中原 鼎(皇室・王室ライター)

駄文を寄稿する権利を賜っています(講談社『現代ビジネス』、プレジデント社『プレジデント…

中原 鼎(皇室・王室ライター)

駄文を寄稿する権利を賜っています(講談社『現代ビジネス』、プレジデント社『プレジデントオンライン』など)。天皇はもちろん、君主制、王侯貴族とその支持者について、古今東西を問わずに取り上げます。

マガジン

  • 静岡県の皇室伝承

    ・江戸時代初期の皇族「良純入道親王」の見付滞在(磐田市) ・遠州に移住した大覚寺統の正嫡「木寺宮家」(浜松市) ・桓武天皇の第四皇子「戒成王子」伝承地(磐田市) ・「井伊谷」周辺の宗良親王(浜松市) ・「天子ヶ岳」の頂上に咲く「瓔珞ツツジ」由来譚(富士宮市) 【予定】 ・後醍醐天皇の皇孫・守永親王の終焉の地(袋井市)

  • 愛知県の皇室伝承

    ・壬申の乱の敗者、弘文天皇の生存伝説(岡崎市) ・文武天皇が「三河行幸」中に儲けた皇子「竹内王子」(豊橋市) ・なぜか渥美半島に渡った後小松天皇の皇女「松代姫」(田原市) ・うつろ舟で漂着した皇子「開元王」(豊橋市) ・地名「院之子」の由来:南朝の某院の皇子「龍岳禅師」(豊川市) ・杉山地区の「コウニン太子」伝承(豊橋市) ・「矢作川」の由来:日本武尊の矢作りを助けた蝶(岡崎市) ・南朝の皇族? 「久丸王」のための秘儀「寝祭」(田原市) ・「岩屋山」の成り立ち:聖徳太子と蝦夷の大軍(豊橋市) ・「絵女房塚」:夢の中で出会った美女を探させた天皇(岡崎市) ・後白河天皇の東下り伝説(西尾市) 【更新予定】 ・「姫小川」:皇女「綾姫」漂着譚(安城市) ・後花園天皇の皇子「凞邦親王」 応仁の乱からの避難生活(知多市) ・南朝の皇族の墓? 船乗りが拝んだ「帝塚」(東浦町)ほか

  • 紀行文

    何らかの形で皇室に関係がある土地巡りの記録。「皇室伝承」シリーズとの違いは、伝承ではなく近現代に皇室の方々が明確にお訪ねになった地や、直接お関わりではない地であること。

  • よりぬき1

    しばらく数えていないので正確な文字数は不明ですが、10万字を超えていることはまず間違いありません。

  • 小説『玉葉物語』

    今風の「王朝物語」として執筆中のオリジナル小説『玉葉物語』まとめ。 小説家になろう: https://ncode.syosetu.com/n8951hf/ カクヨム: https://kakuyomu.jp/works/16816700428100759942

最近の記事

  • 固定された記事

【奇譚】奴隷の子孫、突然王子になる:DNA鑑定でベナンの王家の末裔と判明!

はじめに:先祖への関心 とある民家での会話だ。「うちのご先祖、槍の名人がいたんですって」。鴨居に飾られている一本の槍を指さしながら、少女は語った。  また別の民家での会話だ。「ひいおじいさんが殿様に拝領した盃じゃ」。立派な桐箱の中から取り出した盃を愛おしげに眺めながら、老婆は言った。  よその家の先祖自慢を聞いて、磯野家の長男・カツオはすっかり羨ましくなってしまった。自宅に帰るや、彼は父・波平にこう尋ねた。「お父さん、うちの先祖で有名な人いないの?」  その問いかけに対

¥110〜
    • 天皇の父親が「皇族」にすぎない…そんな事態に「象徴天皇制」はどう向き合うのか(後編)

      傍系継承時、厚遇は論争を招いた 実子が即位しながらも特別扱いされていない男性皇族が「岡宮天皇」こと草壁皇子以降おられないことは前編ですでに述べた通りだが、それは天皇の父親を「尊称天皇」もしくは「追尊天皇」とすることが当然視される時代が千数百年間にわたって続いたことを意味するものではない。  漢字文化圏では、帝王が即位していない父に対して尊号を奉ることがよくあった。だが、直系継承の場合――たとえば祖父から地位を継承した新皇帝が、皇太子のまま早世した父を追尊するというような――

