豊臣秀吉は忍者だった

少し違った雰囲気の話で、
豊臣秀吉が忍者だった、
という話です。

普通の歴史には
あまり出てきませんが
私は状況証拠的に
間違いないと思っています。

まず、現実主義の織田信長が
忍者の実用性を考えなかった
はずがないと私は考えます。

織田信長は忍者の里、伊賀を
壊滅させています。

これに関し、表の歴史では
「信長は忍者のような不気味な
存在を嫌った」となっています。

しかし、それよりも織田信長が
忍者集団を持っていて、
そのライバルである伊賀を滅ぼした
と考える方が自然で納得ができます。

そしてその首領は織田信長の
近くにいないといけません。
江戸時代に御庭番といわれたのは
身分が低くても殿様の近くに
いけるからです。

織田信長の近くにいたのは誰でしょう。
豊臣秀吉です。

豊臣秀吉は猿のような顔で
猿と呼ばれていたとされています。
美意識の高い信長が猿のような顔の人間を
そばに置くでしょうか?

それよりも猿飛のように忍びのあだ名では
無かったのではないでしょうか。

豊臣秀吉は、野武士やアウトロー的な人間の
力を借りて手柄を立てていきます。
これも忍者だと考えると自然です。

それに本能寺の変の説明にもなります。
彼が忍者の取りまとめ役であれば、
本能寺の変の情報を信長の耳に入れず、
自分がその後継者となるべく
中国からの大返しをあらかじめ計画していたと。

このように豊臣秀吉が忍者だったと仮定すると
理解できることがたくさん出てきます。

一度、こういう視点でみられると
歴史も面白いかも知れません。

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