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#詩集
白い炎のような、コーヒーの花が咲きました。
会社のコーヒーの木(鉢植え)に、花がたくさん咲きました。
日本の冬は彼らにとって厳しい環境ですが、ハウスや家の中では何とか成長を続けます。
亡父の詩集の中で「白い炎」は、白百合を表していますが、このコーヒーの可憐な花にもぴったりな表現だなと思います。
白くて可憐な花は、やがてさくらんぼに似た赤い実をつけます。その中の種からコーヒー豆が取り出されるのです。
白い花の生命は実や種として繋がれて、
私たちが何のために生きるのか、そんなことは考えなくていいんだ、と思った1週間。
今日も、少し、父の詩集をまとめながら、私なりに解釈したことを綴ってみたいと思います。
今週は午後になると急に真っ黒な雲が立ち込めて、雷が轟き、豪雨そして大粒の雹が降る、嵐のような日がありました。
大きな音を立てて断続的に降る白い雨や稲妻を見ていると、人間は本当に無力だと思います。
そんな地球上で起こるすべての事象は、神が作ったシナリオ通りのことだと亡父の詩は言います。
では、私たちに一体何がで
父の詩集の表紙絵について
曽宮一念という画家をご存知でしょうか。明治26年(1893)〜平成6年(1994)静岡県富士宮市で101歳の生涯閉じました。東京文化財研究所のアーカイブには「奔放な筆触と大胆な色調による独自の風景表現を拓いたが、昭和40年には緑内障による視力障害のため国画会を退会、同46年には両眼を失明し画業を廃した」その後は、短歌や詩や書に親しんだとあります。
1970年代、父は、井上靖氏の詩集を見て、曽宮先
昭和の文学青年。南信州に生きて仏文学を愛した亡き父が、麻痺の残る手で編んだ最後の詩群を読んで欲しい!
七〇歳で亡くなった父は晩年、脳梗塞から認識障害を患い、一時は娘の私の顔も分からないほどでした。目の前の物体が何かは分かっても、言葉が上手く出てこない、左手の麻痺が残る。そんな中で自分の最後の詩集を編もうと、それまでの作品や手紙、資料を拾い集め、切り貼りして本当に手作りの詩集を作りました。
父は高校を卒業後、仏文学を学びたいと大学進学を希望したものの、長男の責務から東京への進学を断念。地元の印刷屋