ちしき
ストレングスファインダーを活用するちょっとしたコツを書いています。
先週末は、コーチングや自己基盤を強化する学びの場に参加していました。この場では得られる知識やスキルだけでなく、場そのものが私にとって大きな学びにつながっています。さまざまな人と話す中で、自分の中に生じる小さなざわめきや葛藤と向き合う時間が生まれるからです。 会社員を辞めてから、日常的に人と話す機会は減りました。普段は一人で過ごし、自分自身と向き合い、内なる対話をしていることがほとんどです。これは私にとって自然なことで、一人の時間を好む自分にとって必要なものでもあります。しか
アサーティブなあり方とは、自分の気持ちを大切にしながらも、相手の存在や思いを尊重すること。私もその道のりの途中にいますが、日々少しずつ自分と向き合うことで、新しい発見があることに気づきました。 かつての私は、ストレングスファインダー®の資質「責任感」と「自我」が強く出る一方で、「調和性」がその勢いを抑えようと働いていました。自分の思いと周りとの調和を両立させようと頑張りすぎてしまい、普段は我慢を重ねながら、時にはその抑えた気持ちが溢れ出してしまうこともあったのです。 今は
ふとした会話で、自分の言動について考えさせられる瞬間ってありませんか?私も先日、飲み会で「知識さんって、人の悪口を言わないんですか?」と聞かれ、ドキッとしました。こういう問いかけは、モヤモヤしがちな他人との関わり方を見つめ直すきっかけにもなりますよね。 誰かの行動に「なんで?」と思うこと、ありませんか?私も昔は、心の中で「そんなことはするべきじゃない!」と責めることが多く、そのモヤモヤがたまって苦しくなることもありました。口には出さなくても、心の中ではなんとも言えない感情が
伝えるということは、小さな冒険をするということ。 この「伝えるということ」シリーズもいよいよ最終回です。今までお伝えしてきた内容は、約10年前に書き始めたものを、繰り返しリライトしてきたものです。少しずつ見直しながら今日まで続けてきましたが、10年経った今でも、このテーマに対する思いは変わりません。 私がコーチングやアサーションを学び始めたのは、16、7年ほど前のことです。当時、周りの方に「私ってどんな印象ですか?」と尋ねてみると、「かたい」「こわい」「つまらない」という
伝えるということは、心を開くということ 私たちの毎日は、輝いている瞬間もあれば、ひっそりと陰に佇むときもあります。どちらも自分の一部であり、良い悪いではなく、それぞれに意味のあるもの。自分の光と陰を受け入れることこそが、心を開いて「伝える」ことの第一歩なのかもしれません。 誰かに本当の気持ちを伝えたいとき、どうしても言葉が出てこないことってありますよね。「こう思われたらどうしよう」「相手がどう感じるかな」と考えすぎて、自分の気持ちを心の中に閉じ込めてしまうこともあるでしょ
伝えるということは、行動してみるということ。 これまで、「あり方」について触れてきましたが、あり方が思考を生み、行動を生み出します。 自分と他人の違いを受け入れ、「違うからこそ自分も素晴らしい」とOKを出せるあり方があると、自然に「伝わるように伝えられる」という行動につながっていくのだと思います。 けれど、ある日突然「あり方」そのものを変えるのは、決して簡単ではありませんよね。あり方は行動を生み出しますが、同時に、行動を重ねることで少しずつ「あり方」が変わっていくことも
伝えるということは、自分を認めるということ 伝えにくいことを、どうしても伝えなければならない場面があります。勇気を振り絞って、言葉にしなくてはいけないときがあります。けれど、人は心が満たされず、心の温度が低いと、ほんの小さな一歩でさえ、踏み出すのが難しく感じてしまうことがあります。伝わらないもどかしさや不安から、つい感情をぶつけてしまうこともあるでしょう。 一方で、心が満たされているときは「これなら伝えられるかもしれない」と思い切って話してみようという気持ちが生まれます。
伝えるということは、選択するということ。 「できないのにできないと伝えられない」ことがあります。 「やりたくないのにやりたくないと伝えられない」ことがあります。 「止めてほしいのに止めてほしいと伝えられない」ことがあります。 相手がどう思うか不安で、受け止めてもらえるか心配で、伝えられないと感じることがあるのです。 でも、その「伝えない」を選んでいるのは、他でもない自分自身。 実は、伝えられないと思っていても、自分で「伝えない」を選んでいるのかもしれません。 伝えるこ
