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より良く生きる

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2021年6月の記事一覧

よりよく生きる その10

よりよく生きる その10

時期は遡り、日本コーチ協会・熊本支部の活動に参加した初期の頃の話しです。

コーチングの普及活動をしているのに、自分自身がコーチングの勉強をしていないのもおかしな話しだなと思った(私がそう思っただけで、おかしな話しでもなんでもない)のと、その当時相変わらず部下の指導育成で悩みを抱えていた私は、本格的にコーチングの学びをスタートすることにしました。

選んだのは、今のコーチ・エイ(その当時はコーチ2

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よりよく生きる その9

よりよく生きる その9

日本コーチ協会・熊本支部で活動していたときは、基本的に月一で勉強会を開催していました。

そのときの経験が未だに活かされていると思います。

何というか、イベントを開催すること自体への心理的ハードルがほぼないのです。

コーチフォーラムにしても初回ほどの規模ではなかったものの、運営責任者として引き継いで何回か開催したこともあり、比較的大きなイベント運営も経験しました。

その当時から自分が大切にし

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よりよく生きる その8

よりよく生きる その8

大々的に開催されたコーチフォーラムは、日本コーチ協会・熊本支部の設立イベントでもありました。

そこから私も支部の活動をメンバーとしてお手伝いすることになりました。

途中から支部長を拝命し、6~7年ほどコーチングの普及活動に携わったのも、今コーチとして活動していることに直接つながっています。

ある意味会社を“辞められた”のも、こうして会社の外にコミュニティを持っていたのが大きかったのだと思って

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よりよく生きる その7

よりよく生きる その7

コーチのSさん主導のコーチ・フォーラムは数百名の参加者を集め、文字通りの大盛況でした。

私自身は、そのようなイベントの開催に携わったことがなかったので実感がなかったのですが、今振り返るとコーチング関連のイベントをあのような規模で、しかも熊本という地方で開催できたというのはすごいことだったんだなぁと思います。

幸いにも、このような大規模なイベント運営にいきなり参加させてもらったおかげで、その後自

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よりよく生きる その6

よりよく生きる その6

コーチングとの再会が、自分にとってはすごく運命的だったなと思うのは、ファシリテーション講座を開催されたコーチのSさんがちょうどそのタイミングで大きなイベントを企画されていたからです。

それは、熊本で数百人規模の人たちを集めてのコーチ・フォーラムの開催、そしてそれと同時に日本コーチ協会・熊本支部を設立するというものでした。

その当時コーチングを学んでいた訳でもない私は、当初自分には関係のない話し

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よりよく生きる その5

よりよく生きる その5

今書いているあたりは、私にとっては大げさに言えば“暗黒期”とも言えます。

若いうちはもっと尖っていて、結果的にいろんな人に迷惑を掛けていたのだと思いますが、自分自身はそんなことにまったく気づかず、常に自分が正しいと思い込んでいたので、周囲の人との軋轢はありつつも迷うことはなかったのだと思います。

それだけ質が悪かったということでもありますが。

いずれにしても、少しずつ経験値が上がり、年もとっ

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よりよく生きる その4

よりよく生きる その4

相変わらず日々悶々として過ごしていた私に転機が訪れたのは、課長職に就いてから二年ほど後のことでした。

その当時私の勤めていた工場は、工場=子会社となっていて、従来社長は本社から派遣されていた方々が就いていましたが、その年に初めて工場出身のいわゆるプロパーの方が社長に就任しました。

それまでの社長以上に工場内部のことをわかっていた新社長は、内部のメンバーで自発的に風土改革をしていこうと、いわゆる

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よりよく生きる その3

よりよく生きる その3

今はコーチとして独立し、コーチを職業としている私が最初にコーチングと出会ったのは、課長職に昇格して最初の研修でした。

ところが、最初のコーチングとの出会いは、残念ながらあまり心に響くものではありませんでした。

私が務めていた会社は、かなり福利厚生がしっかりとしていて、自前の研修所を兼ねた宿泊施設を持っていました。

コーチング研修は、その宿泊施設を使って丸々二日間で行われました。

それだけが

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よりよく生きる その2

よりよく生きる その2

海外出向を終え、出向元の工場に戻り勤務していた私は、相変わらず何となくの生きづらさを感じつつも、そこから数年は取り立てて自分を変えるためのアクションを取ることもなく、無為に過ごしていました。

その当時、なぜ生きづらさを感じていたのかは、今になって振り返るとよくわかります。

ストレングス・ファインダーの資質で「責任感」を上位に持つ私は、自分なりの“こうあるべき”との正しさを持っていました。

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よりよく生きる その1

よりよく生きる その1

「『知識さんの主催する会議には出ないよ』と言ってます」

会議が始まってもやってこない部下のA氏を呼びに行かせたものの戸惑いながら帰ってきて、困ったように別の部下(現地人)が発した言葉です。

その当時海外の工場に勤務していた私は、現地人ではなく唯一の日本人部下からそう言われてしまうくらいに“拒絶”されていました。

海外勤務において、文化や考え方の違いから現地の人々とのすれ違いに伴う葛藤を抱え得

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