安定を捨て「保険代理店」という茨の道を選んだワケ
はじめまして。『りょーま@保険を100点満点に』こと村上諒誠です。
ご覧いただきありがとうございます。
私は愛媛県松山市にある保険代理店 有限会社オールラウンドコンサルティンググループの後継ぎです。
この記事を書いている2024年8月時点で29歳。
損害保険と生命保険を取り扱う保険募集人として、父親が経営する保険代理店に所属しています。
日々、お客様の保険相談に乗らせていただき、家計や将来に対する疑問や不安について、安心していただけるよう一緒に解決することが私の仕事です。
今日はタイトルのとおり、私がなぜ保険代理店という職業をライフワークとして選択したのかについてです。
「保険」「保険代理店」「保険屋さん」
この言葉を聞いて皆さんはどう感じますか?
この言葉を聞いた瞬間、身構えた人もいるのではないでしょうか?笑
悲しくも、私が身を置くこの「保険業界」は世の中の半数くらいの人は良いイメージを持っていないんです。
・契約させられる
・営業の押しが強い
・友達を失いそう
・ノルマが厳しい
・営業がつらい
こんな言葉をよく聞きます。
もちろん、「保険に加入していて助かった」「保険は大切なもの」と良いイメージを持ってくださっている方も半数います。
そして、いま私はお客様から毎日感謝され「ありがとう」というお言葉をたくさんいただいています。
お客様も満足してくれていて、私も幸せいっぱい!やりがいいっぱい!
ものすごく楽しい日々を過ごしています。
こんなに、人から「ありがとう」をいただける仕事は最高でしかないです。
ただ、なぜ半数の人は良いイメージを持ってないのでしょうか。
この答えは記事の最後に私なりの考えを書きます。
その前に、このようなイメージが厳しい業界である、保険業界という茨の道を自分がなぜ歩もうと決断したのか。
そのワケを自分史を遡りながら書いてみたいと思います。
◇ やりたいことがなかった就活生時代
私が大学を卒業したのは2017年3月。遡ること約8年前。
大学4回生だった私は就活が本格的にスタートしたものの、「将来の夢」というものが全くありませんでした。
「やりたいことがない」
「何の仕事につけばいいのかわからない」
正直就活にいきなり直面した大学生にはよくあることだと思います。笑
就活が近づいてきて、「自分って何がしたいんだろう?」ととりあえず自己分析してみるけど、結果何がしたいのかわからない。
商業高校出身でもなければ、専門学校でもなく、ただただ理数系が苦手で、文系でなんとなく経営学部を選んで大学入学した私。
大学4年間は特に学問に励むわけでもなく、サークルとバイトに明け暮れ、特に、何かを極めることもなく、よくある大学生活を過ごしました。
1つ変わったことといえば、ニューヨークとロサンゼルスに二度短期留学を経験したことくらいでしょうか。
海外留学を大学で出来たことは1つ自分の中で価値観も変わる出来事であったため、とても良い経験でした。
そのため、アピールできるポイントが少なく、就活の履歴書では「留学しました!」と馬鹿の一つ覚えのように書きまくってた記憶があります。笑
やりたいことが見つかっていない中ではありましたが、「来年卒業」という期限に対して、仕事は決めておかなければいけないと思い、やることはやるタイプなので、片っ端から合同説明会や企業説明会に参加し、片っ端から面接も受けていきました。
今さらですが、大学生活の4年間はもっと必死に「自分がやりたいことは何なのか」という人生のテーマと向き合うべき時間だったと思います。
4年間で足りないのならもう1年休学でもして見つかるまで、とことん向き合うべきテーマだと思いました。
いま大学生をしている方々には就活に直面してからやりたいことを探すのではなく、もっと日常的に「自分のやりたいことは何なのか」という問いに対する答えを探ってもらいたいと切に願います。余談でした。
その中で、私がエントリーした業種は主に、
・銀行
・証券会社
・保険会社
・住宅メーカー
・不動産会社
の5つでした。これは人生において必要不可欠な「金融知識」が切っても切り離せない業種だからです。
逆を言えば、この分野において知識がなければ人生やお金に対し、損をする可能性があると思っていました。
また、私が現在所属する保険代理店は父が経営する代理店であり、小さい頃から保険業界で長年仕事をする父の背中を見てきました。
