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なぜ ソロキャンプに行くのか

なぜ、キャンプに行きたい、と思うんだろう?

それも、みんなと行くのではなく、あえて一人でキャンプにいくという選択をする理由はどこに?

わたし自身、ソロキャンプがすきだけれど、ソロキャンプの何に、自分は魅力を感じているのだろう?


雑誌やYouTubeでも、おしゃれで楽しげなソロキャンプの魅力が盛んに発信されているけれど、そういうのを求めたい人は、たぶん実際は続かないんじゃないかという気がします。
だって、ソロキャンは本来、地味不便面倒で、かつ孤独なものだから。


便利なハイテクから離れて、時短の真逆をいくやり方で、自然のなか・・・まぁ要するに人が全然いない場所で、ひとり淡々と、生きるためのことを、する。

「そ れ こ そ 、ソロキャンプ の  魅 力!」

・・・ということになるわけですが、、今回のnoteでは、もう少しそのへんを、ちゃんと言葉にしてみようと思います。

■「キャンプに行ってよかった」の実感

ときどきキャンプに行くと、やっぱり「大切なものを得られた」とか「来てよかった」と実感することがあります。これ、なぜだろう…?

少し具体的に、その中身を考えてみると・・・

感性が研ぎ澄まされ、五感で感じるものに、しっかり実感がともなう

ふと、アイデアを思いついたり、新しい視点に気がついたりする瞬間が、何度もある

一歩引いたところから自分自身を見つめ直すことができ、気持ちをリセットできる

といった感覚が、充実感につながっているのかな。きっと。

どうも、キャンプには、五感を活性化して、脳みその働きを生き生きとしてくれる作業があるように思えてきます。

周りにある自然のおかげか、あるいはそこで行う、地味で地道な作業の影響か。 少なくとも「自然と向かい合って無心になる」というのは、「(例えば情報社会の波に飲まれて)、感性が鈍って、なにも感じたり考えたりしなくなる」というのとは、かなり違うもののはず。

 *   *

もし便利な自動調理器を使ったら、そりゃ凝った料理を手軽につくることもできますよ。
けれど、薪とかシングルバーナーとかで、素朴かつワイルドな、簡単キャンプ飯は、それこそキャンプに欠かせない醍醐味。これは譲れない!

じゃあ、かんたんキャンプ飯の「不便で、凝っていない」のが良い!って思ってしまうのは、なぜなんでしょう?

自分なりに思いついた答え、というかキーワードは、「手応え」「隙間」
シンプルで、単純なものだからこそ、そういう感覚が得られるんじゃないかなぁ。この部分、さらに掘り下げてみます。

■手応え と 隙間

・「手応え」 は 与えてもらうもの ではなく、取りに行くもの

キャンプ飯の例で、ひきつづき考えてみます。

料理をするには不便な環境で、限られた道具や食材でやりくりをするキャンプ飯。
シンプルな分、「自分で理解できる」とか「自分なりに工夫をできる」部分が多いと思うんです。例えば、

米の炊き具合は、水が多すぎたらシャビシャビになるし、火から降ろすのが遅れれば焦げた部分が多くなってしまう。

とか

メスティン1つで料理が完結できるように、パスタはスープパスタにする、とか具材は冷蔵庫なしでも大丈夫なモノ、皮などの生ゴミも出ないモノに限定して、持ち運びや後片付けにも都合が良いようにする

など。

自分で考えれば、なにが起こっているのか一応理解できるし、自分のアイデア次第で、より良い形も目指していけます。最新の精密機器だと、自分じゃとても仕組みが理解できない分、きほん道具任せにするしかありません。


そのあたりが、たぶん手応えにつながっているんですね。

つまり、受け身じゃなく、じぶんから主体的に考え、知らないことも試してみて、また考え、良いやりかたを探していく。自分の頭で考えて自分の手を動かしたぶんだけ、その結果にも感情が乗ってくる。

ちっちゃい子が、なんでもかんでも自分でやりたがるのと、きっとおんなじですね。
オトナだって自分でやってみたいし、自分ができたことは、誇らしく、嬉しい。


・必要な 隙 間 〈 ス キ マ 〉

もう一つ、隙だらけの時間も、とっても大事な要素です。

ソロキャンでは、夕飯を済ませたあとの時間が、ゴールデンタイム。
飾らない(^^)キャンプ飯で、大いに自分なりに頑張ったあと、ひたすら静かでシンプルな、そしてゼイタクな夜の時間を迎えます。

