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"歴史" 系 note まとめ

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#エッセイ

チキン・マンチュリアン【2】 インド中華のルーツ探し

一口にインド中華といっても実にさまざまな料理が存在する。そしてその出どころを探っていくと、主に二つのパターンがあることがみえてくる。 まず一つ目は、「チキン・マンチュリアン」に代表される、在インド華僑の手によって創作された中華料理、つまりインド発祥の中華料理である。チキン・マンチュリアンのほかに「ゴビ・マンチュリアン(カリフラワーのマンチュリアン)」といったベジ・バージョンのほか、「シェズワン・チキン」、「マンチョウ・スープ」などが挙げられる。ちなみにマンチョウ・スープとは

カザフスタンの世界遺産は、何もない大草原だった

その朝、ホテルで簡素な朝食を食べながら、そこへ本当に行くべきかどうか、迷っていた。 春のカザフスタンの旅の途中、タラズという小さな町で迎えた朝だった。 何もなさそうな町で1泊してみるのもいいかもしれない……と立ち寄った町だったけれど、そのタラズは想像以上に、何もない町だった。 前の日の夕方、カザフスタン鉄道をタラズの駅で降りても、どうやら観光客は僕一人しかいないようだった。 駅を出て、夕暮れの町を歩き始めても、心を動かされる風景は何もない。 陰鬱な曇り空の下、彩りを

【ニッポンの世界史】第16回:授業時間が足りない?—就職者にとっての世界史

A科目とB科目に分かれるまでの世界史の変遷  1960年度指導要領で就職者向けのA科目と進学者向けのB科目に分かれた世界史。A科目は週3時間、B科目は週4時間が標準とされました。  前回の1956年度学習指導要領では、社会科に「社会、日本史、世界史、人文地理」が設置され、このうち高等学校の社会科は日本史、世界史、人文地理から2科目は必ず履修することになっていました。  しかし1960年度指導要領では、社会科として「倫理・社会、政治・経済、日本史、世界史A、世界史B、地理

【はじめに】ニッポンの世界史:日本人にとって世界史とはなにか?

2010年代の世界史ブーム—疫病・戦争・生成AI  まもなく22世紀を迎える2100年の人々が21世紀初頭の世界をふりかえったとしよう。そこではどのような出来事がとりあげられるだろう?  「まもなく終わる21世紀」の幕開けにふさわしい出来事として選ばれるのは、いったい何になるのだろうか?  疫病の流行、大国による戦争、それとも生成AIに代表されるイノベーションか。あるいは気候変動、難民危機、持続可能な開発目標、新興国の台頭、あるいは権威主義やポピュリズムの拡大か—。  こう

索引 ~の歴史|馬場紀衣の読書の森 vol.30

こういう本を、ずっと待っていた気がする。 13世紀の写本時代から今日の電子書籍まで連なる、長い、長い情報処理の歴史。本の索引に欠かせないページ番号の登場、アルファベットの配列はどのように考案されたか。時代と共に増えつづける知識と人びとはどのように付き合ってきたのか。分厚い本なのに、どんどんページをめくる手が進み、あっという間に読み終えてしまった。 「索引」を書物の中の語句や事項を捜しだすための手引にすぎないと、あるいは本書をそれについて書かれた専門書だと思っているのなら、

アショーカ王の亡霊 "今"と"過去"をつなぐ世界史(7) 前400年〜前200年

インドの国会議事堂で、何が起きているのか?  今年2023年、インドの国会議事堂「サンサド・バヴァン」が改修された。そこで物議を醸したのが、モディ首相のお披露目した、ある壁画である。 壁画の名は「アカンド・バーラト」、英語ではUnbroken India、「分裂されていないインド」である(★1)。  モディ首相はBJP(インド人民党)出身で、ヒンドゥー教中心のインドを建設することに熱心だ。イスラーム教徒とイギリスの侵入する前のインドこそ、本当のインドである、というのが基

「石鹸の歴史」僕らの生まれる前の昭和の暮らし

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ193枚目 この「僕の昭スケッチ」は第二次世界大戦後の昭和をモチーフにしている。 僕が一番よく知っている時代は僕の生きた時代だからだ。 けれど、言うまでもなく昭和元年は1926年、昭和天皇の御即位から始まっている。調べると、カレーが10銭だった時代だ。僕らの生まれるずっと前の時代だ。 今日はその僕らの生まれる前の昭和の暮らしについて少し調べてみた。 暮らしの必需品、「石鹸」のことを。 上は、昭和7年の花王の新聞広告を描いたもの(原広告