自営業の父。私は一人っ子。少し人より我慢が少ないこれまでの人生だったことを子供ながらに感じていました。
例えば、奨学金なしで大学に行かせてもらったり、留学に行かせてもらったり。
大学生はまだ結婚や子供なんて想像のつかない時期でしたが、将来自分に子供が出来たら、最低限自分がやらせてもらってきたことは当たり前にできる環境づくりができる大人になりたいと漠然と思っていました。
そうさせてくれた父のライフワークは「保険代理店」でした。
なので、私の中で単純に保険業界は就活での第一希望でした。
保険業界がどんな業界かも深く知らず、片っ端から損害保険会社と生命保険会社のエントリーをしていました。
今では何の後悔もありませんが、なんと単純な人生選択をしたんだろうと思います。笑
しかし就職活動を通じて、どうしても入社したいと思う生命保険会社が1つだけ私の心に決まりました。
業界を広く浅く就職活動をしていましたが、この会社だけには全身全霊で自分のすべてを伝え、必死で入社希望の意思を伝えました。
そして、その生命保険会社から念願の内定をいただき、即決して就職活動を終えました。
それがSOMPOひまわり生命保険株式会社との出会いです。
◇ 生命保険会社 ソリシター時代
2017年4月にSOMPOひまわり生命保険株式会社へ入社しました。
当時は損保ジャパン日本興亜ひまわり生命保険株式会社という日本一会社名が長いということで有名でした。
SOMPOホールディングスとして、損保ジャパン株式会社とはグループ会社です。
勤務年数は6年間で、4年間は東京での勤務、2年間は広島での勤務でした。
生命保険会社に入社といっても、私の仕事は保険の提案ではなく、保険代理店のサポートでした。いわゆる「保険代理店営業」です。
保険代理店営業はその名の通り、保険会社の代理店となって保険販売を行う保険代理店に営業することです。
この保険代理店へ営業する社員のことを業界では「ソリシター」と呼びます。
ソリシターの仕事は主に2つ。
①担当代理店のサポート
今の私のような保険代理店に所属する保険募集人のあらゆるサポートです。
新たなお客様に保険提案を行く際の事前打ち合わせであったり、既存のお客様の保全対応における照会対応、保険金請求の際の対応など様々。
保険代理店と保険会社は常に二人三脚で、担当として多くの保険代理店と交流ができた6年間でした。
②新規代理店の開拓
代理店委託のない保険代理店を探し、テレアポや飛び込みなどをして、新たに保険代理店になってもらう交渉仕事です。
保険代理店となり思うことですが、新たな保険会社の代理店になることは決して簡単な決断ではありません。
ただ、この難しい決断をいかに魅力に感じていただき、代理店になっていただくか。とてもやりがいのある仕事で、テレアポや飛び込みなどは全く臆さずできるほどに、営業マンとしてのメンタル向上にも繋がりました。笑
◇ いざ人生の分岐点へ
このような仕事をしている中で、5年目の時に広島へ転勤となりました。
見知らぬ土地で業務時間外の友人との交流も減り、一人で考える時間が増えました。
特に、これからの自分の生きる道(キャリア)についてです。
そもそも保険会社への就職は、キャリアに悩んだ際、ソリシターの道と保険代理店の道、どちらも選べるようにとキャリア自体に「保険」を正直なところかけた部分もありました。
一人っ子であるため、父親が築いた保険代理店を一代で終わらすわけにはいかないという想い。
父親を信じて保険にご加入いただいたお客様をを引き継ぎ、自分が引き続きお守りしていかなければいけないという想い。
そして、父親が自分を不自由なく育て上げたライフワークを自分も追いかけたいという想い。
ただ、5年目になると、上場グループの社員としての温かみから抜け出しにくい年次にもなってきました。
・組合健保
・退職金制度(DC)
・住宅手当
・通勤手当
・賞与
・休暇制度
・有給日数
・健康診断
・各種インフラの支給 など
会社員としての福利厚生関連の手厚さはもちろんのこと、20代後半には時期尚早に感じる役職への昇進や、その対価となる給与面など、なかなかこの待遇を今捨てるには勇気のいる決断でした。
新卒からこの待遇が当たり前となってしまっていたため、地方の中小零細企業には、ここまでの大企業ほどの手厚さはありません。
父の背中を追い、保険代理店への道を選ぶには、すべての安定を捨て、白紙で一からキャリアを積み直すことが必要でした。
