【本の要約】『なぜ、あの人と話がかみ合わないのか』
ロッシーです。
『なぜ、あの人と話がかみ合わないのか』(著者:細谷功)を読みました。最近、細谷功さんの本ばかり読んでいますが、この本もとても面白かったです。
「いくら説明してもわかってもらえない」
「なんでこんな当たり前のことがわからないんだろう?」
そういう悩みは多いと思います。でも、伝わらないのは、相手の頭が悪いからでも、あなたの説明が下手なわけでもない、というのが本書の主張です。
対人関係の悩みの原因は、ほぼすべてがコミュニケーションに起因します。また、企業が採用で求めるのは「コミュニケーション能力が高い」人材です。
本書は、よくある薄っぺらいコミュニケーションスキルに関する本ではなく、コミュニケーションギャップが生まれる構造的な要因に目を向けたものです。ぜひ、実際に読んでみてほしいと思います。
以下、自分が重要だと思った部分を中心にざっくり要約していきます。
はじめに.コミュニケーションギャップが生まれる原因
コミュニケーションギャップには、以下3つの原因があります。
①人間は例外なく自分中心
私達は、往々にして他人も自分と同じものの考え方をしていて当然と思いこんでしまいます。しかし、私達は悲しいまでに、自分中心のものの見方しかできないのです。
②「伝わっている」という幻想
私達は、相手に「伝えた」「伝わっている」と思いこんでいます。
③「象の鼻としっぽ」を別々に見ている(同じ全体を見ていると思っているけれども、実はそれぞれ違う部分を見ている)
複数の人に目をつぶってもらい、一頭の巨大な象をなでてもらいます。すると、象の鼻を触った人と、しっぽを触った人では、それぞれ持つ印象が違います。つまり、私達は全員が同じものを認識したうえでコミュニケーションをしているのではなく、違うものを同じものだと(勝手に)認識しながらコミュニケーションをしてしまっているのです。
以下、3つの項目それぞれについてより詳細にみていきます。
1.人間は例外なく自分中心
人は「自分が他人よりも大変なこと」を探すことにつけては天才的です。実は他人より恵まれていることもたくさんあるのに、自分が苦労している項目だけに目が行ってしまうという思考回路をもっています。
こういった思考回路は、以下のようなケースで如実に表れます。
「お金を貸したほうはいつまでも覚えているが、借りたほうはすぐに忘れる」
「迷惑をかけたほうはすぐに忘れるが、かけられたほうは一生忘れない」
つまり、人間は基本的に「身勝手」にできているのです。どんなに客観的に判断しているつもりでも、自己評価が高くなってしまうのです。
そう考えると、他人の長所は10倍、自分の長所は10分の1くらいに考えることでちょうどよいのではないでしょうか。
2.「伝わっている」という幻想
「この前、メールで書きましたよね?」
「何度言ったら分かるんだ!」
これらは、いずれも自分の言ったことを相手が(しかも1回で)理解して当然という前提からくる発言です。
しかし、「自分の言っていることに相手が十分な関心を持っている」わけではなく、こちらが期待しているほど興味はもっていないものです。
また、多くの人は、自分が伝えたことはそのまま相手にも伝わっているという誤解を抱きがちです。ところが実際には「伝えたこと」と「伝わったこと」とのあいだにはとんでもない差があるのにもかかわらず、「伝わっている幻想」を持ってしまっているのです。
逆に、「自分はちゃんと人の話を聞いている」というのも幻想です。自分が理解したことは、相手が伝えたかったことである、というのは勘違いです。本当に相手が伝えたかったことは、自分が理解したことの何倍もの内容だった可能性があります。
伝えたいことは、伝わるまでに逓減していきます。もともと自分が思っていることが、だんだんと削られて行って相手に届くのです。
伝え手の頭の中にあること(100%)⇒ 伝え手が言葉で表現できていること(80%)⇒ 聞き手まで届いていること(60%)⇒ 聞き手が理解していること(40%)⇒ 聞き手が表現していること(20%)
よって、「伝わったほうが奇跡である」というぐらいに考えるのが妥当です。
