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御教え

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金光大神(こんこうだいじん、金光教の教祖)の御教えを,毎日頂きます。
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2021年7月の記事一覧

一日に十里歩ける人が、十五里は

一日に十里歩ける人が、十五里は

信心する氏子、一日に木綿一反織れる人が、六根の祓にもあるとおりの潔(いさぎ)き心持ちで朝より一反半織るつもりになれば、一反半成就する。

よそへ行く人でも、一日に十里歩ける人が、十五里は運びができるぞ。

 金光教教典
 391頁
 山本定次郎の伝え
 51

おはようございます。

神様は願い以上のおかげを下さる、というお話です。

六根清浄祓には、「為す所の願いとして成就せずといふことなし」

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難儀な人を助けるのが人間

難儀な人を助けるのが人間

難儀な人を助けるのが人間である。

 金光教教典
 390頁
 山本定次郎の伝え
 50

おはようございます。

・困っている人、辛い思いをしている人に手を差し伸べる。

・(たちまち難儀ではないかも知れなくても)目の前の人に喜びが生まれるように気を配る。

・神様を知らなくて、本当の安心ができていない人を祈り導く。

・いつも助ける気持ち、寄り添う気持ちを持っている。

難儀な人を助けるとは色

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これ、神様のおかげ

これ、神様のおかげ

人間は万物の霊長であるから、ものを言い、話をする。人が聞き受ける。これ、神様のおかげで、ありがたいことである。

鶏は時を歌うと言い、みな、人が飼うておるが、時は歌うてもものは言われん。

実に、人間は天地の親神様のおかげで、ありがたいことである。

 金光教教典
 390頁
 山本定次郎の伝え
 50

おはようございます。

わたし達は毎日、ものを言う、話をする、聞くということに、お礼を申し上

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万事、神様を頼み、安心におかげをこうむれば、ありがたい

人間がなにほどよろしい吉日と定めておりても、大雨大雪が降って運びに困ることも数多いことである。万事、神様を頼み、安心におかげをこうむれば、ありがたいことではないか。

 金光教教典
 389頁
 山本定次郎の伝え
 48

おはようございます。

教祖様は、嘉永3年(1850)37歳の時、母屋の建築をされました。この建築にあたっては、厳重に日柄方角を専門家にみてもらい、その通りにされました。

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わがうちでも神様に違いはせん

わがうちの人はあまり心安立て(無遠慮)が過ぎて、敬い尊むことがむつかしい。金銭はいらず、別にお礼に行くこともなし。

医師のうちには、わがうちの薬は効かんと言うておるが、これも、先生様のお薬と敬いがないからである。

わがうちでも神様に違いはせん。わがうちの薬も薬に違いはせん。敬い尊み、よろしきよう信心しなさい。

 金光教教典
 388頁
 山本定次郎の伝え
 47

おはようございます。

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落としたりせぬよう

落としたりせぬよう

此方の話を聞いて満腹し、帰る道で人の話に気を取られたり落としたりせぬようにしなされ。

 金光教教典
 387頁
 山本定次郎の伝え
 45

おはようございます。  

JRに乗ると、札幌と函館の間に室蘭があります。
室蘭はやきとりで有名です。やきとりと言っても鶏ではなく、豚です。

以前ある時、仲のよい先生と函館からの帰りに室蘭に降りて、やきとりを頂きました。
とてもおいしかったです。

とこ

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気安い子供は前へ来るから早くもろうて

気安い子供は前へ来るから早くもろうて

子供にたとえて言えば、子供が四、五人ついて来た時、豆をやると言うて持って出て、早くやろうと思うて待っておるのに、遠慮深い子供は後になる。気安い子供は前へ来るから早くもろうて帰る。