ただ、私は父の後を追いたいという気持ちのほうがやはり強く、保険会社を退職し、保険代理店への道を進む決心をしました。
ある日、父へ「保険会社を退職して、愛媛に戻るよ」ということを伝えましたが、父に電話越しで「まだダメだ」と即却下されました。
私の決心の薄っぺらさをすぐに父は見破りました。
保険代理店はそんな薄い決心で務まる仕事ではないのです。
当時の自分を振り返ってみると、
「もし保険代理店として成功しなくても、父にカバーしてもらえるだろう」
「父親の会社だから融通利かせてくれるだろう」
「まあなんとかなるだろう」
綺麗な言葉だけを並べだけして、生半可な気持ちが心の隅にはあったのだと思います。
そのため、
「本気で覚悟が決まったらもう一度言ってこい」
父にはそのように言われたことを今でも覚えています。
その日から、「覚悟」って何なんだろうということを日々考えるようになりました。
◇ 保険代理店になるための「覚悟」の正体
自分の決心が薄っぺらいものだと自覚した日から、「覚悟」について日々考えるようになりました。
生命保険会社での代理店営業を行いながら、様々な代理店様と関わる中で、圧倒的に違うと感じたのは「労働に対する対価への意識の差」と感じました。
「ライスワーク」なのか「ライフワーク」なのかという問題はさておき、私含め世の中の大半の人は日々生活するためにお金を稼いでる一面が必ずあると思います。
保険代理店の雇用形態はマチマチですが、おそらく半数は歩合制です。
要するに、お客様にどれだけ信頼いただき、ご契約をお任せいただいたのか。
分かりやすく給料に反映します。
保険会社勤務の社員という立場は「固定給」で生活を保障されています。
自分の仕事の成果が良かれ悪かれ給料は固定です。
自営業より会社員が安定だと言われる1つの理由ですね。
私は保険会社社員時代、正直優秀とまではいかないものの、まずまずの成果は出していたと思いますが、その成果が対価に繋がっている意識は薄かったです。
ただ、会社の方針に従い一生懸命仕事をしていれば、毎月決まったお金がいただける。
それくらいの感覚でしかありませんでした。
しかし、保険代理店の場合は「歩合制」で日々生活するためのお金を稼いでいる方が多い業界です。
固定と歩合では「労働に対する対価への意識の差」はかなり大きいと思っています。
保険代理店はどれだけ自分がお客様に信頼をいただき、ご契約をお任せくださるか。その対価としてお給料(手数料)をいただく。
この部分に対する意識を確固たるものにしなければなりません。
よって、保険会社社員から保険代理店に転身する覚悟の正体とは、この労働に対する対価への意識を100%に高めることだと考えました。
簡単に言えば、自分の行動次第で給料が変動する環境に身を置くことに「覚悟を決めろ」「腹を括れ」ということだったのではないかと、父の言葉の背景を理解しました。
◇ 覚悟を決めるきっかけとなった2つの出来事
しかし、5年間会社員として当たり前に安定的に給料をもらってきた環境から、自分の行動次第で給料が変動する環境になるということに対し、本当に不安とストレスしかありませんでした。
保険代理店業に飛び込みたい気持ちより、将来への不安が勝り前に踏み出せない自分がいました。
チャレンジ < 不安
の状態です。
本当にあの時の決心は薄っぺらかったなと思いました。
「自分は保険代理店としてお客様に信頼をいただけるのだろうか」
「お客様は自分から保険にご加入いただかけるのだろうか」
「今と同程度の給与水準を安定的に維持できるのだろうか」
「いつか父から事業承継をした際、会社および従業員を守れるのだろうか」
考えれば考えるほど弱気になり、やっていける自信が湧きませんでした。
そんな時に、私の考えがガラッと変わる出来事がありました。
・突然訪れた先輩の死
保険代理店として成功できるかどうかモヤモヤと考えていた期間に、突如連絡がありました。
「先輩が亡くなった」
と共通の知人からの連絡でした。
当時先輩は31歳でした。奥さんとお子さんも知っているお世話になった方でした。
結婚式にも参列させていただき、素敵な人生の晴れ舞台も見させていただきました。
転勤してなかなか会う機会がなくなっていたため、最後の言葉を交わすこともありませんでした。
先輩からは当時、「生命保険どんなの入ればいいと思う?なんか資料ちょうだい」と保険の相談もいただいていました。
私は当時、保険会社の一社員でしかなく、保険代理店という立場ではなかったため、保険を販売する立場ではありませんでした。
