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種田山頭火:新山口駅前

まったく雲がない笠をぬぎ

『鉢の子』

種田山頭火(たねだ・さんとうか、1882年~1940年)…自由律俳句の俳人。本名は、種田正一(たねだ・しょういち)。

俳人種田山頭火之像

画像は、山口県山口市の新山口駅・南口にある俳人種田山頭火之像。少し離れた北西には、旧住居である其中庵(ごちゅうあん)も。

種田山頭火を知ったきっかけは何だったのだろうか。俳人であることや有名な俳句などは知っていた。ただそこまで人物や作品について深くは知らなかった。

恐らく、詩人・中原中也(なかはら・ちゅうや、1907年~1937年)が自分にとって種田山頭火を深く知るきっかけだったのだろう。

中原中也の故郷・山口県山口市にある湯田温泉。その地には、中原中也記念館がある。中原中也の生誕の地でもある場所。また少し離れた場所には、中原中也も眠る中原家累代之墓も。

中原中也記念館に立ち寄る前、あるいは立ち寄った後に新山口駅の南口で種田山頭火の像を見て「ああ、種田山頭火も山口なのか」と思った記憶がある。ただ種田山頭火の出身は山口県防府市ではあるが。また湯田温泉の地で、中原中也の詩碑に加えて、種田山頭火の句碑も見ていた。

新山口駅の北口を出て、西北に進んでいけば、種田山頭火が1932年~1938年の間を過ごした其中庵もあるというのも知って、ついでにみたいな感じで足を伸ばした。そこから種田山頭火について関心を持ち、色々と情報収集するようになった。

俳人種田山頭火之像の台座

なるほど、種田山頭火の俳句は自由律俳句というものなのか、と認識したのもそろ頃のことである。と同時に、尾崎放哉(おざき・ほうさい、1885年~1926年)も知る。二人とも同じく、荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい、1884年~1976年)に師事。また種田山頭火も尊敬した人物が尾崎放哉。

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