よりよく生きる その1
「『知識さんの主催する会議には出ないよ』と言ってます」
会議が始まってもやってこない部下のA氏を呼びに行かせたものの戸惑いながら帰ってきて、困ったように別の部下(現地人)が発した言葉です。
その当時海外の工場に勤務していた私は、現地人ではなく唯一の日本人部下からそう言われてしまうくらいに“拒絶”されていました。
海外勤務において、文化や考え方の違いから現地の人々とのすれ違いに伴う葛藤を抱え得ることは良く聞いていた話しだし、覚悟もしていました。
しかしながら、よもや日本人同士の関係においてここまで関係性が悪化してしまうことがあろうとは、思いもしませんでした。
でも、これが現実に起こったことであり、自分が「何かを変えなきゃいけないのかなぁ」と思い始めるきっかけを与えてくれた出来事でした。
そして、その当時は理解出来ていなかったものの、今から振り返ると、自分自身に大きな問題があったのだとわかります。
このシリーズでは、そんな私がどんな風に自分を変えてきたのかを具体的に綴っていきたいと思います。
A氏は、私の半年後に赴任してきて私の部下になりました。
日本国内の地方工場から出向していた私は、現地人を指導しながら新製品を導入する仕事に就いていました。
新製品導入にあたっては、開発側との密なコミュニケーションが欠かせません。
そのために開発サイドと掛け合い、派遣してもらったのがA氏でした。
A氏が赴任してきて、最初の面談のことをなぜか未だに良く覚えています。
そして、その面談こそがすれ違いの始まりだったのだと今では理解しています。
A氏には一つの少人数のグループのリーダーを任せようと思っていた私は、A氏に対して開口一番こう言いました。
「取り敢えずリーダーを任せるけど、無理だと思ったらいつでも言ってね。俺がやるから」
今振り返ると、相手への思いやりなど微塵もない傲慢な物言いだったのだと理解できます。
でも、その当時の私は、何の疑問もなくこの言葉を発していました。
自分は常に正しく、その正しい自分が指示する通りに動いてくれればそれでいい。
初めての海外勤務経験でいろいろと不安もあるに違いないA氏の感情に寄りそうことなく、本気でそう考え、そう振る舞っていました。
その結果、こんな事件が起こりました。
ある日残業しているときに現地人から技術的なことで日本側への確認を依頼されました。
地方工場からの出向である私より、本社から出向しているA氏から確認してもらった方が良いだろうと考えた私は、既に帰宅していたA氏に対し、依頼元の現地人にもCCを入れる形で英文メールで依頼しました。
すると翌朝、私の斜め後ろに座っていたA氏からメールで返信が届きました。
そこには英語でこう書いてありました。
「私は、あなたの下請けではありません」
下請けなんて日常で使う言葉ではないし、きっとわざわざ辞書を引いて書いたに違いありません。
そこまでして、斜め後ろにいる私に口頭ではなく、メールで返信されたことに対し、不思議と腹が立つ訳でもなく、ただ「これはまずいなぁ」と思う自分がいました。
そのメールを読んですぐに席を立ち、彼の元に向かい「そんな積もりはなかったのだけど、申し訳ない」と謝りました。
腹が立たなかったのも、きっと何がどう良くないのかはわからなくとも、自分の側に何か問題があるのだとわかっていたから何だろうなと思います。
それでも、結局何をどう変えて良いのかわからないまま時間が過ぎ、冒頭のような事態になるほど関係性は悪化する一方でした。
唯一の救いは、その当時の業界全体の不況により、工場が閉鎖されることとなり、彼との関わりも一年も経たずに終了したことでした。
日本に帰った私は、相変わらず漠然と「何かを変えねば」と思いつつも、何をどう変えて良いのかわからず悶々とした日々を過ごすことになります。