      • 天皇の父親が「皇族」にすぎない…そんな事態に「象徴天皇制」はどう向き合うのか(前編)

        年々高まる秋篠宮殿下「即位ご辞退」の可能性 政府の有識者会議が「秋篠宮皇嗣殿下、次世代の皇位継承資格者として悠仁親王殿下がいらっしゃることを前提に、この皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」とする最終報告書を取りまとめたのは令和三(二〇二一)年十二月のことだ。  このように悠仁親王殿下までの流れは変えないという考え方は、女系継承や女性天皇を容認しようという者も含め、多くの政治家の共通認識となっている。世間には異論もあるようだけれども、現実的には秋篠宮家へとやがて皇統が移

        • 【静岡県の皇室伝承】6.後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」が開いた「大本山方広寺(奥山半僧坊大権現)」(浜松市)

          大本山方広寺  JR浜松駅から遠州鉄道のバスに揺られることおよそ一時間半。奥山の地に臨済宗方広寺派の大本山たる深奥山方広寺がある。  吉野朝時代の建徳二(一三七一)年、この地域を治めていた豪族・井伊家の一族である奥山六郎次郎朝藤の招きを受けた高僧・無文元選禅師がお開きになった寺院だ。  無文元選禅師がこの寺を方広寺とご命名になったのは、仏門修行のために貞和元(一三四五)年、元朝へと渡られた際にお訪ねになった天台山方広寺の風景に、奥山氏より寄進された当地の景観が似ていたこ

        • 固定された記事

        【奇譚】奴隷の子孫、突然王子になる:DNA鑑定でベナンの王家の末裔と判明!

        ¥110〜

        マガジン

        • 静岡県の皇室伝承
          6本
        • 愛知県の皇室伝承
          17本
        • 紀行文
          2本
        • よりぬき1
          24本
          ¥550
        • 小説『玉葉物語』
          6本

        記事

          【補記】「愛子天皇」「悠仁天皇」以前の大問題である…男系vs.女系論争で完全に見落とされている皇室制度の致命的欠陥【プレジデント社『プレジデントオンライン』寄稿】

           先般、プレジデント社『プレジデントオンライン』より拙文が新たに公開された。執筆にあたりお世話になった皆様には改めて篤くお礼申し上げる。  こちらのnote記事では、文章のバックアップを取るという目的も兼ねて、いつものように草稿をほぼそのままの形で公開しよう。 【仮題】今ある宮家を存続させても身位が「王」では心もとない…「安定的な皇位継承」のために検討すべきこと【仮副題】望ましいのは「親王宣下」の限定的復活 皇族数確保の切り札として脚光を浴びる「旧宮家」  GHQ占領

          【補記】「愛子天皇」「悠仁天皇」以前の大問題である…男系vs.女系論争で完全に見落とされている皇室制度の致命的欠陥【プレジデント社『プレジデントオンライン』寄稿】

          幻の天台宗宗制改革:東伏見宮家の祭祀継承者「東伏見伯爵家」による世襲制の「天台座主」

          皇胤「東伏見家」のもとで門跡の伝統を受け継ぐ「青蓮院」  京都市の粟田口に所在する青蓮院(天台宗)は、平安時代後期から数百年の長きにわたり皇族や摂関家が住職(門主)を務めてきた「門跡」の格式をもつ古刹である。皇室の縁者が門主を務める形は、他の門跡寺院と同様に、明治維新の頃からしばらくの間は途絶えていたものの、令和の御代となった今日まで受け継がれている。  昭和二十八(一九五三)年、元皇族の東伏見慈洽氏――皇族時代は久邇宮家の「邦英王」。昭和六(一九三一)年に臣籍降下され、

          幻の天台宗宗制改革:東伏見宮家の祭祀継承者「東伏見伯爵家」による世襲制の「天台座主」

          【愛知県の皇室伝承】17.「任瑜法親王」らが住職を務めた「大須観音」(名古屋市)

