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2021年7月の記事一覧
一日に十里歩ける人が、十五里は
信心する氏子、一日に木綿一反織れる人が、六根の祓にもあるとおりの潔(いさぎ)き心持ちで朝より一反半織るつもりになれば、一反半成就する。
よそへ行く人でも、一日に十里歩ける人が、十五里は運びができるぞ。
金光教教典
391頁
山本定次郎の伝え
51
おはようございます。
神様は願い以上のおかげを下さる、というお話です。
六根清浄祓には、「為す所の願いとして成就せずといふことなし」
わがうちでも神様に違いはせん
わがうちの人はあまり心安立て(無遠慮)が過ぎて、敬い尊むことがむつかしい。金銭はいらず、別にお礼に行くこともなし。
医師のうちには、わがうちの薬は効かんと言うておるが、これも、先生様のお薬と敬いがないからである。
わがうちでも神様に違いはせん。わがうちの薬も薬に違いはせん。敬い尊み、よろしきよう信心しなさい。
金光教教典
388頁
山本定次郎の伝え
47
おはようございます。
教
気安い子供は前へ来るから早くもろうて
子供にたとえて言えば、子供が四、五人ついて来た時、豆をやると言うて持って出て、早くやろうと思うて待っておるのに、遠慮深い子供は後になる。気安い子供は前へ来るから早くもろうて帰る。
金光教教典
387頁
山本定次郎の伝え
45
おはようございます。
学院生は班ごとに並んでご祈念します。わたし達の時もそうでした。
そのご祈念の時、必ず一番前に座ったのが中岡康夫さんでした。一年を通して
神様と病人との間に風も通さぬほどの一心
神の前に参りて祈願してもらう時は、百姓にたとえてみれば、田の水が干て困ると言うて水番を頼み、水は用水路に流れ、田に入りこんでも十分ぬまらぬ(ぬからぬ)、よく見れば、だんだん穴があいていたというようなことでは、神様のおかげをいただくにも暇がいる。
せっかく参って祈願するほどのことであるから、神様と病人との間に風も通さぬほどの一心で願いなさい。
此方には、帳面へ書き記したうえ、毎日願うのである。
おかげを取りはずすのは・・・
信心の油断をしておかげを取りはずすのは、飲み食いで安心しており、次の支度をせず、さっそくに困るようなものである。飲み食いの時間になりて支度すれば、心が急ぐばかりで勝手が悪い。
金光教教典
386頁
山本定次郎の伝え
43
おはようございます。
家内が留守の時、これをよくやってしまいます。
お腹がいっぱいになると動くのがおっくうになって、「またあとて」と思ってしまいます。
その度その
疑いのない人ほど早くおかげを受けられます
私方には三代盲が続きますとか、代々目を病みますとか、代々血の道にかかりて困りますとか言い、金神様が障りて困りますとか、種々様々お願いされますが、此方の話を聞いて疑いのない人ほど早くおかげを受けられます。
金光教教典
386頁
山本定次郎の伝え
43
おはようございます。
先日、血圧の高いことを書きましたら、「こうすればさがりますよ」とグーパー体操のやり方を教えてくださる方がありました
遅れ百姓のようなもの
病苦災難にて、たびたび神様へお願い申しあげる家は、遅れ百姓のようなもので、人の手伝いを受け、ようやく一番耕作をしたと思う時、お手伝いをしてくれた人らは、その翌日より二番耕作を始められるので、安心に日を過ごされます。
遅れ百姓は、たびたび人様のごやっかいにならねばなりません。
病苦災難のたびたびある家には、人なみより別に大神様へお願いし、格別にお守りをこうむらねば立ち行かんのであります。
金光