そのため、資料だけお渡しして特にフォローをしていませんでした。
当時の自分が本当に情けなかったのは、保険業界にいるにも関わらず「明日人が死ぬ」と思っていなかったのです。
ニュースでは毎日人が死亡したと耳に入りますが、身近な人、ましてや30代の人がなくなることなどイメージできてなかったのです。
この時、初めて人は若くても死ぬ可能性があるんだという実感を持ちました。
自分は先輩から保険相談を受けていたにも関わらず、資料だけ渡して何もお伝えができていなかった。
「自分は保険業界にいる意味はあるのか?」
自分のことをとても情けなく思いました。
当時、保険代理店ではなく保険会社社員という立場のため、保険販売をすることができなかったとしても、もっとできることはあった。
自分がもっと親身になってご対応できていれば、奥様やお子様に対しても、残された家族が生きる未来をもっと明るいものにできた。
そして、この時思いました。
保険業界にいるのであれば、ちゃんと自分が直接保険を届けられる立場(保険代理店)になろう
これが私の不安をひっくり返す出来事でした。
不安はもちろんあるけれど、どうせ保険業界にいるのであれば、周りの知人友人に対し直接お役に立てる立場にいたいと強く思いました。
チャレンジ >不安
天秤の傾きが逆転しました。
そして、漠然とモヤモヤするのをこの時から辞め、覚悟というスイッチが入りました。
また、保険代理店への独立に向け、丸6年の勤務をリミットとし、Xデーまでの残り2年間弱の過ごし方について考え始めました。
・パニック障害の発症
覚悟のスイッチが入ってからは、独立に向けて日々自己研鑽を気が狂ったかのうようにしました。
・証券外務員一種資格の取得
・AFP資格の取得
・相続診断士資格の取得
・1ヵ月に約4冊の読書
・投資の勉強
・毎日note365日として情報を発信 など
中でも、毎日note365日は地獄でした。
知識のインプットとアウトプットの千本ノック状態。
今お届けしているこのnoteの記事を毎日365日、一日も途切れることなく投稿し続けました。
私の好きな言葉で、
「情報を発信するところに情報は集まる」
という言葉があります。
情報を自ら発信していれば、自分の身になる情報もたくさん舞い込んでくるんだろう。
たくさん勉強をして情報を発信すれば、少しでも自分が保険代理店になったときに、ご相談してみようと感じていただけるのではないか。
もし相談いただけたときに、この発信した情報は自分の肥やしとなり、お客さまのご対応力向上に繋がる。
そんな想いでこの毎日note365日を感想しました。
その時の想いは下記リンクから読めますので、またお時間あればぜひ覗いてみてください。
このようなことを実施しながら、Xデーまで日々自己研鑽に明け暮れていました。
朝6時30分に起きて読書や勉強をし、帰宅後も寝る寸前23時30分くらいまで勉強。毎日疲労困憊でした。
そんなある日、会社で事務作業をしていたとき、なんだかフワフワとした感覚と息苦しさに襲われ、急に呼吸ができなくなりました。
同僚が救急車を呼んでくださり、救急搬送されました。
パニック障害でした。
自分の体の悲鳴を無視して、極限状態まで自分を追い込みすぎたのです。
そこからというものの、パニック障害が癖になり、人前で話すことは大の得意であったにも関わらず、人前で話すと症状が出たり、長距離ドライブもダメになったり。
Xデーまで大事な期間だというのに、もうそれは暗黒期間でした。
毎週のように父に電話をして泣いていました。
自分の思うように体が動かない悔しさで涙が止まりませんでした。
父に電話をしたのは、父も昔パニック障害経験者だったからです。
しかし、経験者である父のアドバイスをしっかり実践し、この症状とは上手に付き合えるようになりました。
この症状を発症した瞬間に感じたことは、
「あ、もう自分いま保険入れないんだ」
ということでした。
生命保険は健康な体でなければ、保険に加入したくてもすることができません。
例えば、がんを罹患されている方が、がん保険に加入したいと言っても、保険会社は必ず何かしらの保険金を支払うリスクを負うわけです。
そのため、保険会社も保険のお申込みがあった場合は査定をして、健康でない方の保険引き受けはしないようにしているのです。
「自分は保険代理店になるにも関わらず、保険をお客様に届ける本人が当面保険に加入できないんだ」
