ちょっと脱線しまして、 私の考え方の基本の話。 私は基本的に楽観的に考えて生きている。 後々聞いた話だが今回のように障害が残る場合、障害を受容する工程があるのだと言う。 ショック→回復への期待→悲嘆→防衛→適応の流れらしい。 コーンの障害受容過程というものらしい。 ショック 混乱で事態を理解できない 回復への期待 すぐ治ると思っている 悲嘆 希望を失い回復意欲も失う 防衛 これまでと何も変わらないと思いながら今までしていたことに執着する 受容 障害は個
初日のリハビリは無事何事もなく終わった。 言語のリハビリは自分的には必要なの?って感じだけどカードに書かれたものを答えたり、自分の名前を書いたりという簡単なものだった。 そう言えば夕ご飯は食堂って言ってたなぁ… お話できる人いるかなぁ。 そんなことを考えていると夕ご飯のお迎えが来た。 「ご飯いこっか。」 私は見守られながらベッドから車椅子に移る。 「おぉ?できるようになっとるぜ?」 『教えてもろた。1人でできるようならんなんもん。』 「あっ、でもまだ1人でやったら
リハビリ病院での初めてのリハビリは理学だった。Iさんが病室まで迎えにきた時、テレビカードもないのでテレビも見れない、スマホもないので暇つぶしもできない、話し相手もいないからお話しして過ごすこともできないと言う状況でお昼寝をして過ごすしかなかった。 「kaoさん…リハビリの時間ですよ。」 そう声をかけられびっくりして目を覚ました。 寝てた!? 寝るつもりなかったんやけどなぁ… 何もすることないし寝ちゃうよねぇ 「目覚めました?」 『うん』 ベッドから車椅子に移りエレベ
この病院に来て気になったこと。 常に叫んでいる人がいる。 声の聞こえる感じから見て近くの病室の人みたいだ。 「たか〜こー! たか〜こー!!」 娘さん呼んでる? ちょっとおボケになっとられるんかな? なんて思いながら誰かを呼ぶ声を聞いていた。 夜になってもタカココールは止むことなく続いていた。 はぁ、たかこさん大変やねぇ(笑) なんて思いながらふと昨日までの自分を思い出していた。 私も夜中騒いでたから周りに迷惑かけてたなぁ… どこ行ってもこんなもんよね〜 私はとりあえず
「kaoさん。ご飯だよ〜」 うつらうつらしてしばらくした頃看護師さんの声で起こされた。ふえ?ご飯? あまりお腹減ってないよ… と思いながら車椅子に移りテーブルの前に行く。 今まで自分で移動したことなかったから車椅子をどう動かしたら良いのかわからず、左足と左手で動かす方法を教えてもらう。 「今までやったことなかった?」 『いつも誰かがいて移動する以外ベッドの上にいたから動かすチャンスもなかった』 「自分で行きたいところ行けるようになってよかったやん」 回復期に移動する
急性期病院から回復期病院までの移動中、パパが隣にいることが嬉しくて色々話をした。 その大半が大相撲の事だったのは入院してから話題性に乏しくなっていたからなのだろうか。 とにかく久しぶりの話せる相手にテンションが上がってたんだと思う。 車に揺られながら外の様子も見たかったが大して見ることはできなかった。外の様子が見たかったのは自分がいた病院がどこだったのか知りたかったから。 結局、入院している間どこに入院したのかわからないままだった。隠しとかなきゃいけない理由でもあるんやろか。
急性期最後の夜、似てないけど雰囲気福くんな看護師さんが担当だったのかちょくちょく顔を出してくれてた。 Kaoさん、とうとう明日やね。 どんなとこかね〜? リハビリは厳しいらしいけど嫌言わんとやらんなんよ。Kaoさんなら嫌言わんか。リハビリ好きやもん。(いつから好きって設定になった?) 明日万全で行く為にも今日ちゃんと寝とかんとね。 ねぇ… 明日誰か来る? ご家族さん来られるよ。 それだけ聞くと寝る体勢に入る。 この頃は起きていられる時間が少なかったように思う。とにかく
新しくお部屋のメンバーになる人がやってきた。 なんの病気なのかわからないけど、テキパキ…と言うのが正しいのか、どこか横柄な態度で色々指示していくおばちゃんだった。 まぁ、一言で表すなら偉そうな態度のおばちゃんやった。 私らに対して偉そうにあれこれ言ってこないからどうでもいいのだけど、もうちょっと優しくしてあげればいいのにと思った。 そして不思議なのは看護師さん?が私らに対する対応とは違う対応をしてるように見えた。が、私が入院してから見た覚えがない人のように思えた。 私設看
