、セールスはプッ

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マネージメントと指標

マネージメントというと
人材の活用みたいな
人のマネージメントを
思い浮かべる人が多いと
思います。

しかし、本来の
マネージメントは
大きな意味をもっています。

私はそれを、
「目標」と「指標」をつくる事、
だと思っています。

「目標」については、
多くの人が理解しているのですが、
「指標」について理解している人は
少ないようです。

人が多く集まると、
何を成果にするかを共有することが、

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アマゾンと指標

以前、アマゾンのCEOの
ジェフ・ベゾス氏のインタビューを
みたことがあります。

彼は創立当初ずっと赤字が続いて
不安ではなかったかとの質問に対し、
ずっと顧客満足度が高かったので、
全然心配していなかったと答ました。
彼にとって、売上げよりも利益よりも
顧客満足度が第一の指標だったのだと
私は思います。

アマゾンの施策をみると
ハズレもありますが、
大体は顧客満足度を上げるということに
集中

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戦略と戦術

人によって解釈は様々ですが、
私的には
戦略とは「目標と指標の決定」、
戦術とは「目標を達成する手段」
という感じて考えています。

たとえば戦争をするのにあたり、
どういう形で戦争を終結させるのか、
それを考えるのが戦略にあたります。

講和条約を結ぶのか、
敵国を攻め滅ぼすのか、
そういう目標を決めることです。

司馬遼太郎さんが
日露戦争までの日本軍と
それ以降の日本軍とは
全く別組織と思っ

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豊臣秀吉は忍者だった

少し違った雰囲気の話で、
豊臣秀吉が忍者だった、
という話です。

普通の歴史には
あまり出てきませんが
私は状況証拠的に
間違いないと思っています。

まず、現実主義の織田信長が
忍者の実用性を考えなかった
はずがないと私は考えます。

織田信長は忍者の里、伊賀を
壊滅させています。

これに関し、表の歴史では
「信長は忍者のような不気味な
存在を嫌った」となっています。

しかし、それより

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織田信長はピンチがチャンス

織田信長が今川義元を破った
桶狭間の戦いは小が大に勝った
代表的な戦いとして有名ですが、
経済的にみるとそうでもないのです。

もちろん、戦力的には、
今川義元が2万5千、
対する織田信長は3千、
8倍以上の差があります。

しかし、当時伊勢湾貿易を抑えていた
織田家の経済力は今川家と同等だったと
いう話も一方であります。

経済力がある割に領地が少なく
戦力を確保しにくかった織田信長は
お金で兵

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スティーブ・ジョブスもピンチがチャンス

アップルの創始者として
それからiPhoneの生みの親として
有名なスティーブ・ジョブス、
彼もピンチがチャンスに変わった例だと
私は考えています。

有名な話ですが、
ジョブスはガレージから
パソコンのメーカーアップルを生み出し、
超一流企業を作りあげました。
今のマウスを使った画面操作は、
アップルが始めたものであり、
現在のパソコンの基礎を作ったのは
アップルであり、ジョブスであったと
言っ

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家康のブランド戦略

今回は真田幸村の話です。

といっても幸村自体というより、
幸村を使った家康のブランド戦略の
話をさせていただきます。

大河ドラマでも好評ですが、
真田幸村は戦国屈指の大名と
呼ばれています。

薩摩家の人間が、
日の本一の兵(つわもの)と
書いた文章が残っていたり、
大阪夏の陣の後に多くの大名が
遺髪の一本までお守りとして
取り合ったという話もあります。

でも、なぜ幸村がそれだけ
有名なので

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織田信長のブランド戦略

徳川家康のブランド戦略に
ついて書きましたが、ついでに
他の戦国武将たちのブランド戦略に
ついても書いておきたいと思います。

当時、他の多くの大名を敵に回して
勝てるほどの有力者はいなかったので
当然、戦いの前にブランド力で勝負と
いうことになるのです。

まずは織田信長、彼はかなり極端な
性格だったように書かれていますが、
これもブランド戦略のひとつだと思います。
そんな性格破綻者が国家統一の

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秀吉のブランド戦略

家康、信長とブランド戦略の説明を
してきたので、当然秀吉の話です。
秀吉のブランド戦略はずばりお金でした。

これも意図的だったと私は考えます。

もともと武士の出でなかった秀吉にとって
信長や家康のような生え抜きの家臣団は
いませんでした。だから、もともと忠誠と
いう概念がなかった訳です。

となれば利益に訴えるしかありませんでした。
ちなみに色々な戦で手柄を立てたとしても
それはあくまでも信長

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「おもてなし」の功罪

東京オリンピックでクローズアップされた
日本の「おもてなし」なのですが、
良い面と悪い面があります。

まず良い面としては、西洋の「サービス」が語源の
スレイズ=奴隷やサーバント=召使が示すように
上下関係があり、上である客が主体なのに対して
日本の「おもてなし」は基本的に上下関係がなく、
もてなす側が主体で、かつ察する文化に基づいている、
という点が違います。

ですから、痒いところに手が届く、

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精神論の罪悪

第二次世界大戦の話で、
日本の正当性に関する議論は
多いのですが、意外と日本の
敗戦の要因を客観的に分析する
議論は少ないようです。

それでも最近、ようやくそういう
議論がぼちぼちと出始めました。

国力の差が違うという話を漠然と
思っている人が多いと思いますが、
実はその頃の軍部の多くの失策が
本当の敗因のようです。

特に特徴的な話として、
空母の乗組員に対し、
米軍は浸水時の修理法をきちん

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全員主義の罪悪

精神主義という日本人の課題を
前回説明しましたが、日本人の
問題は他にもあります。

もちろん短所は長所の裏返しであり、
良い形で現れれば長所なのですが。

日本人は良い意味で全員参加主義です。
会議とかでも、全員が納得しないと
なかなか前に進みません。

テーマが安いとか軽いとか小さいと
いった誰でも理解出来るものであれば、
全員のコンセンサスは取りやすく、
また、一度コンセンサスが取れると

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