マガジンのカバー画像

佐佐木政治

42
運営しているクリエイター

#詩集

白い炎のような、コーヒーの花が咲きました。

白い炎のような、コーヒーの花が咲きました。

会社のコーヒーの木(鉢植え)に、花がたくさん咲きました。
日本の冬は彼らにとって厳しい環境ですが、ハウスや家の中では何とか成長を続けます。

亡父の詩集の中で「白い炎」は、白百合を表していますが、このコーヒーの可憐な花にもぴったりな表現だなと思います。

白くて可憐な花は、やがてさくらんぼに似た赤い実をつけます。その中の種からコーヒー豆が取り出されるのです。

白い花の生命は実や種として繋がれて、

もっとみる
私たちが何のために生きるのか、そんなことは考えなくていいんだ、と思った1週間。

私たちが何のために生きるのか、そんなことは考えなくていいんだ、と思った1週間。

今日も、少し、父の詩集をまとめながら、私なりに解釈したことを綴ってみたいと思います。

今週は午後になると急に真っ黒な雲が立ち込めて、雷が轟き、豪雨そして大粒の雹が降る、嵐のような日がありました。
大きな音を立てて断続的に降る白い雨や稲妻を見ていると、人間は本当に無力だと思います。
そんな地球上で起こるすべての事象は、神が作ったシナリオ通りのことだと亡父の詩は言います。

では、私たちに一体何がで

もっとみる
現在→過去か、あるいは現在→未来か。 未来は過去で、過去は未来だと思うこの頃。

現在→過去か、あるいは現在→未来か。 未来は過去で、過去は未来だと思うこの頃。

こんにちは!
驚くほど短い梅雨が明けて、新しく購入した私の傘は、日傘としてその役割を果たしてくれています。

さて今日は、亡父の詩集『神へ捧げる七十七のソネット』の中から私なりに感じたことを綴ってみたいと思います。

本日は、神へ捧げる七十七のソネット63からの言葉です。

私たち人間が創造するものは、冷たい化学化合物ばかりであり、神が描いたシナリオの上では、作った瞬間から、それは滅亡へと向かう。

もっとみる
読後に残る、涼やかな余韻。そんな言葉選びも、父の詩集の魅力です。

読後に残る、涼やかな余韻。そんな言葉選びも、父の詩集の魅力です。

亡くなる3年ほど前に、姉妹家族で父を沖縄旅行へ連れて行ったことがありました。父の、最初で最後の飛行機体験でした。
旅行のあいだ中、父は本当に子どものようでした。
白いメッシュの帽子を斜めに被り、首里城の土産物屋が続く木陰の道を、幼い孫娘たちと手を繋いでとても楽しそうでした。

「やがて浮輪に身をあずけて波にほんろうされている間に、ひょっとして神よ、わたしはあなたの本当の舞台をかいま見たかもしれない

もっとみる
大嫌いで大好きな父の詩とは 

大嫌いで大好きな父の詩とは 

私が小さな子どもの頃、父は、いつも夜遅くまで本を読んだり、詩を書いていました。幼いわたしたちが眠る時に昔話をひとつ聞かせてくれたあと、
タバコをくゆらせ、ウィスキーを飲みながら。

けれど私が思春期の頃には、そんな父が好きではありませんでした。
持病を持ちながら酒を飲み、タバコの量は減らず、生活に追われて詩集を作る余裕などなく、思うようにならないことを母に当たる、父の姿も見ていたからです。

父は

もっとみる
亡父の詩集を電子書籍出版した理由と、紙書籍出版にもこだわる理由について

亡父の詩集を電子書籍出版した理由と、紙書籍出版にもこだわる理由について

2022年6月10日、kindleにて初!電子書籍出版しました!! 