今朝は後藤くんが私の目の前を何度も通り仕事をしていた。私はそれを目で追いながら忙しそうやなぁと見ていた。 何をするわけでもない。 ただ、暇だっただけ。 Kaoさん。 何かいいたげですね。 後藤くんが何かに反応して声をかけてくる。 いいたいこともないけど…なんやろか? なんかいいたげな顔しとったんかな? よくわからなかったけど、暇だったからいいか。 んー、忙しい? 暇なん。 なんかお話しして。 見ての通り忙しいですよ。 てか、お話ししてって、なんで僕ばっかそう言うこと言
向かいのベッドのおばあちゃんの転院が決まった。明後日転院だからね。と言う声が聞こえてきた。どこの病院に行くのかはわからなかったけど、本人も多分転院ということ自体理解してないと思われた。 Kaoさんも多分もう少しかな? ちなっちゃんがふっとそんな事を言う。 私も転院するの? 転院するくらいってお家帰れんの? すぐおうち帰れるって思ってたのに… ちなっちゃん、私おうち帰れんの? 次は回復期って言ってもっと体が動くようになるためにリハビリをする病院に行くんやよ。 リハビリ
入院してから嫌だったことがある。 普通のことなんだけど、トイレの回数を聞かれること。聞かれるだけなら気にしなかったのだけど、便が出ない日が続くと摘便が待っていた。 下剤じゃだめなのか?とか色々思うことはあるが、いつもこれだった。 とにかく痛いからヤダ! 嫌なのー! と大騒ぎなもんだから看護師さんも大変だったろうと今なら思えるが、その時はただ嫌という感情だけで騒いでいた。 嫌かもしれんけど出んだらもっと困ることなるから まぁ、看護師さんもやりたくてやることではないと思うが
毎回ここどこかわかりますか?と聞かれるたびに私は好きな病院名を挙げていた。 市民病院 県中 済生会 とにかく知ってる病院をあげ続ける。 しかし、この病院が本当はどこの病院なのかわからなかった。 いつかこの質問にちゃんとした答えを返せる時が来るのだろうか。 まぁ、無理な気がする。 第一にこの病院がどこなのか聞いた覚えがないから。 多分この時期が1番混乱していた頃だと思う。 どこにいるかわからない なんでここにいるかわからない 今いる病室の正しい見た目がわからない。 夢で見
ベッドの上でボーっとしていたところに1人病室に入ってきた。 よぉ! あっ、パパや。 夫がふらっと寄ってみました! 位の感じで入ってくる。 パパどうしたん? どうしとるかなと思って。 なんということもない会話。 でも、記憶に残る限り久しぶりの家族との会話。 記憶に残ってはいないが子供達も見舞いに来てたらしいが記憶がなかった。 私自身もあまり頭が回ってないからか会話が続かない。パパはテレビをつけようとしてテレビカードがないことに気づく。 そしてテレビカードを買いに立ち
看護師さんと言い合いをした午後、私の気分は上がることなくただひたすらメソメソモードだった。 午後からはいつも通りリハビリがあったが、私はちょっとしたことで言い合いした時の気持ちを思い出しては涙を出していた。 なんか今日元気ないね。 どした? Kaoさんらしくないね。 男のPTさんが聞いてくる。 リハビリに関しては私は常にやる気満々(遊んでると思ってる)だったからいつもと態度が違うことが不思議だったらしい。 別に…何もないよ… あった出来事を言うと告げ口をしてるような気
珍しく明るい時間帯の記憶がある。 ある日の食事の時間。 私の食事は相変わらず牛乳しか手をつけてなかった。ご飯もおかずも何も食べてない。 そんな状態で歯磨きを済ませ、背もたれのように立てられたベッドに寄りかかって何をするでなくぼんやりとしていた。 下げ膳に来た看護師さんが私の食事の残り具合を見て何を食べたの?全部残っとるやんと声をかけてくる。 牛乳だけじゃ栄養足りんよ。 何やったら食べるの? パンなら食べれるの? 今日の看護師さんは色々聞いてくる。 相変わらずなんの反応も
急性期にいる間もリハビリはあった。 が、私にリハビリしている認識はなかった。 この人よく私を連れ出してお散歩してくれるなぁ位の認識。 このお散歩に連れて行ってくれる人が2人。色々都合の悪いとことかお散歩とかをしてくれる人が1人。話し相手に来てくれる人が1人。 今から考えればPTさん、 OTさん、STさんなのだがその時の私には遊んでくれる人という認識だった。 PTさんは男女2人セットできて、私をベッドから車椅子へ移動させてエレベーターでリハビリ室のあるフロアまで移動すると天