抗えない世の中の流れのひとつ
昨日、テレビのリモコンをつかって
裏に返してテーブルに置いた。
忘れてたけど私には確かにそんな習性があった。なんでだったっけかなーと思考を巡らせてみると、昔のテレビのリモコンがすきだったからだった。まだ地デジがはじまる前の、簡素で灰色のリモコン。
アナログっぽさがあって、ボタンが少し柔らかすぎて、ぐっと押し込まないとおせないリモコンがなんだか好きで、しっくりと来る場所をさがして、密やかだけど重要なスイッチみたいにみえるようにそれを配置していた。地デジ化される中学3年まで。
しかし地デジ対応なる待望の新しいテレビとともに来たリモコンは四色もの色がついていたり、ボタンの文字もやたら目立つように書かれていたり、テーブルに置いたらノイズになるような代物だった。電気屋さんでみていたケバケバしいリモコンを家の中で見たときは世の中の流れに抗えない理不尽さを覚えた。(そして散々家族で文句を言い合った気がする。)
家庭内のノイズであるけど、手の届くところにほしいリモコンなので、いつしか裏に返すようになった。
リビングが片付いてすっきりしてご機嫌な気分だったので、それが再発したんだろうな。
細かいことを言えば、抗えなくはないんだろうけど、そこに労力費やすのも癪。(でも家に置くものは長い時間かけて選んでるので、労力つかってしまっている。)
あとレンジにある牛乳あたための文字。
あれにも世の中の理不尽さを感じてる。