織田信長のブランド戦略
徳川家康のブランド戦略に
ついて書きましたが、ついでに
他の戦国武将たちのブランド戦略に
ついても書いておきたいと思います。
当時、他の多くの大名を敵に回して
勝てるほどの有力者はいなかったので
当然、戦いの前にブランド力で勝負と
いうことになるのです。
まずは織田信長、彼はかなり極端な
性格だったように書かれていますが、
これもブランド戦略のひとつだと思います。
そんな性格破綻者が国家統一の
一歩手前までいくことは考え難いですし。
彼は若い頃、かなり丁寧な手紙を
書いていますし、客のおもてなしも丁寧です。
道中は変な服装を着て斎藤道三の所に赴き、
あった時は綺麗な服装で驚かせたという
逸話がありますが、すべて計算だと感じます。
当時は
旧勢力と新興勢力とが激しく争っていました。
その新興勢力を味方にすべく、彼は新しさに
拘ったのだと思います。
だからこそ、多くの人が夢を求めて
力を貸したのだと思います。
そのため西洋の服をきたり、ど肝を抜く
天守閣付きの城を作ったりと「新しさ」を
キーワードにブランディングしていきました。
逆にいうと旧勢力にしてみれば
敵のシンボルとなり、かなり悪し様に
書かれる結果になったのだと思います。
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