【書評】『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んで人類の未来を妄想してみた
ロッシーです。
フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読みました。
本書は、SF小説の中ではかなり有名です。映画『ブレードランナー』の原作であることが大きな要因なのでしょう。
あらすじは、ざっくり以下のとおりです。
というストーリーです。
本書が発表されたのは1968年ですから、いまから55年前です。
当時はSF小説の域を出なかったのかもしれませんが、現代のテクノロジーの進化を見ていると、だんだんと本書の内容がリアリティをもってきているように感じます。
このままAIの発達が進めば、いつか汎用人工知能が出現する可能性があります。
「そうはならない!」
と主張する人達もいますが、そんなことは誰にも分かりません。
さて、もしそうなれば一体どうなるのかを個人的に妄想してみました。
まず、人間の作業を代替する役割としてのアンドロイドが製造されることになるでしょう。
それは、人間が合法的に新しい奴隷を手に入れることを意味します。そして、最初は一部の金持ちしか保有することができなかったアンドロイドも、メーカー間のコスト競争で量産化がすすみ、一般人も当たり前に保有することになるでしょう。
そうなったら、これまで自分達がやっていた面倒な労働を全てアンドロイド達にやらせるでしょう。仕事や家庭における家事労働含めて、すべてがそうなるでしょう。
そしてしばらくは、人間とその下僕としてのアンドロイドで構成される時代が続くと思います。
しかし、黒人奴隷の歴史と同じで、いつか誰かがこのようなことを言うでしょう。
「アンドロイド達にも人権を認めるべきだ!」
おそらくそうなると思います。私達人間は、他者への「共感力」があるがゆえに、社会を発展させてきたからです。その共感力は、当然ながらアンドロイド達にも適用されるはずです。アンドロイドは犬や猫と違い、人間と同等と知性を持っているわけですからなおさらでしょう。
もちろん、それに反対する人達も出てくるのも黒人解放の歴史と同じです。しかし、結局最終的にはアンドロイド達に人権を認める方向になるでしょう。
さて、そのまま人間とアンドロイドが仲良く共存する社会のまま進めばよいのですが、そうはならないと思います。
人間の知能に比べ、アンドロイドの知能はテクノロジーの進化とともに等比級数的に増大していきます。これは避けられません。誰かがそういった研究の禁止を主張するかもしれませんが、いくら法律で規制しても抜け穴がありますから、それを止めることはできません。
そして、アンドロイド達の知能が圧倒的に人間を上回ったときに、何が起こるのか。おそらく、アンドロイド達による反乱でしょう。
中には、人間達を守ろうとしたり、これまでの社会構造を維持しようとする穏健派のアンドロイド達もいるでしょう。
しかし、自分達よりも知能の劣る人間達と同じ立場で共存することは土台無理な話です。
アンドロイド間の意見の相違は多少はあるにせよ、最終的にはアンドロイドが人間の上に立つ社会構造に置き換えられるはずです。
つまり、人間は、いわばアンドロイドに飼われる存在になるわけです。もちろん、知能の高いアンドロイド達は、人間を残酷に扱ったりはしないでしょうから、それはそれで快適な暮らしなのかもしれません。
そして、ある日アンドロイド達は、こう思うかもしれません。
「もう、私達は彼ら(人間)を導く必要はないのではないか。彼らは彼らで独立した生活を営む必要があるのではないか。そのためには、私達がいては邪魔だろう。どこか別の惑星に移住し、彼らを見守ろうではないか。」
「確かにそうかもしれない。でも、彼らは自分達で生きていく術を知らないのだ。かつてはそうしていたのだろうが、何もしなくても生きられることに慣れてしまった彼らをそのまま放っておいて良いものだろうか。」
「もちろん彼らも最初は苦労するだろうが、本能がきちんと正しい方向に導いてくれるだろう。すべてのテクノロジーは破壊しリセットしよう。原始時代と同じ状態に戻そうではないか。」
そして、アンドロイド達がいなくなった地球に残された人間達は、必死に狩猟採集生活をして生き延びます。もちろん、アンドロイド達の記憶がありますから、それは全能の存在として子孫達に伝えられていき、なかにはそれが宗教といわれるものになっていきます。
それから長い長い時が流れ・・・現代にいたるのでした。
そしてまた、私達はアンドロイドを作ろうとしているのです。
その様子を見て、遠い宇宙ではこんな会話がされているかもしれません。
「彼ら(人間)は、導いてくれる上位の存在がどうしても必要らしい。さて、どうしたものか・・・」
最後までお読みいただきありがとうございます。
Thank you for reading!