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信念の魔術(閑話休題)

ちょっと脱線しまして、
私の考え方の基本の話。

私は基本的に楽観的に考えて生きている。
後々聞いた話だが今回のように障害が残る場合、障害を受容する工程があるのだと言う。

ショック→回復への期待→悲嘆→防衛→適応の流れらしい。
コーンの障害受容過程というものらしい。
ショック   混乱で事態を理解できない
回復への期待   すぐ治ると思っている
悲嘆   希望を失い回復意欲も失う
防衛   これまでと何も変わらないと思いながら今までしていたことに執着する
受容   障害は個性と受け入れる
なんかこんな感じらしい。
この辺をしっかり勉強したわけではないので深掘りすることもできないが、大抵こういう過程を経て障害を受け入れるらしい。
という話をリハビリ病院のPTさんとしたことがある。

急性期入院から私自身動かない右側を気にしたことはなかった。
なんというか、実際動かないんだからそのまま動かない現実を受け入れていた。ショック期と言うのはあったかもしれないが、私の記憶にある限りこれは現実じゃないとかも思わなかったし、今動かないけどすぐ治って動くようになるとも思ってなかった。
ただこんなふうに思っていた。

実際動かない現実がある。
だとしたら死ぬまで動かないかもしれない。
今、動かないものは仕方ない。
別のやり方を考えよう。
何か方法があるはずだ。

ただ、急性期にいる間はリハビリの概念もなく遊んでいる感覚だった。リハビリのつもりで出てくる塗り絵も動かない右手はスッパリ諦めて左手で持って円を描く様に塗りつぶしていた。食後の歯磨きもなんの抵抗もなく左手を使っていたし、食事に出てくるパンの包装も左手と口を使って袋を開けていた。だからなのか、『私、なんでもできるじゃん』と思っていた。

リハビリ病院に来てからは「できますか?」と聞かれた時にも『無理』とか『できない』なんて言ったことがない。私から返す言葉は『とりあえずやってみる。』か『出来る』だった。やった事ないのにできるかできないかはわからない。そう思っていたのと、自分が信じることは出来ると思っているから。

実際リハビリの時に何度もできそうですか?とかできますか?と聞かれたが即行動でやっちゃうので「コワイとか思わないんですか…」と聞かれたことが何度もある。

『失敗するかもって怖がってても何にもできないでしょ。それに倒れそうとかなったら◯◯さんが絶対支えてくれるって信じてるからチャレンジできる。』

と答えていた。
実際信じていたし。
失敗して支えられたこともあった。
ただ、怖がらずにチャレンジし続けたことが私の回復の要因だった様に思う。

ちょっと入院からは話がずれるが、私は信念の魔術というのを信じている。
自分が出来る、なれると心底信じてありありと想像できることは実現できると思っている。
私にとっての魔法であり、誰にでも使うことができる魔法でもある。

今回の入院中も私は信念の魔術を使っていた。
リハビリ病院に転院したその日、主治医の先生から「退院は歩いて帰りましょうね。僕はそれが可能だと思っています。」と聞いた。
その瞬間、杖を片手にある程度綺麗な歩き方で退院する自分の姿がまるで撮影された映像の様に脳裏に映し出された。その顔はにこやかで誰かに見送られて病院を後にする姿だった。
この瞬間、全く元の状態は無理でも自分の足で歩ける。私自身の笑顔も失われることはない。いける!と確信した。
これが確信できるという事は後はどんな風に行動するかな訳だ。現実は想像できれば叶うほど甘くはない。◯◯だったら良いなぁと思っても実現しなかったって事は誰にでも経験あると思う。
その違いは行動するかしないかなのだけど、ありありと想像できるという事は頭の中が現実化する為にどうしたら良いかを探し始めているんだよね。で、なりたい結果になる為の努力だからそれがどんなに辛くても辛くないんだよね。
私のリハビリは他の人から「なんであなたのリハビリはこんな厳しいの?」とよく言われたが私は厳しいとは思ってなかった。あの結果を得る為の必要な行動だったから。

人から見たらすごい努力だったかもしれない。
だけど私から見たら当然の事で苦になんかならなかった。

支離滅裂になってきたが、私の考え方は今ある手札で戦うしかない。ないものはないのだから現実をさっさと受け入れるしかない。その上でなりたい結果をありありと想像する。

いろんな人に超回復だったとかここまでなるとは…とか言われたが私から見たら当然の結果だと思っている。
人によって回復できる度合いは違う。
ただ、人間の意志の力、信念の力は誰もが持ってる力だ。

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