織田信長はピンチがチャンス
織田信長が今川義元を破った
桶狭間の戦いは小が大に勝った
代表的な戦いとして有名ですが、
経済的にみるとそうでもないのです。
もちろん、戦力的には、
今川義元が2万5千、
対する織田信長は3千、
8倍以上の差があります。
しかし、当時伊勢湾貿易を抑えていた
織田家の経済力は今川家と同等だったと
いう話も一方であります。
経済力がある割に領地が少なく
戦力を確保しにくかった織田信長は
お金で兵を雇う形にならざるを
得なくなります。
当時の一般の大名の兵は、
農民もしくは武士でも農業をしていて
農閑期にしか大きな戦はありませんでした。
そこにお金で雇う兵を手にいれた
織田信長は破竹の勢いで周囲の大名を破り
天下統一へ突き進んでいきます。
織田軍には農業に対する縛りもなく、
全ての時間を戦いに費やすことができた
からです。
もちろん、経済力は鉄砲という
新しいテクノロジーの
活躍の基盤ともなりました。
これは、織田信長が
経済力はあるが小国であったという、
ピンチをうまくチャンスとして
生かした良い例だと思います。
もちろん信長が意図的に
そういう戦略をとったかは
分かりませんが、
運命が織田信長に
そういう道を用意したことだけは
間違いないと思います。
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