「保険に入れない保険屋」というレッテルを貼られたようで、なんとも悔しい気持ちでした。
しかし、これは自分の体を大事にしてあげられなかったせいなので、これからは自分の健康を第一に考えて行動しようという良い勉強となりました。
そして、この経験がもう1つ自分に覚悟を決めるきっかけを与えてくれました。
「人はいつ死ぬかわからない」
「人はいつ病気(ケガ)をするかわからない」
「だから、早くいま健康な人へ私が保険を届けよう」
そう思いました。
私と生命保険の面談をした方にはいつもお伝えしています。
「保険はいまこの瞬間あなたが健康だからこそ検討できる金融商品です」
「健康で元気なうちに大切な保険のこと本気で一生に一度でいいので一緒に考えましょう」
この「先輩の死」と「パニック障害」という2つの経験が私の保険代理店への道を最終背中を教えてくれた出来事でした。
◇ 安定を捨て保険代理店へ
2023年3月末、SOMPOひまわり生命保険株式会社を退職しました。
お世話になった保険会社の皆様、代理店の皆様には感謝溢れる6年間でした。
改めまして、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
さて、退職してからの現職は記載してきたとおり「保険代理店」です。
すべての会社員という安定を捨て、自分の覚悟を信じ、保険代理店業に飛び込みました。
父がたまに話していた言葉として、
「お前、襟章と名刺を置いて、面と向かって物を言ってみろ」
という言葉がありました。これは、
大企業の看板なしの「村上諒誠」としての単体で対峙できるのか
ということでした。
まさに、会社員としての大企業の後ろ盾を失い、自分という個人の力で道を切り開いていく環境となりました。
2023年6月から私の保険代理店としての活動はスタートしましたが、最初はチャレンジ と不安の天秤が再度逆転しそうな気持ちになりました。
しかし、もう退職してしまったからにはやるしかない。
腹はもうとっくに据わったはず。とにかく日々愚直に行動をしました。
保険代理店としてスタートした1年間は父の保険代理店から損害保険ジャパン株式会社に出向をしていたのですが、成果はお客様のおかげで全国の出向者約80名の中で、生命保険・損害保険ともに全国1位を12ヵ月間継続することができました。
保険代理店となるまでの2年間の努力が実を結んだ瞬間だと感じたと共に、この2年間の努力だけではこの成果とはならないと感じた瞬間でした。
2年間の努力だけではなく、この28年間の「生き方」が実を結んだんだと思いました。
私は冒頭申し上げた通り、一人っ子で生きてきました。
父からはの小さい頃からの教えは、
「友達を兄妹のように思いなさい」
「友達を大切にしなさい」
でした。
自分自身、人生の中で人間関係に悩んだこともありますし、人間ですからもちろん気が合わない人もいます。
ただ、とにかく自分から一方的に人を嫌うことはしない、陰口はたたかない。
誰に対しても平等に優しく接する、仲良くすることを心がけてきました。
中でも、
「一期一会」を大切にし、「ご縁」には必ず意味がある
と思って生きてきました。
例えば、私は大学時代にニューヨークに留学をしましたが、留学先の語学学校で今でもとても仲良くしている沖縄在住・民泊オーナーとなった友人がいます。
こういう出会いって奇跡だと思っていて、
・私が留学を決断しなければ出会うことがなかった人
・私が留学期間を2015年3月に設定しなければ出会うことがなかった人
・私が留学先をニューヨークにしなければ出会うことがなかった人
・私がその語学学校を選ばなければ出会うことがなかった人
・語学学校でお互い仲良くなろうと話さなければご縁が続いていない人
なんですよね。
「人と出会う」って当たり前かもしれないんですが、日々の出会いって奇跡だと毎日思って生きてきました。
2024年8月現在の日本の人口は約1億2,385万人です。
365日毎日違う人と出会うようにして、100年生きたとしても36,500人としか生きているうちに出会いえないんです。
まずそんなに毎日人と出会えないですから、人生でご縁をいただく人って人口に占める割合ではごく僅かなんです。
そう考えるといま自分の周りにいる人ってすごく大切な存在なんですよね。
だから、自分の周りにいる人には絶対にお役に立ちたいと思っています。
それは、自分の仕事である保険で、もちろんお役に立ちたい気持ちはありますが、それ以外でもなんだっていいんです。
