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回復期病院

急性期病院から回復期病院までの移動中、パパが隣にいることが嬉しくて色々話をした。
その大半が大相撲の事だったのは入院してから話題性に乏しくなっていたからなのだろうか。
とにかく久しぶりの話せる相手にテンションが上がってたんだと思う。
車に揺られながら外の様子も見たかったが大して見ることはできなかった。外の様子が見たかったのは自分がいた病院がどこだったのか知りたかったから。
結局、入院している間どこに入院したのかわからないままだった。隠しとかなきゃいけない理由でもあるんやろか。とまで思っていた。

回復期病院について最初にしたのは主治医、担当看護師、病棟の福祉士、家族、私での確認作業だった。
ストレッチャーから車椅子に移動して面会室へ。
先生からは今後の方針の説明がされる。
退院は様子も見ながらになりますが3月か4月を予定してます。の言葉になんて長いんだろと思った。子供の卒業式は?成人式は?私は見ることができないんだろうか…。なんて考えていた。

「退院時は杖での自立歩行ができると思っています。ある程度自分のことは自分でできる状態までリハビリでの回復を目指します。」

え?
私歩けるようになるの?
この手動くようになるの?
なんだ。
なら、元通りやん。

なんて安易に考えていた。
杖必要でも歩けるようになる。
の言葉に私の中のゴールと言うか、未来の姿がありありと想像できた。
私にとって『ありありと想像できる』はかなり重要度が高く、これができる事は実現できると思っていた。つまり、この時点で多少のできない事はあっても杖での自立歩行ができて、風呂、トイレなどできないと生活の質が下がる事は自分でできる。と言う脳出血の後遺症はあってもある程度のQOLの確保ができている姿が私にとってのこの入院でのゴールだと言う事だった。
この時点でこの姿を想定して想像できていたのは多分先生と私だけ。家族はほんとかよと思っていたらしい。

先生が立ち去ってから看護師さんがお部屋のことなど説明していく。

「お部屋は4人部屋を希望されてると聞いています。それで大丈夫ですか?」

『大丈夫です。他の人おる方が楽しいし』

「ですが、お部屋の方が空いていなくて、しばらくの間個室で過ごしていただくことになります。差額ベッド代は発生しません。お部屋はこちらになります。」

お部屋に案内される。
シャワーとトイレ付きの個室。
ナースステーションからも近い。

ラッキーなのかな?(笑)

とか考えていた。
まぁ、空きができたらすぐお引越しなる。
それまでの間のんびりさせて貰えば良いや。
車椅子からベッドへ移動。

「んー、おしっこの管ついとるね…。
先生と相談かなぁ。」

と呟くとルールを説明してくれた。

1.ベッドから降りる時は看護師を呼ぶ
2.今は管ついとるけど取れたらトイレ行きたい時は看護師を呼ぶ
3.高いところのものを取りたい時も看護師を呼ぶ
4.とにかく遠慮しないでナースコール!

と言うことらしい

『動く時は呼べば良いんね?』

「そう!1人では動かない」

そういうと、看護師さんは帰って行った。
誰もいない部屋。
何もすることがない。
ベッドに寝転んで目を瞑る。
なんか疲れた。
まだ午前中だと言うのに眠い…
まぁ、何かあれば起こしてくれるやろ。
と言うことですぐに寝てしまった。

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