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ナチスの聖典は絶版にすべきか|藤原辰史さんが選ぶ「絶版本」

本連載は2022年9月に書籍化されました。

R. W. ダレエ『血と土』黒田禮二 訳(春陽堂、1941年)

 絶版するのがもったいない、今すぐにでも復刊してほしいという本もあれば、絶版でよかった、絶版が当然だと思う本もある。今から80年前に日本で刊行された『血と土』も、そんな本の一つである。

 「血と土 Blut und Boden」は、ナチスの根幹思想、略して「ブルーボ」とも呼ばれた。ドイツの農村でこそ、健康な民族の血が育成されることを訴える農本主義的スローガンだ。この「血と土」をもとに、ナチスは農民帝国の復興を謳い、農民票を獲得して政権の座を射止めた。この言葉の組み合わせのどこに人は惹かれたのだろう。これまでの貴重な20年を私は「血と土」という僅か三文字の言葉の解読に費やしてきてしまったと言っても過言ではない。

 大学4年生のとき、古本屋で約8000円の『血と土』を購入した(カバーはついていなかった。ダレーの写真が印刷されたカバー付きの『血と土』を入手したのはそれから10年後だ)。京都大学の図書館に所蔵されていたし、高い値段に躊躇したが、卒論執筆に必要なので思い切って貴重なバイト代を古本に投入した。ドイツ語版も日本の洋書屋を通して2万円くらいで購入した。

 『血と土』は、ナチス・ドイツの食糧・農業大臣リヒャルト・ヴァルター・ダレーの主著であり、ヒトラーの『我が闘争』、ローゼンベルクの『20世紀の神話』と並んで、ナチスの聖典の一つと言う人もいる。翻訳者の黒田禮二は、クロポトキンとレーニンから取ったペンネームであり、本名は岡上守道。東京帝国大学の新人会出身のジャーナリストだ。1943年にボルネオ島への渡航中に乗っていた船が撃沈されて死亡した。ダレーとも会ったことがある。

 ダレーは、アルゼンチンのドイツ人商人の家に生まれた。第一次世界大戦で兵士となり、復員後はハレ大学で遺伝学を学び、とくに豚の育種について知識を得た。そこから人種主義と出会い、ナチスへと接近した。

 『血と土』の原題は『血と土から生まれる新貴族 Neuadel aus Blut und Boden』である。日本語版の表表紙にもこのドイツ語が記してある。新貴族とは前近代の貴族ではなく、土を耕し、自然と親しみ、高貴な心を持つ「アーリア人」の農民のこと。価値の転倒を図ったのである。反ユダヤ主義とメンデルの法則と軍国主義と北方神話、それにシュペングラーの『西洋の没落』をごったまぜにした珍書である。とはいえ、現在でも誰かが唱えそうな主張もある。

 本当に自然と縁を結んでゐる農業者なら[農地を狩猟場にして金儲けしようとせず——藤原註]、何よりも森林の生命(いのち)の法則に標準を置くべきであり、そんな魂の抜けたやうな純収益計算の力などに屈服する必要のないことを知つてゐるのだから、その自分の些(ささ)やかな杜(もり)を、愛撫し育成する彼の掌(てのひら)の中から、何と不思議にも生命の充実が、魔術のやうに出て来ることか!(155頁)

 つまり、人種主義者ダレーは、反資本主義的でエコロジスト的で、しかもロマンチストでもあった。

 現在ドイツでは『血と土から生まれる新貴族』は古本屋以外で入手することができない。『我が闘争』をはじめ、ナチスの思想を代表する本を膨大な注釈を付けずに刊行するのは、ドイツでは禁止されている。日本では『我が闘争』は現在も新刊の本屋で入手できるが、『血と土』は販売されていない。

 けれども、地球の危機、土壌浸食の危機、農業の危機が叫ばれる今だからこそ、私はこの本に膨大な註をつけた新訳版が世に出て然るべきだと考える。ダレーの思想を普及させるためではもちろんない。世界恐慌時に、ナチスがなぜ農村で多数の支持を得たのかを知るのに役立つからだ。逆に、どうして共産党や社会民主党がナチ党ほど農村票を獲得できなかったかを見極めることもできる。マルクス主義者たちの多くは、農民は生産手段を持っているので、プロレタリアートと規定しなかったし、小規模農民層はいずれ農業経営者と農業労働者に分解していくだろう、と予想して、農業問題に強い思い入れがなかった(このあたりについては、最近上梓した『農の原理の史的研究』で述べている)。だが、世界恐慌で農民たちは辛酸を舐めた。とくに、農機具に資金を投入していた農民たちは借金が焦付き、1920年代末には北部ドイツで反政府運動が起こったほどだ。ヒトラーの「第三帝国は農民帝国か、しからずんば死か」というフレーズが響く背景にはこうしたことがあった。昔も今も、都市ばかりに関心を集中させていると重大なことを見落とすことになる。

 土壌に根づく意味、自然の壮大さ、農民の気高さ。ダレーがこんな言葉を言ったからといって、私たちが使ってはならないわけではない。歴史の悲惨が私たちの思想の隣に座っていることを知る。どこが通ってはいけない道かを学ぶ。そうして、ようやく、今の危機の時代に、農業が歩くべき道筋をみんなでのびのびと考えることができるのだと思う。

 研究室や自宅の本棚には、1945年以前に刊行された古本がぎゅうぎゅうに並んでいる。ナチスに関する本は特に多い。そんな本を読むと、本当に気が滅入りそうになるが、同盟国日本がいかにナチスから多くを学ぼうとしたか、そして、ナチスの「農村の人種的に健全な結婚がたくさんの子どもを産んで、民族を健康にする」という主張が、たとえば「LGBTには生産性がない」というような現代の政治家の発言とかなり近いと知ることもできるので、常備しておくことにしている。以上、絶版でも当然であるような本にも重要な役目があるのだ、という言い訳を、きなくさい古本が我が家の本棚を逼迫する現実から目を逸らしつつ、申し上げる次第である。

 それ以外に我が家でこの危険な絶版本が役立つのは、飼い猫が本の角っこで口の端のかゆいところをガリガリするくらいしかない。

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(写真=著者提供)

今回の選者:藤原辰史(ふじはら・たつし)
1976年、北海道旭川市生まれ、島根県横田町(現奥出雲町)出身。1995年、島根県立横田高校卒業。1999年、京都大学総合人間学部卒業。2002年、京都大学人間・環境学研究科中途退学、同年、京都大学人文科学研究所助手(2002.11-2009.5)、東京大学農学生命科学研究科講師(2009.6-2013.3)を経て、現在、京都大学人文科学研究所准教授。主な著書に『ナチス・ドイツの有機農業』(第1回日本ドイツ学会奨励賞)、『カブラの冬』、『稲の大東亜共栄圏』、『ナチスのキッチン』(第1回河合隼雄学芸賞)、『食べること考えること 』、『トラクターの世界史』、『戦争と農業』、『給食の歴史』(第10回辻静雄食文化賞)、『食べるとはどういうことか』、『分解の哲学』(第41回 サントリー学芸賞)、『縁食論』、『農の原理の史的研究』がある。2019年2月には、第15回日本学術振興会賞受賞。

連載「絶版本」について
あなたが、いまだからこそ語りたい「絶版本」はなんですか?この連載では、さまざまな書き手の方にそのような問いを投げかけ、その一冊にまつわる想いを綴ってもらいます。ここでいう「絶版本」は厳密な意味ではなく、「品切れ重版未定」も含んだ「新本市場で現在アクセスできない本」という広い意味をとっています。連載趣旨については、ぜひ初回の記事も参照ください。



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