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徒然雑記

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2016年後半からいっときは毎日更新していた、なんでもない雑記をまとめます。
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2016年11月の記事一覧

3年前の美術館帰りのわたし。

3年前の美術館帰りのわたし。

(3年前の冬に書いている文章)

六本木クロッシング/アオトオブダウト展へ。
普段アートと関わりのない方々といってきた。しかもお誘いいただいて。

現代アートって、見た目が美しい訳でもなければ、感動的なメッセージが隠されてるのとも限らないものなので、
凄い期待値が高いと疑問だらけになってすっきりしない状況になってしまうようだ。しかもそんな疑問へのスカッとした答えもあったり、なかったりで「アートって

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私とソーシャルネットワーキングサービス

私とソーシャルネットワーキングサービス

ツイッターと向き合う、というほどのことはまだできていないと思うし、
フォロワーを増やすことの意義や意味はわかっても
行動に移す意欲やリアリティがわたしはきっと足りていなくて

そこにあんまり目立ちたくないという
やっかいな性質も手伝ってしまっていて。

(余談ですが。最近目立ちたがらないとか主張が弱いとか言いがちな私だけど、元来すぐ手を上げてするっと委員長とかやってたタイプなので表現が適切じゃない

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おじさんがかわいい

おじさんがかわいい

中学からの友達が家に泊まりにきている。
夜に駅前で待ち合わせて、一緒に買い物して、一緒に鍋をして、のんで。

私が好きなお笑いさんと椎名林檎の話をして
彼女が迂闊にはまってしまったジャニーズの話を聞いて。

「かわいい」ということばの深さについて何度も言葉を交わす。
外面的な恰好いいと可愛いとはまた違って、
人間的に愛おしいという意味でつかう「かわいい」について。
(女の人がおじさんのことを「かわ

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ちょいと女盛りをどうしよう

ちょいと女盛りをどうしよう

このまんまじゃ行き場がない

わたしが高校生くらいの時には前略プロフィールとか携帯ブログサイトが流行っていて、わたしもご多分にもれず携帯電話をパカパカ打って友達とのブログやプロフィールをつくったりしていた。

何個かブログをかいたり、そのあとにmixiの日記を書いたりするようになるのだけど、10代の頃はこの記事のタイトルのように、自分の好きな歌の歌詞を、タイトルとテキストの一行目とで分断してのせる

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朝のコーヒーと朝のひと息。

朝のコーヒーと朝のひと息。

朝早くに出過ぎてしまって、外でコーヒーを飲んでいる。そうやって朝の時間を過ごすのはすごく久しぶりだけど、鎌倉のお店で働いていたときは週に何度かそうしていた。

目覚めが頗る悪い私なので、朝は大抵世界の破滅を待っているのだけど(このまま動きだしてしまわないといけないくらいなら、ひと思いにいっそ)寝ぼけた頭にコーヒーをごくごく飲むのはすごく好きで、いま起きればコーヒーの時間があるから、と自分を焚きつけ

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色が白くて、睫毛が長かった。

色が白くて、睫毛が長かった。

久しぶりに小田急に揺られている。わたしは高校1年のころから大学3年途中まで、毎日この電車に乗っていた。
鎌倉の辺鄙な山奥からバスにのって、藤沢にでて、小田急江ノ島線で町田まで。30分ほどかかるけれど、始発駅であることもあって、ちゃんと計算して駅に着けば座れる。

高校生のころ、毎朝7時31分発の急行の一両目に乗っていたが、いつもギリギリに滑り込んでくる男子高生がいた。その人の顔面がタイプすぎて、い

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3年前の5ヶ月間

3年前の5ヶ月間

豊島美術館という、一風変わった美術館に勤めていたことがある。たった5ヶ月間だけど。

美術と建築と環境が一体となったその美術館。
一度訪れたいと学生のころから思っていて、ふいに思わぬ連休がとれたときに訪れた場所だった。
そして初めて訪れたその半年後には、施設運営をするためにそこに立っていたことになる。

