仮令永劫を願えども、只一切は過ぎて行く。
人の死に触れる度に、生命の有限性を感じます。人に与えられた僅か数十年の寿命は一閃の霆に等しく、遥か永劫を生きる天体や宇宙の視点に還れば、文明の栄枯盛衰さえ瞬きに満たない刹那でしょう。
私は経験的に生命体を生命たらしめる魂の存在に肯定的立場をとりますが、魂それ自体は物質とは異なる位相にあるように感じます。魂は生命の輪を流転し、しかし自我や記憶が継承されることはありません。何れも脳や身体という物質に刻まれる情報である以上、器を離れて存続することは有り得ない。そう考えるのが現代科学の普通です。
ところが実際に「生まれ変わり」と判断せざるを得ないような事例が、世界中で報告されています。その多くは眉唾モノですが、中には信憑性の高い情報も含まれているように感じます。当時者が知り得ない過去の情報を記憶として保持して生まれてくる生命は、物質を超越した魂の記憶の自覚者なのかもしれません。ただし「仏陀の生まれ変わり」を名乗る人は例外なく偽物でしょう。解脱してねぇじゃんってなりますから。どうして騙される人が後を絶たないのか理解に苦しみます。あゝ無明。
遠い未来の観測が必ずしも幸せと同義ではないように、自分の魂の過去世の記憶を自覚することもまた、好ましいこととは限りません。本来ならば知り得ない未来も過去も、そうっとしておいた方がいい。忘却は美徳です。
超常的な事実を述べますと、私自身にも幾つかの奇妙な体験があります。過去世の記憶は極めて断片的かつ曖昧なものですが、例えば初めて見た旧い写真の人物と交わした会話を瞬間的に思い出して号泣し、旅先においては既視感で片づけるには不可解に過ぎる光景に遭遇することも幾度かありました。
息子は過去に薬師の経験があるのか、私の教えていない漢方薬の名を言うことがあります。発音が変だったり3歳児らしい言い間違いがあったりするものの、つい先日、息子はこんなことを言いました。
「あのねパパ、ぼくのはなしをきいてくれる?アレあるかな、さいれいとう。おなかがいたいんだよ。ちょーっとだけ、カゼひいたみたい。」
よく聞き取れず「何があるかって?」と訊き返すと、息子は「さいれいとう、カンポーだよ」と応えました。たしかに漢方薬に柴苓湯という処方があります。しかしながら家には置いていませんし、私も家族も服用歴はありません。地味にマイナーな処方名ですから、どこかで耳にすることも考えにくいでしょう。
柴苓湯は小柴胡湯と五苓散の合剤で、消化器症状と浮腫傾向を伴う感冒に用いる漢方薬です。診察所見とも一致します。
私は奇妙な感覚を覚えながら、自宅にあった小柴胡湯と五苓散を混合して調剤し、息子に柴苓湯を与えました。彼は旨そうに飲み干すと、柔らかく微笑みました。
娘は過去世に鍼灸の心得があったようで、私が自宅で鍼や灸をしようとすると、必ず近寄ってきて「ここ!」と的確なツボを秒で突いてきます。指されたポイントを調べると、そのときの不調にピッタリなことに驚愕します。
またある時には漢文の医学書を本棚から取り出して楽しそうに眺めていたり、仏教の経本を引っ張り出して読んだりしています。
彼女は齢1歳ですが、なぜか日常会話が成立します。文字に書き起こすと実に嘘っぽいですが、事実です。此奴人生何周目だろうと困惑しながら抱く感情は仄かな恐怖です。
仮令永劫を願えども、只一切は過ぎて行きます。
しかしながら私には、魂なるものは永遠に流転する存在かもしれないと感ぜられるのです。だからといって生まれながらの境遇を過去世のせいにしたりとか、因果と業の曲解によって誰かを弾圧したりとか、そういうことを私は好みません。輪廻転生も永劫回帰も梵我一如も本質的には同じこと。必ず訪れる死の瞬間が自我の消失を意味しても、その魂はきっと循環するのでしょう。
会いたい人はいますか。
忘れたくないことはありますか。
巡り巡って再び邂逅する瞬間を、楽しみに待つことにいたしましょう。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の魂が美しい輝きを保ちますように。
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