コミュニケーションの目的は、聞き手の行動に対して何らかの目に見える変化を起こすことです。そう考えると、「伝わる」にもさまざまなレベルがあると考えられます。
うなずいている(レベル1)⇒ 「わかりました」と返事をする(レベル2)⇒ こちらの言ったことを繰り返せる(レベル3)⇒ こちらの言った意図を別の言葉で表現できる(レベル4)⇒ こちらの言った意図が行動で表現されている(レベル5)⇒ 変わった行動が習慣化されている(レベル6)
大抵の人は、レベル1かレベル2をもって勝手に「伝わった」と解釈し、相手の行動が変わらないのを発見して「ちゃんと言ったでしょ!?」と怒っているのです。
3.「象の鼻としっぽ」を別々に見ている
「象の鼻としっぽ」のたとえ話で分かるように、対象物はひとつ(象)なのに、見ている側の「立ち位置」と「フィルター」によって、まったく違うもの(象の鼻、象のしっぽ)に見えてしまいます。
重要なことは、自分も相手も個人ごとに異なる「立ち位置」と「フィルター」を持ってものごとを見ている、と強く意識することなのです。
4.「お互いに一部分しか見ていない」ことによるギャップ
水が半分入ったコップを見たときに、「半分しか入っていない」と思うAさんと、「半分も入っている」と思うBさんがいます。Aさんは、コップの「上半分」だけのフィルターをもっていて、Bさんは、「下半分」だけのフィルターを持っているからこのような見方になるのです。
ここでの問題は、見ている本人は「部分的にしか見ていない」ということに気づいていないため、「見えている部分が世界のすべて」となっていることです。
この構図は、「悲観主義者」と「楽観主義者」、「理想主義者」と「現実主義者」などに見られます。どちらも「一部しか見ていない」のです。
およそものごとの性質というのは、相対する二面があります。「同じ象」でも光の当て方によって、光の部分と影の部分ができるということです。
5.意見の対立はなぜ起こるのか
「象のどこを見ているか」を「切り分ける」ことで、意見の対立のように見えたものが、「象の鼻としっぽ」であったことが分かります。
例えば、人事評価について、しばしば次のような議論がなされます。
Aさん:「営業担当者の評価は、公平性を考えたら全部数字にすべき。客観的に比べられるのは数字だけ。売上金額をそのまま使えば一番公平だ。」
Bさん:「いや、それだとかえって不公平になる。もともと恵まれたエリアの担当者もいれば、そうじゃない人もいる。きちんと努力したかどうかを公平に評価できる仕組みにしないと。」
AさんとBさんは、人事の公平性について、それぞれが違う側面を見て話していることに双方とも気が付かずに、良い・悪いという議論をしています。「結果の公平性」なのか「機会の公平感」なのか、「切り分けて」議論をする必要があります。つまり、いま議論していることが「象の鼻」なのか「象のしっぽ」なのかを区別して考えましょうということです。
例えば、ビジネスでよく言われる教訓についても同様です。
・「仕事を選ぶな」 vs 「仕事は選ぶべき」
・「まず、できますと言え」 vs 「できないものはできないと言え」
・「寝食忘れて働け」 vs 「ワークライフバランスを考えるべき」
個人でも会社でも、「成長期」と「成熟期」があります。そのように状況によって「切り分けて」いくと、
成長期:仕事を選ばない、まず「できます」と言う、寝食を忘れて働く
成熟期:仕事を選ぶ、できないものはできないと言う、ワークライフバランス優先
と考えるほうが適切でしょう。つまり、「どっちが正しいか」ではなく、「状況によって異なる」ということです。成長期にある人間が、成熟期に適した成功体験を記した本を鵜呑みにしてしまうのは危険です。
6.コミュニケーションギャップをつねに「認識」しておくために
コミュニケーションギャップの3つの原因は、「なくすもの」ではなくて「意識するもの」です。これらは人間の本質的なところに基づいているため消滅させることは不可能ですが、ギャップの存在を明確に認識し、ふだんから意識して行動するのとしないのとでは大きな違いです。ギャップをコントロールできなければストレスを感じますし、コントロール可能なものとしてうまく付き合えば、ストレスが和らぐはずです。