          「大須観音」の住職になった皇族方 愛知県名古屋市中区大須にある北野山真福寺寶生院――「大須観音」の名で知られる――は、真言宗智山派の別格本山であり、日本三大観音の一つに数えられる。  名古屋随一の観音霊場として全国的に名高いこの寺だが、最初から今日の場所にあったわけではない。  慶長十七年に現在地に移転してくるまでは、尾張国中島郡長庄大須(現・岐阜県羽島市桑原町大須)の地にあったという。そして寺伝によれば、その頃には少なくともお二方の皇族が住職を務めていらっしゃったそうだ

          【愛知県の皇室伝承】17.「任瑜法親王」らが住職を務めた「大須観音」(名古屋市)

          【静岡県の皇室伝承】5.「天子ヶ岳」の「瓔珞ツツジ」起源譚:炭焼きに降嫁した皇女、亡き尹良親王を慕って田貫湖に身を投げた娘(富士宮市)

          はじめに 静岡県富士宮市と山梨県南巨摩郡南部町の県境に位置する「天子ヶ岳」。その山頂に咲くという花「瓔珞ツツジ」の伝説をいくつか紹介しよう。  天子ヶ岳という地名について、関東地方環境事務所は「少し離れたところから見ると、山の形が天守閣に似ている」ことに由来するらしいと説明しているが、やはり「天子(=天皇)」という字面が連想させるのであろうか、皇室が関わる伝説が形成されている。 1.富士山の裾野の「炭焼きの松五郎」に降嫁した行き遅れの皇女 昔々、富士山の裾野に、明見村の生

          【静岡県の皇室伝承】5.「天子ヶ岳」の「瓔珞ツツジ」起源譚:炭焼きに降嫁した皇女、亡き尹良親王を慕って田貫湖に身を投げた娘(富士宮市)

          【静岡県の皇室伝承】4.南朝再建運動に身を投じた後醍醐天皇皇子・宗良親王の終焉の地「井伊谷」(浜松市)

          「井伊谷」周辺における宗良親王の伝承地 徳川四天王の一人・井伊直政公や安政七(一八六〇)年の桜田門外の変に斃れた幕末の大老・井伊直弼公などを輩出したことで知られる武家の名門、井伊家。その揺籃の地である静岡県浜松市の井伊谷は、人皇第九六代・後醍醐天皇の皇子で南朝再建運動に御身を投じられた宗良親王の伝説地としても知られている。 龍潭寺(静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989)  井伊家累代の菩提寺であると同時に、宗良親王の菩提寺でもある。薨去後の親王が葬られ給うた寺であり、その

          【静岡県の皇室伝承】4.南朝再建運動に身を投じた後醍醐天皇皇子・宗良親王の終焉の地「井伊谷」(浜松市)

          【補記】宮内庁が検討している「皇室Twitter」、ここにきて「大問題」が起きているワケ【講談社『現代ビジネス』寄稿】

          はじめに 先般、講談社『現代ビジネス』から拙文が公開された。お世話になった編集部の方々には改めてお礼を申し上げる(※なお、記事のタイトルは編集部が付けたものである)。  というわけでこのnote記事では、文章のバックアップを取るという目的も兼ねて、いつものように草稿を公開しよう。  拙文の執筆にあたっては『X(旧Twitter)』と距離を取ったアカウントを調査したけれども、字数の制約上、記載できたのはほんの一握りであった。せっかく調べ上げたものであるから、草稿公開に併せて

          【補記】宮内庁が検討している「皇室Twitter」、ここにきて「大問題」が起きているワケ【講談社『現代ビジネス』寄稿】

          ポーランド共和国より顕彰され、市民に敬愛される墺皇室の末裔「ジヴィエツ・ハプスブルク家」

          ポーランドの町「ジヴィエツ」に根付いた「ハプスブルク家」  ポーランド共和国の南中央にある町、ジヴィエツ。今でこそポーランドに属しているが、第一次世界大戦が終結するまではオーストリア=ハンガリー二重君主国を構成する「ガリツィア=ロドメリア王国」の西端部、すなわちハプスブルク君主国全体のほぼ北端に位置していた。  そんなこの町には、「ジヴィエツ新城(Nowy Zamek w Żywcu)」という古典主義建築の宮殿がある。ハプスブルク家の一門アルプレヒト・フォン・エスターライ

