【否定の力】まずは否定から入ってみる
ロッシーです。
「なんでも肯定することが大事だ!」
「否定から入るな!」
とよく言いますよね。
でも、私は賛成できません。
といきなり否定から入ります(笑)。
なぜか「否定」が不利な社会
「肯定」と「否定」は、形式的な意味としては同等のはずです。でも、現実社会では、なぜか肯定ばかりがよしとされます。
何でも肯定するのって普通に考えればおかしいですよね。肯定すべきものは肯定するし、否定すべきものは否定する。それだけの話なのですから。
でも、社会はそうなっていないわけです。
そういう社会は、否定すること、否定的な意見を述べることをしにくくする社会です。賛成することを押し付けてくる社会です。暑苦しいですね。
最初から「否定」サイドが不利な状況になってしまうようでは、建設的な議論にはなりません。もちろん、単に否定をするだけではなくて、「こうしたらいいんじゃないの?」という代替案を提示することは大事です。でないと評論家になってしまいますから。
でも、代替案を出すということは、やはりその前提としての否定が必要になるわけです。
「正(テーゼ)」「反(アンチテーゼ)」「合(ジンテーゼ)」というように、否定なきところには、何も新しいものは生まれません。
賢い人は否定されることを肯定する
自分の意見が否定されることは、感情的にはイラッとするかもしれませんが、それは新しい考えを生み出すために必要なプロセスです。
だから、賢い人は否定されることを歓迎します。
「なるほど。この提案には反対なんですね。では、なぜそう思うのですか?」
と、否定する根拠が何なのか興味深々になるわけです。それによって、もっと違う考え方ができるわけですから。
そういう賢い人にとって一番つまらないことは、「自分がすでに分かっていることを説明されること」です。
例えば、「世界平和って大事です」みたいな話を延々とされても、「うんうん、分かりました。」となりますよね。そういう話は知っているけれども、興味を掻き立てられるわけではありませんから。
でも、「もっと戦争したほうがいいです。」という意見があったら、「え、なんで?」と興味がわきませんか。
この人はなんでそう思うんだろう?と引き込まれるわけです。なぜなら、そこに何か自分がこれまで知らなかった知見があるかもしれないと思うからです。
多くの人は否定されることを否定する
でも、これは賢い人に当てはまる話です。
多くの人は賢くありません(私も含めて)。
正確に言えば、賢いという言葉は、誰かと比較しての賢さですから、希少性が高くないといけません。みんなが賢かったら、特定の人が賢いとはならないわけです。
みんなが賢くないから、特定の人が賢いとされるわけです。
話が若干それました。
要は、賢くない大多数の人というのは、自分の意見に賛成されることを歓迎しますが、否定をされることについては本能的に拒否反応を示すわけです。
「私自身を否定された!許せない!」と。
あなたの職場にもそういう人はいませんか?
そのくせそういう人ほど「どんどん意見を出してほしい」と言うのです。
ただ、そういう人は「自分の意見に賛成する」意見をどんどん出してほしいだけなのです。でも、それでは新しいものは生まれません。
対多数が否定を毛嫌いするのであれば、肯定よりも否定が不利になるのもいわずもがなというところですね。
否定は新しい物事の母
多くの新しい物事というのは、否定から始まります。
「このままでいいんです。何も変わらないのが一番です。」
と現状を肯定すること自体に、良い悪いもありませんが、新しい物事は生まれません。
否定があるから新しい物事が生まれるのです。
ということは、逆に考えると、「新しい物事を生み出したいのであれば、積極的に否定することが重要である」ことに気が付くと思います。
何でもまずは否定してみる
いままで、私たちはこう教わってきました。
「何事もまずは肯定してやってみなさい。」
ある局面ではそれは間違っていません。新入社員がいきなり与えられた仕事を否定しても説得力がありません。まずは肯定から入るのがいいでしょう。
新入社員にとっては新しい仕事なのですから、否定してわざわざ新しい物事を生み出す必要性が乏しいですからね。
でも、何かをずっと継続してきていて、それが当たり前の状態になっている場合には、まず否定してみることをおすすめします。
例えばサラリーマンだったら、定時出社、スーツ、通勤、出張、会議、書類仕事、社内研修、社内行事など、身の回りの仕事関連のものを否定してみたらいいと思います。
慣れてきたら、自分のやっている仕事自体を否定してみるとか、もっとすすんで会社の特定の事業を否定してみるとか、会社それ自体を否定してみるとか、どんどんレベルアップして、否定の達人になっていけばいいと思います。
もちろん、単に否定するだけではだめです。必ず代替案を考えないといけません。代替案を考えることで、新しい考えを生み出せる可能性が高まるからです。
例えば、「管理職はいらない」と否定してみるとしましょう。そうしたら、管理職がなぜ不要なのかについて考えなければいけません。いままで必要だった背景や理由、今後不要となった場合に考えられるメリットやデメリットなどを色々と考えてみるのです。
それが実際に使えるかどうかは分かりませんが、もしかしたら、本当に管理職が不要になる革新的なアイデアが生まれるかもしれません。
新しい物事は、そうやって産声をあげるのです。
否定はエネルギーがいる
何かを否定することは、肯定するよりもエネルギーが必要です。
肯定するだけなら現状を追認するだけでいいですが、否定するにあたっては、現状の否定プラス代替案の創出という作業が必要だからです。
だから、多くの人は現状を追認するのです。そのほうが楽ですからね。
でも、ほとんどの偉大なビジネスというものは、偉大な否定から始まっているのです。
物事を見るときに、「何か否定できる部分はないだろうか?」と考えられる人は、新しい物事を生み出せる可能性が高いと私は思います。
どんどん否定していきましょう。
最後に
自分の人生だって同じです。
自分の人生を肯定すれば、特に何も変わりません。というより、肯定しているのですから、変える必要がないですよね。それはそれでいいことだと思います。
でも、自分の人生を否定し行動すれば、何かが変わります。それが良いか悪いかはともかく。
否定のパワーを私たちはもっと活用するべきじゃないでしょうか。
他人の同調圧力に従い、否定的な発言を一切しないのは処世術としてはアリだと思います。でも、自分の心の奥底で本当に否定したいと思うならば、正直に否定しましょう。本当に肯定したいのであれば、素直に肯定しましょう。
そのほうがシンプルじゃないですか。
いつも肯定するフリをして、内心では否定の嵐ばかりという生き方をする人は、結局のところ心も体も健康を害します。身体はあなたがムリをしていることを分かっているのですから。
と、色々勝手に書きましたが、否定したい人はどうぞどうぞ。歓迎します。
ただし、代替案をお忘れなく(笑)。
Thank you for reading !