①人間は例外なく自分中心 ⇒ 自分中心と思っている人は、現実にはその100倍ほどは自分中心だと思うぐらいでちょうどいい
②「伝わっている」という幻想 ⇒ 相手を「じゃがいも」だと思うぐらいでちょうどいい。要は、「相手は人間の言葉やしぐさを一切理解できない」くらいに考えてコミュニケーションをとるのがよいということです。これは、相手をばかにするためではなく、あくまでも自分の思い込みを認識するためのものだと思ってください。
「この前いったじゃないですか!」と「じゃがいも」に起こるのは滑稽な構図ですし、「あの人に私の気持ちなんて分からない」というのも当然です。相手は「じゃがいも」なのですから。
③「象の鼻としっぽ」を別々に見ている ⇒ これも解消すべきものではなく、「構図を認識する」ということが重要です。確かに解決にはなりませんが、問題を認識するたけでも、それがある意味での解決になるのです。コミュニケーションギャップは、同じ土俵の上で起きているのではなく、土俵そのものが違っていることに起因しています。
言い方を換えると、片方はサッカーをしていると思っているのに、もう片方は野球をしているといった状態です。サッカーをしていると思っている人は、「なんで手をつかうんだ」と憤慨し、野球をやっていると思っている人は、「グローブぐらいもってこい!」と相手を非常識だと思ってしまう・・・そんなイメージです。
そのような状態で、相手にサッカー(野球)のルールを教えようとしたり、サッカー(野球)の腕を磨いてもコミュニケーションギャップは改善しません。「そもそも同じスポーツをやっているのか?」という疑問を発することが重要です。
7.コミュニケーションとは「偉大なるムダ」である
コミュニケーションとは、自分にとっては当たり前であったり、意味のないことに時間と労力を費やし、相手とのギャップを埋めていく作業といえるでしょう。
「時候の挨拶」や「暑いですね」といった天気の話は、相手にとっても当たり前の価値のない話ということになるでしょう。それが何のために必要なのかかといえば、「ギャップを埋める」ための潤滑油として存在するわけです。
そのようにして、あらゆる手段を使って伝わるための努力をすることは、自分にとっては「ムダ」の最たるものです。したがって、「効率性を重視する」姿勢は、コミュニケーションにおいては非常にリスクが高くなります。
会社では、不況時などにやりだまにあがるのが「ムダな会議」です。そして景気が回復してくると今度は「部門間のコミュニケーションが悪い」という理由でなんだかんだと名目を作って会議がやたらと増えてくるという構図があり、「効率重視」と「コミュニケーション重視」という両極端の考えが振り子のように行ったり来たりします。
そう考えると、コミュニケーションギャップ解消の秘訣のひとつは、「冗長性」ということでしょうか。
最後に
要約は以上です。
本書で作者が述べているように、結局は「気づき」がすべてだと思います。
自分中心であること、伝わっていると思い込んでいること、象の一部だけしか見えていないこと・・・これらは自分で気が付かないと認識しようがありません。
人から指摘をされても、それをそのまま受け入れられるほど私達は素直ではありません。自分を取り囲む「壁」は、どんな巨人でも侵入できないほど思いのほか強固なのです。そして、多くの人はその壁があること自体に気が付きません。
「ホントあいつ自分のことしか考えてね~な。」
と言っているあなたはの後ろで、「あの人(あなたのこと)ホント自己中だよね~」と言われている可能性について気付けるかどうかだと思います。
でも、大抵の人はそんな面倒なことをするよりも、知的負荷の低いほうに流れてしまいます。そのほうが楽ですからね。ひたすら自分の言いたいことばかりを言って、他人の意見を受け付けない人などはその典型なのでしょう。そういう人はある意味幸せなのかもしれませんが、私はそういう人にはなりたくありません。
皆さんには、この記事の内容が伝わっていないんだろうなと思いつつ、終わりとしたいと思います。
Thank you for reading !