伝えるということは、汲み取るということ たとえば、付き合い始めたばかりの恋人や親しい友人との会話では、相手をもっと理解したいという気持ちから、お互いの話に自然と心を傾けますよね。価値観が違っても「自分のことも知ってほしい」と思いを伝えようとするものです。 でも、どれだけ思いを込めて伝えても、相手に伝わらないことがあります。反対に、不器用な表現でも相手がこちらの気持ちを汲み取ってくれることもあります。 もし相手がこちらの思いを受け止めてくれたら、自然と「自分も相手の気持ち
伝えるということは、自問するということ たとえば、普段はしっかりしている友人や同僚が、最近、どこか元気がなく、ミスや遅刻が増えてきている。そんな様子を見ると、「しっかりしてほしい」と言いたくなるかもしれません。 「最近、どうしたの?ちゃんとしてくれないと困るよ」 こんなふうに声をかけてしまったとしたら、こちらの伝えたい思いは相手に届くでしょうか?もしかすると、そこには「ちゃんとできていない」というメッセージが含まれてしまい、相手をさらに追い詰めることになるかもしれません
伝えるということは、違いを受け入れるということ。 たとえば、「たくさん」という言葉も、人によって感じ方が違います。同じ数字を見ても、ある人は「多い」と思い、別の人は「少ない」と感じるかもしれません。私たちは同じ「物差し」を持ちながら、その物差しにあてはめる「基準」がそれぞれ違うのです。でも、それは悪いことではありません。ただ「違う」という事実があるだけなのです。 水が半分入ったコップを見たとき、ある人は「半分も入っている」と思うかもしれませんし、別の人は「半分しか入ってい
誰かに認められたい、もっと役に立つ人でありたいと思う一方で、そのために自分を無理しているように感じること。何かうまくいかないと、自分の価値が失われてしまうのではないかという不安に襲われること。これらの気持ちは、私たちが持つ「ニーズ」と深く関係しています。 自分の「ニーズ」に気づくことの大切さ 先日、自己基盤の学びの中で「ニーズ」について考える機会がありました。私たちの「ニーズ」は、他者との関係性の中で「こういう人として見られたい」という強い欲求のようなものです。誰しもこの
日々の生活の中で、私たちは無数の選択を迫られています。たとえば、仕事でのやり取りや家族との時間の過ごし方、友人との関係性など、どんな些細なことでも、選択の積み重ねによって日常が成り立っているのです。しかし、これらの選択が本当に自分の意思によるものなのか、時には立ち止まって考えてみることも大切です。 たとえば、職場で同僚が意見を求めてきたとき、自分の本音では「もう少し違う方向性が良いかもしれない」と感じていても、「相手を傷つけたくない」「チームの雰囲気を壊したくない」と思うあ
子どもの頃、何かに夢中になった経験はありませんか?その時の楽しさや、何時間でも集中できたあの瞬間は、今のあなたの「得意なこと」とつながっているかもしれません。 私は幼い頃から、新しいことに挑戦するのが大好きでした。たとえば、けん玉やヨーヨーに夢中になり、技を磨くのが楽しくて仕方なかったんです。大人になってもその好奇心は変わらず、料理やお菓子作り、子ども服をミシンで作ることにもどっぷりとハマっていました。そして、半導体技術者として働いていたときには、特に独学で半導体物理を学ん
以前、x(Twitter)でこんな投稿を目にしました。 「『子どもの個性を伸ばすため』とか言って、やりたい放題させる親がいるから、他人が迷惑するんだよ。」 その言葉を見たとき、少し前の自分を思い出しました。「あぁ、確かに昔は自分もそう思ってたなぁ」って。 もちろん、親が無理に子どもの個性を伸ばそうとすることも、違った問題を引き起こす可能性があると思います。でも今回は、その話はちょっと置いておいて。 ふと考えたんです。そもそも「迷惑」って、何なんだろう? きっと、この
「“ただ”は要りません!」 この言葉が私の胸に強く響いたのは、アサーティブ・コミュニケーションのトレーナー研修中でした。お互いに相手の良い点をフィードバックし合うエクササイズの最中、私は「〇〇が良かったと思います。ただ…」と無意識に言葉を続けてしまいました。その時、講師が「“ただ”は要りません!」と鋭く指摘したのです。 その瞬間、私ははっとしました。良い部分を褒めているつもりでも、つい「でも」「ただ」と言い添えて、批判や改善点を探してしまう。これは、私の思考パターンそのも