 この度6月10日に、亡父の詩集「神へ捧げる七十七のソネット」をAmazon kindle版電子書籍にて出版することができました。
  
■著者・佐佐木政治とは
 生きていたら91歳の私の父です。父は十代の頃からフランス文学に憧れてずっと詩を書き続けており、文庫出版したものもわずかですが残っています。ですが、晩年はひたすら書き

もっとみる
【お知らせ】信州木曽谷で21年間埋もれていた、亡き父の詩集を電子書籍出版しました。

【お知らせ】信州木曽谷で21年間埋もれていた、亡き父の詩集を電子書籍出版しました。

現在生きていたら、九十一歳となる昭和の文学青年だった父が、亡くなる少し前まで書き溜めていた詩を、娘である私が掘り起こして77の詩と7つのエッセイにまとめました。
ソネットとは、14行詩の事で、父の晩年のライフワークでした。
父にとって詩とは、この世界を想像した神への賞賛、絶望、空虚、悲哀を綴った手紙のようなものです。厳しい自然環境の木曽谷にインスパイアされた父の言葉をぜひとも感じていただけたらと思

もっとみる
昭和50年頃の、入院中の父から小さな娘たちへの手紙

昭和50年頃の、入院中の父から小さな娘たちへの手紙

もうすぐ父の日ですね。
今日は、かつて私の亡父が、小さな私と妹に宛てて書いた手紙があまりに素敵なんで、見て欲しいです。

私の父は体は大きい割に病気がちで、私たちが小さい頃は何度も入退院を繰り返していました。
父は文学青年でしたので、文章も上手だな(ホント身内贔屓と感じたら申し訳ありません)と思うのですが、それよりも、私たち子どもの成長に合わせて漢字を段々増やしたり、読みがなをつけたり、内容を難し

もっとみる
父の詩集の表紙絵について

父の詩集の表紙絵について

曽宮一念という画家をご存知でしょうか。明治26年(1893)〜平成6年(1994)静岡県富士宮市で101歳の生涯閉じました。東京文化財研究所のアーカイブには「奔放な筆触と大胆な色調による独自の風景表現を拓いたが、昭和40年には緑内障による視力障害のため国画会を退会、同46年には両眼を失明し画業を廃した」その後は、短歌や詩や書に親しんだとあります。

1970年代、父は、井上靖氏の詩集を見て、曽宮先

もっとみる
神へ捧げるソネット 抄5 #38

神へ捧げるソネット 抄5 #38

佐佐木 政治    1991年8月 かおす 67より

わたしの ほんのわずか頭上
わたしのさし挙げる手を 無の淵にひたし
わたしの髪の森がちょっぴり あなたの栄光で濡れるあたりから
神よ 触れるだけで神聖な あなたの領土がはじまる

もっとみる
神へ捧げるソネット 抄 #12

神へ捧げるソネット 抄 #12

佐佐木 政治

詩は単に 言葉の組合せであるというよりも
より断絶の空間に 身を焼きつくす炎であった
詩はひとを 希望に誘うというよりも
より孤独をかけのぼる 破滅の深渕であった

もっとみる
神へ捧げるソネット 抄 #11

神へ捧げるソネット 抄 #11

佐佐木政治   ( 1989年9月30日 かおす63より )

神よ あなたの永遠の滞在地 あのどこかの峰がうっすらとひかる高みの
あの なんの確証もありはしない ほとんど痴呆に輝く恣意の場所
光のように交叉し 意味と方角が差し違える場所
いつも終焉が炎に包まれている世界の そのへりのそと

もっとみる
昭和の文学青年。南信州に生きて仏文学を愛した亡き父が、麻痺の残る手で編んだ最後の詩群を読んで欲しい!

昭和の文学青年。南信州に生きて仏文学を愛した亡き父が、麻痺の残る手で編んだ最後の詩群を読んで欲しい!

七〇歳で亡くなった父は晩年、脳梗塞から認識障害を患い、一時は娘の私の顔も分からないほどでした。目の前の物体が何かは分かっても、言葉が上手く出てこない、左手の麻痺が残る。そんな中で自分の最後の詩集を編もうと、それまでの作品や手紙、資料を拾い集め、切り貼りして本当に手作りの詩集を作りました。

父は高校を卒業後、仏文学を学びたいと大学進学を希望したものの、長男の責務から東京への進学を断念。地元の印刷屋

もっとみる