引っ越しの手伝いでも、悩み事を聞くだけでもなんでも。
私が所属する保険代理店の名前は有限会社オールラウンドコンサルティンググループ(G-ALL)で、名前のとおり、オールラウンドであなたをコンサルティングできることが経営理念としてもあります。
【経営理念】
G-ALLのプロスタッフ集団は、『お客さまに喜ばれ、安心していただける対応』をモットーに、
あらゆる分野のネットワークを駆使し、お客さまの良きパートナーであり続けます。
さらに、私のモットーは「八方美人」に生きることです。
「八方美人」って日本では皮肉な意味を込めて使われることが多いですが、
四字熟語辞典で八方美人を調べるとこのように説明があります。
何か悪いことってありますかね?笑
マズローの欲求5段階説でも、人間の欲求には、
・生理的欲求
・安全の欲求
・社会的欲求
・承認欲求
・自己実現
という5つの提唱されていて、人は誰だって承認されたい、好かれたい、嫌われたくないじゃないですか。
正直に素直に八方美人に生きている人に何の害もないと思います。
その承認されることに変な気遣いや見栄などが混じるから、皮肉めいた意味合いで使われることが多いのではないでしょうか。
人と接することに対して、このような生き方をしてきたことが、少しでも自分のライフワークを信用して、後押ししれくれ、お客様になってくださることに繋がったのかなと感じています。
本当に多くのお客様のおかげでいまの私があると心の底から思います。
お陰様で、いま私の保険代理店としての活動はとても良いスタートを切れていると自負しています。
1年3か月間で本当に多くのお客様からご相談をいただきました。
生命保険ご契約件数:243件
損害保険ご契約件数:192件
私を信じて大切な保険をお任せいただいている皆さま、本当にありがとうございます。
これからも皆さまのお役に立てるよう日々精進してまいります。
これからもよろしくお願いいたします。
◇ 保険にある「壁」の正体
では、この記事の締めくくりとして、冒頭にお話しした保険のイメージについてお話ししたいと思います。
私もこの1年で500件近い面談をこれまでしてきましたので、もちろんお客様が保険にあまり良いイメージを持っておらず、私たち保険代理店とお客様の間に「壁」があることがあります。
それには2つ理由があると考えています。
・保険代理店のスタンス
1つ目は、自分本位な保険代理店が一定数いるからです。
例えば、新卒入社した未婚の22歳の方に月の支払いが3万円もする保険を、
「社会人になったんだからこれくらい入っておくのが一般的ですよ!」
みたいなよくわからない営業マンがいます。
「これくらい」ってなんなんでしょうかね。笑
保険は全て1人1人に最適な「カタチ」があります。
その「カタチ」は一緒にお客様と作り上げていくものなのに、営業マンのよくわからないおすすめみたいな保険に加入をさせられるから、全く満足感もなく、「保険」という商品のイメージが悪くなるのです。
いわゆる「入らされた!」という感覚しか残らないんです。
「保険」は本来「死亡」「病気」「事故」などから生まれる経済的リスクを、自分やご家族から守るためにある素晴らしい「お守り」です。
そして、万が一の時の遺言書とも言うべき大切なものです。
しかし、必要とわかっていながらも、こういった事象があることでイメージがあまり良くないものとなってしまいます。
正直、保険代理店の質はバラバラです。
原因として、まずは保険販売をするための資格試験の難易度です。
正直、一夜漬けでも受かります。入口がゆるゆるなので販売をする保険代理店には誰でもなれます。
しかし、この保険業界は高度な金融知識が絶対に必要となります。
それにも関わらず、誰でもなれてしまうので、知識不足でコンサルティングが適切にできない、お菓子を配って職場に居座り、お願い営業しかしないような営業マンが発生して業界が悪化するんです。
弁護士や税理士など士業並みにしろとまでは言いませんが、もう少し販売資格を取得する間口を狭くした方がいいと思っています。
もう1つは、保険代理店のポジショントークです。お客様に寄り添った素晴らしい営業マンがいる傍ら、一般の方よりは少し金融知識をかじっていていることから、あたかも自分の知識がすべての様に、有利な立場で営業する人がいます。お客様もそれを信じてしまうのです。