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「名誉総裁秋篠宮殿下賞」の瓢箪細工を観賞しつつ考えたこと:絶滅危惧種の「秋篠名誉総裁宮」的表記

ボストンのドーナツ|湯澤規子「食べる歴史地理学」第1話

100年前の日本とアメリカの女工(じょこう)の暮らしを研究している湯澤先生は、2018年夏、学会のためボストンへ。けれど真の目的はドーナツを食べることで……。アメリカのドーナツ、その知られざる歴史を旅すると、活気あふれる移民の暮らしが見えてきました。 ※前回の話を読む:プロローグ「見えないものがつくる世界」 アメリカ、ドーナツ史をめぐる旅 「歴史に埋もれて」見えない。  だから、時空を超えると見えてくるものがある。  2018年夏、私は一人、ドーナツを食べるために、ア

ナチスの聖典は絶版にすべきか|藤原辰史さんが選ぶ「絶版本」

 絶版するのがもったいない、今すぐにでも復刊してほしいという本もあれば、絶版でよかった、絶版が当然だと思う本もある。今から80年前に日本で刊行された『血と土』も、そんな本の一つである。  「血と土 Blut und Boden」は、ナチスの根幹思想、略して「ブルーボ」とも呼ばれた。ドイツの農村でこそ、健康な民族の血が育成されることを訴える農本主義的スローガンだ。この「血と土」をもとに、ナチスは農民帝国の復興を謳い、農民票を獲得して政権の座を射止めた。この言葉の組み合わせのど

事実を書くことの冷たさ(森鷗外について)

 我々は平素から、大小さまざまな悲劇に遭遇し、また見聞する。しかし、些少な事件はもちろんのこと、いかなる社会の重大な悲劇も、放っておけばいずれは風化して忘れ去られてしまう。人間はそれが大きな悲劇であればあるほど、このような記憶の風化に抗し、事象を埋もれさせまいとする。そして歴史が書かれなければならない必然へと転化する。すなわち歴史というものは、ある人々にとっては忘れて欲しい汚点であっても、社会が「教訓」の名のもとに思い起こすことを強いるもので、見方によっては残酷なものでもある

ただ歴史への愛を語りたい。

先日、かの超偉大なnoteアカウント、『みんなの世界史』さんのマガジンに僕のnoteを追加していただき、そのマガジンを見てみることにしました。 「"歴史"系noteまとめ」というもので、800本以上のnoteたちが集まっていて、まぁ面白い記事が多く、僕自身スキの持ち手を全消費させながら夢中で読み漁ってしまいました。 ということで! ちょっと僕自身の歴史への愛を語りつつ、今回は面白い記事の紹介と感想、というパートの比重を多めにやっていきたいと思います。 いやぁ、歴史って

音楽の学問における「西洋視点の反省」。正しいはずなのに、どこか感じる違和感の正体。

音楽における最新の"正当な学問的分野" では、19~20世紀に正しいとされてきた「音楽 = 西洋音楽のこと」「正しい音楽 = 西洋音楽理論に則ったもの」という態度を反省する流れにあり、既存の西洋音楽理論で説明できない非西洋の民族音楽に注目したり、既存の音楽理論の正解を否定するような実験が推奨されています。 狭義のクラシック音楽の美学は19世紀ヨーロッパのブルジョワ階級による視点であり、帝国主義の植民地支配に深く関係するものであったことは間違いありません。これまでの史観では民

アイヌ語?中国語?それとも… 「昆布」の名前は謎めいている

【1032むすび】伊勢屋(板橋)昆布《1059日目》 煮てもいいし、出汁を取ることができる。 和食の味わいの中心であり、まさに日本の味と言えるもの。 誰もが、当たり前のように知っているスーパー身近な存在。それが昆布だ。 ところがだ。 この昆布には解き明かされていない、大きな謎があるという。 それは名前。 昆布という名前がどこから来たのか、なぜその名前になってのかの由来が、いまだにハッキリしていないらしいのだ。 以前、昆布検定を合格したハスつかとして、この謎はめちゃく