          ポーランド共和国より顕彰され、市民に敬愛される墺皇室の末裔「ジヴィエツ・ハプスブルク家」

          【紀行文】輿休山勅養寺:御輿を止めて「勅使」が休養した寺(愛知県新城市)

           JR飯田線の東新町駅から北東に向かった地、愛知県新城市は矢部字矢畑に、輿休山勅養寺という曹洞宗の寺院がある。  仏教で「勅」というと、最初に思い浮かべるのはみ仏のご命令を意味する「仏勅」という言葉だが、この寺の名はそれに由来するものではない。寺号標、看板、屋根瓦――。当寺の境内では、さまざまなところで菊花の紋章がみられる。  菊花紋章といえば皇室の御紋章であるから「勅願寺」を連想するが、朝廷から指定を受けたという話も聞かない。ならばこの寺の「勅」とはいったい何に由来する

          【紀行文】輿休山勅養寺:御輿を止めて「勅使」が休養した寺(愛知県新城市)

          【補記】汚職事件に「私に徳が足りないのが悪い」と心を痛めた…「保守政治家」が肝に銘じるべき昭和天皇の逸話【プレジデント社『プレジデントオンライン』寄稿】

           先般、プレジデント社『プレジデントオンライン』より拙文が新たに公開された。執筆にあたりお世話になった皆様には改めて篤くお礼申し上げる。 【出典付】汚職事件に「私に徳が足りないのが悪い」と心を痛めた…「保守政治家」が肝に銘じるべき昭和天皇の逸話自民党・安倍派の「裏金作り」疑惑…風雲急を告げる永田町  よく知られる「権力は腐敗しやすく、絶対的権力は絶対的に腐敗する」という格言を残したのは、19世紀イギリスの歴史家であるアクトン卿だ。彼が言ったように、あまりにも長く権勢を振る

          【補記】汚職事件に「私に徳が足りないのが悪い」と心を痛めた…「保守政治家」が肝に銘じるべき昭和天皇の逸話【プレジデント社『プレジデントオンライン』寄稿】

          【愛知県の皇室伝承】16.持統上皇の三河国御幸と紅葉の名所「宮路山」付近の伝説地(豊川市)

          持統上皇の三河国御幸と紅葉の名所「宮路山」付近の伝説地 人皇第四十一代・持統天皇におかせられては大宝二(七〇二)年、歴史書『続日本紀』にあるように太上天皇として三河国(現・愛知県東部)を御幸あらせられた(大宝二年十月十日条)。  三河国の具体的にどこをお訪ねになったのかは朝廷内の記録には残されていないが、豊川市赤坂町の名電赤坂駅(名古屋鉄道)の付近には、持統上皇やそのゆかりの者の伝説地が集中している。 杉森八幡社  持統上皇の頓宮(※一時的な宮のこと。行在所)の跡だと

          【愛知県の皇室伝承】16.持統上皇の三河国御幸と紅葉の名所「宮路山」付近の伝説地(豊川市)

          【愛知県の皇室伝承】15.「御所名残」の地名起源譚:淳和天皇の第三皇子「東山親王」居住伝説(豊田市)

          「御所名残」の地名起源譚: 淳和天皇の第三皇子「東山親王」居住伝説 愛知県豊田市の三河上郷駅(愛知環状鉄道)のすぐ東に、「御所名残」という地域がある。いうまでもないが「御所」とは身分の高い人のお住まいを意味する言葉である。  この地名は、かつて皇族が一帯にご住居をお構えになっていたという伝説に因んだものであるそうだ。周辺には、その皇族に関する伝承地がいくつか存在する。 御所山誓願寺  御所名残の中心部にある寺院である。伝承によれば、宮内庁の『皇統譜』には記載されていない

          【愛知県の皇室伝承】15.「御所名残」の地名起源譚:淳和天皇の第三皇子「東山親王」居住伝説(豊田市)

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          【写真集】展覧会「至高の紫 典雅の紅 王朝の色に挑む」

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