 金光教教典
 387頁
 山本定次郎の伝え
 45

おはようございます。 

学院生は班ごとに並んでご祈念します。わたし達の時もそうでした。

そのご祈念の時、必ず一番前に座ったのが中岡康夫さんでした。一年を通して

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神様と病人との間に風も通さぬほどの一心

神様と病人との間に風も通さぬほどの一心

神の前に参りて祈願してもらう時は、百姓にたとえてみれば、田の水が干て困ると言うて水番を頼み、水は用水路に流れ、田に入りこんでも十分ぬまらぬ(ぬからぬ)、よく見れば、だんだん穴があいていたというようなことでは、神様のおかげをいただくにも暇がいる。

せっかく参って祈願するほどのことであるから、神様と病人との間に風も通さぬほどの一心で願いなさい。

此方には、帳面へ書き記したうえ、毎日願うのである。

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おかげを取りはずすのは・・・

おかげを取りはずすのは・・・

信心の油断をしておかげを取りはずすのは、飲み食いで安心しており、次の支度をせず、さっそくに困るようなものである。飲み食いの時間になりて支度すれば、心が急ぐばかりで勝手が悪い。

 金光教教典
 386頁
 山本定次郎の伝え
 43

おはようございます。

家内が留守の時、これをよくやってしまいます。
お腹がいっぱいになると動くのがおっくうになって、「またあとて」と思ってしまいます。

その度その

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信心の徳で代々続く病人がないようになってしまい

信心の徳で代々続く病人がないようになってしまい

はじめ疑いがありても、道理を知りて参るうちには、信心の徳で代々続く病人がないようになってしまい、人が助かるような家もだんだんある。

 金光教教典
 386頁
 山本定次郎の伝え
 43

おはようございます。

信心させていただいて次第に分かってきたことは、自分は文句や批判が先に立つ人間だということです。

それがいけないと分かって、改まろう改まろうとしてはきましたが、染みついているのでしょうか

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疑いのない人ほど早くおかげを受けられます

疑いのない人ほど早くおかげを受けられます

私方には三代盲が続きますとか、代々目を病みますとか、代々血の道にかかりて困りますとか言い、金神様が障りて困りますとか、種々様々お願いされますが、此方の話を聞いて疑いのない人ほど早くおかげを受けられます。

 金光教教典
 386頁
 山本定次郎の伝え
 43

おはようございます。

先日、血圧の高いことを書きましたら、「こうすればさがりますよ」とグーパー体操のやり方を教えてくださる方がありました

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遅れ百姓のようなもの

遅れ百姓のようなもの

病苦災難にて、たびたび神様へお願い申しあげる家は、遅れ百姓のようなもので、人の手伝いを受け、ようやく一番耕作をしたと思う時、お手伝いをしてくれた人らは、その翌日より二番耕作を始められるので、安心に日を過ごされます。
遅れ百姓は、たびたび人様のごやっかいにならねばなりません。

病苦災難のたびたびある家には、人なみより別に大神様へお願いし、格別にお守りをこうむらねば立ち行かんのであります。

 金光

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人を助けるばかりの心になろう

人を助けるばかりの心になろう

病苦災難のために人に助けられるようではなりません。

人を助けるような神徳を受けて、人を助けるばかりの心になろうと思うて信心するが一番よろしいわい。

 金光教教典
 385頁
 山本定次郎の伝え
 42

おはようございます。

「人を助けるような神徳」のことを、当教会初代教会・長西村道雄先生は「絶対信」とおっしゃいました。必ず人が助かるという信心です。

二代教会長・西村トヨ子先生は、「ひとさ

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介抱人にまで親切の心がけを深く

見舞いというても、病人ばかりではない。介抱人にまで親切の心がけを深くいたしおけば、人がまた、自分の身に難のある時、親切にしてくだされます。

 金光教教典
 385頁
 山本定次郎の伝え
 42

おはようございます。

この御教えに二つのことが見て取れます。

一つは、病人を見舞いに行く時にはそのお世話をしている人にも親切にせよという、行き届いた心です。

もう一つは、投げかけたものが返ってくる

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