キャンプ飯の心地よい余韻に浸りながら、ただ、焚き火を見つめているだけ。

隙間だらけの時間だけど、でもとても充実した、とっておきの大切な時間でもあります。

スキマになにを詰め込むかっていうのは、その人の自由。
この自由なところが、やっぱり大事なんでしょうね。

つまり、周りから強制されたり、考えるすきを与えられないほど情報を与えられたりしちゃうと、自分で考えて自分で選択する、ということができなくなる。
その、自分でえらぶ自由度を取り戻すのに必要だったのが、 ス キ マ 
の存在だったというわけですね。

キャンプは、隙だらけの贅沢な時間が醍醐味の一つ。
だからこそ、たぶん心も自分らしく力を発揮できて、新鮮な感じ方や斬新なアイデアも、遠慮なく出てきてくれるように、なるわけです。

あ、そうそう、文章だって、 す き ま があると、そこに書かれている言葉が、空白部分によってハイライトされる。そういうのとも、ちょっと似てるかも。
色や太さなどで、強制的に注目させられるのではなくて、隙間の中にあるものがなんだか気になって、自然とそこに意識が集中する、というのが大事なんだろうな。

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<ちょっと寄り道>

自分らしさをもたらしてくれるもの(類似例)

自分ごととして、自分らしく感じたり思いつたりできるときって、自然と前向きに考えることができる時、でもあります。

だから、日頃の悩みとか行き詰まりとかも、そこから目を背ける、とかではなくて正面から素直に向かい合い、新しい視点に気づいたり、すっきりと現実を受け入れたりできることにも、つながってきます。

こういう、静かな充実感につながるソロキャンプの魅力は、独特なようで、別のものでも似たような感覚をもたらしてくれるものが、あるような気がします。

 星空 / 海 / 一人旅 / 動物 / 筋トレ

《星空》
真っ暗な中に、大きさもわからないほど小さな光の粒が、あちらこちらに。夜空のキャンバスに描かれる光景はとてもシンプル。

そんな、想像もつかないほどはるか遠くの、星の世界に思いを馳せると、だんだん自分自身の内面、奥深いところにある感情が顕になってくる。

そう、ここは果てしなく遠くて近い場所。

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《 海 》
ただ、水の平原が広がる景色。なにもない広さが、なんだか不思議な安心感をもたらしてくれる。
何も考えずに海と向かい合っていると、だんだん海面の波に、色んな表情を感じるようになってくる。大気の動きや、船が起こした波、さらには月の引力など、たくさんの要素が複雑に絡み合って、それが全て合わさったものが目の前の波となり、淡々としたリズムで波音を響かせる。

シンプル・単調な景色光景が、だんだん主観的で感情的な光景へと変わっていく。

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《一人旅》
バックパッカーで、中国や東南アジアの田舎を回っていた頃、自分が日々向かい合っていた課題は、ただ「ちゃんと食事を確保すること」と、「快適な寝場所を確保すること」だった。

その日1日を、心地よく生きるために、頑張って考え、探し、やっと安心できる場所や食べ物が見つかると、少しホッとする。

それ以上は・・・求めなくても、既に得られていた。
つまり、それなりに清潔な場所で寝起きし、空腹もある程度満たされれば、身の回りの世界は、それだけでとても魅力的なものに感じられた。
そこに吹いている風は心地よく、そこで暮らす人たちはとても魅力的で輝いて見えた。

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《動物》
彼らはきっと、人間たちよりも、一生懸命に命を生きることに全力を注いでいる。目の前の人間がどう思おうか、それに忖度などはせず、ただ自分の使命に沿って、懸命に。
そういった動物たちの、素朴な心に触れるとき、自分自身も生きているということ、この世にいるんだということを、実感する。

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《筋トレ・ストレッチ》
筋トレで、体の各部位に負荷をかけるとき、そしてまたトレーニング後にクールダウンをするとき、呼吸を整えて自分の体に意識を集中する。ひと動作ずつ、ゆっくりと。
マインドフルネス瞑想にも通じるこの動作は、自分自身の体の内面と向かい合い、内なる感覚に耳を澄ませることに、とても役立つ。

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ソロキャンプの話が、なんだかだいぶ話が広がってきてしまったけれど…その心は至ってシンプルで一貫している、つもりです^^:

キャンプを始めとして、シンプル・純粋なものは、主体的に考えたり、自分自身と向き合ったりするヒントを大いにもたらしてくれます。

そういう感覚は、思い出すたびに、やっぱり大切なものだよな、と実感します。

■地味・不便・面倒・孤独

ソロキャンは本来、地味で不便で面倒で、かつ孤独なもの。

 地味 だって、そのまま自然体で受け止めればいい。

不便 で 面倒 なら、自分なりに工夫した分が、まるごと自分の手応えになる。

 孤独 なら、その体験を、丸ごと独り占めしてしまおう。


だから、ソロキャンプってやっぱりいいな、って。そう思います。



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