だからこそ、自分の身の回りの大切な人には、適切な保険提案をしてくれる人に出会ってほしいと思いますし、それが自分でありたいと思っています。
・保険は目に見えない無形商材ということ
2つ目は、保険という商品の特性です。
保険は形の見えない商品です。 保険が形を表すのは皆さんに何か「不幸」があった時ですよね。
そのため、「不幸」がない人はその間払っている保険料に対し、何も得られていないのに保険料だけどんどん消えていくため「つまらないもの」という感情が生まれるのも無理はありません。
さらに言うと、どういう内容の保険に加入しているかわかっていない人はなおさらです。
どういう内容の保険に加入しているかわからないお客様が発生すること自体がそもそも大問題なんです。
これは、上記のとおり保険代理店の質がバラバラすぎるため、知識が低レベルであったり、ポジショントークでお客様がついていけていないということで、保険代理店に責任があります。
そのため、自分が「何に対して」保険料を掛けているのか。
この「何に対して」保険料を掛けているのか、お客様が理解できていないことこそが大問題です。
これも保険代理店の責任です。ちゃんとお客様に内容をお伝えしきれていない証拠です。
お客様がしっかり我々からのご提案に理解を示し、ご加入内容が明確になれば保険に加入している価値を感じ、保険へのイメージは変わると思います。
よって、お客様の保険へのイメージが悪い、「壁」を感じていることへの正体は「保険代理店の質」なんです。
しっかりお客様へコンサルティングできる適切な知識を備えた保険代理店かどうかなんです。
なので、保険に加入するときは、保険会社や保険商品も選択肢として大切ですが、「誰に任せているのか」がとにかく重要だと思います。
◇ 終わりに
私、村上諒誠が安定を捨て「保険代理店」という茨の道を選んだワケについて、今回改めて振り返りと私の想いを書かせていただきました。
最後までお読みいただいた皆様、誠にありがとうございました。
日本の生命保険の世帯加入率は89.8%です。
しかし、自分の保険の内容がちゃんと説明できる人はほぼおらず、皆さんよくわからないという方がほとんどです。
この保険加入という入り口が「なんとなく」にならないよう、私は日々お客様にアドバイスをしていきます。
そして、私の得たすべての知識や経験を注ぎ、「無駄なく想いのこもったご準備」になるようサポートしていきます。
また、生命保険は特に「持病」や「直近何かしらの罹患歴」がある方は保険に入りたくても入れない場合があります。
上記のとおり、私もパニック障害で過去に保険に入りたくても入れない期間がありました。
そんな時ほど人は保険に入りたくなります。
でも、 何かあってから「保険に入りたい」と思っても時すでに遅しなんです。
健康な人が「いま保険に入りたい」と思わないのは当たり前です。
ただ、健康な今のうちに「人生に一度だけ」真剣に自分の「命」に向き合う時間を作って欲しいと思います。
「いつ死ぬか」
「いつ病気になるか」
「いつ働けなくなるか」
これは誰にもわかりません。
だからこそ「今」ちゃんと考えてみていただきたいです。
情報過多な時代です。現代の1日の情報量は「江戸時代の一生分」とまで言われています。
気が付いたらInstagramのリールを30分も見ていたなんてことよくありますよね。
日々SNSからは無数の情報が入ってきます。
再生回数稼ぎのなんちゃってFPさんが「保険不要論」という荒々しい言葉を使ってYouTubeを投稿してたりもします。
保険のプロから言わせると「マジで無責任」の一言に尽きる内容で、笑ってしまうような動画ばかりです。笑
そういった情報はその発信者の主観であって、皆さん1人1人に当てはまる情報ではありません。
中にはこれを鵜呑みにしたら危険だろうという情報もたくさん出回っています。
そんな時代だからこそ、1人1人に適切な情報をお届けし、最適なアドバイスができるアドバイザーが近くに必要だと思います。
そのアドバイザーに私を選んでいただけると幸いです。
「保険」はお客様の「お金」と「命」を取り扱う責任ある仕事です。
私はこの仕事が崇高な仕事であり、とても使命感あるものだと思ってます。
少しでも相談してみたいなということがあれば、遠慮なくいつでも私にお声掛けください。
きっとあなたのお役に立ちます。
お読みくださり誠にありがとうございました。
2024年8月31日
有限会社オールラウンドコンサルティンググループ
村上諒誠