周りの環境と、1つの建物と、そこに広がる空間しかないその場所を美術館と呼んでいるそこは、その

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文章的面食い

文章的面食い

たとえば、同じストーリーの話を。
村上春樹がつづるのと、尾田栄一郎が描くのでは印象も内容も全然変わると思う。

ストーリーもまた大切なんだけど、私はまず文体が目につくし、内容が空っぽでも文体さえ美しければそばにおきたいと思うタイプだ。

いしいしんじがこさえた話を、小川洋子が文章におこしたら、それが1番わたし好みなんだろう。
けれど失うものがなにもない小川洋子なんて、うむむむむ、、とも思う。

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わたしがいまいるところ

わたしがいまいるところ

コルクという会社にはいったときに、「こうゆう会社だよ」というのを家族に説明したら「せりの為みたいなところだね」と家族それぞれが言ってくれた。

わたしは祖父が美術家で祖母が絵の先生だったこともあって、幼い頃から油絵を描いたり展覧会にいったり「表現」とはとても近いところで育った。
自ら作品をつくる機会もたびたびあったれど、自分の作るものは好きになれずにいた。
それでもものを作る人や作品というもの

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顔が見えない相手

顔が見えない相手

わたしにとってツイッターは、
かなり気楽な発信手段だった。
勝手に何を言っても良くて。タイムラインはどんどん流れて。注目されるわけでもなく。

それを職場の人に話していたら、対大衆(対インターネット)と思うと、何をしていいかわからなくなる、と話を聞いた。

顔が見えないものを相手にすることについて、わたしに躊躇がないのは、おそらくは慣れがあるからだと思う。
年に一度、小さいながらの展覧会の機会が幼

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枯葉と人と

枯葉と人と

枯葉が目立つようになってきた。

枯葉がモチーフとして登場する作品は、漫画にも小説にも多いし、ズバリその名の名曲もある。

あらゆる時代で、様々な人たちが、それぞれの地に立って。
同じように落ち葉をみて、音を聞いて季節を感じていたのだなという事実にすごく心が温まるし、なぜだか勇気付けられる。

私はそういった、誰かの動きを後で想像したり、人の痕跡を確認したりするのが癖になっているところがあって、

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片思い感。

片思い感。

わたしの母は料理上手だと思う。
人が集まる時にはパン生地をつくって、ベーコン味とシナモン味のひねりパンを作ったり、誰かの誕生日のたびにふわふわのシフォンケーキを焼いたり、家の台所であらゆるジャンルの料理を次々つくる。
わたしをはじめ、家族はだいたい少食なのに毎日たくさんのおかずが食卓にあがっていた。

そして、父が「桃子さんのごはんは美味しい」とにこにこ食べる。
だいたい全てが一人分ずつくらい余る

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子供の頃のお遊び。

子供の頃のお遊び。

小学生のころ、友だちと漫画を描いていた。
しかも同時にいくつも描いていた。

私には姉と、すぐ近くに住んでいる友達がいて、物心ついた時には2人が作り上げていた『ポテトさん』のストーリーのなかに組み込まれた遊びをしていた。

ポテトさんは、丸を描いてその丸にサングラスとメキシカンな帽子をかぶせて、手足になる4本の棒を直接その丸からのばして、手にマラカスをもたせたキャラクターで、彼が住む村には私たち3

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抗えない世の中の流れのひとつ

抗えない世の中の流れのひとつ

昨日、テレビのリモコンをつかって
裏に返してテーブルに置いた。

忘れてたけど私には確かにそんな習性があった。なんでだったっけかなーと思考を巡らせてみると、昔のテレビのリモコンがすきだったからだった。まだ地デジがはじまる前の、簡素で灰色のリモコン。

アナログっぽさがあって、ボタンが少し柔らかすぎて、ぐっと押し込まないとおせないリモコンがなんだか好きで、しっくりと来る場所をさがして、密やかだけど重

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