【書評】サマセット・モーム『人間の絆』を読む。人は、人生という無意味な牢獄で幸福に生きられるのか?
ロッシーです。
サマセット・モームの『人間の絆』を読み終わりました。
いや~読後感が凄いです。名作と言われていますが、本当にその通りだと思いました。
人生とは何なのか、生きる意味とは何かについて、主人公フィリップの人生を通じて考えずにはいられませんでした。
※以下、ネタバレ注意
この作品の大きなテーマは、タイトルどおりだと思います。
私が読んだ新潮文庫版のタイトルは『人間の絆』ですが、光文社古典新訳文庫では、『人間のしがらみ』になっています。
この作品の内容からすると、「絆」という良い意味を含む語よりも、「しがらみ」のほうが適しているのかもしれませんが、
しかし、「しがらみ」という言葉も、煩わしい人間関係に限定された意味が強いので、まだ片手落ち感が否めません。
原題は、"Of Human Bongage" ですから、Bondage をどう訳すかがポイントですが、なかなかこれだ!という日本語訳は難しいように思います。
ちなみにのBondageの意味は、以下のとおりです。
この作品では、まさに主人公フィリップをとりまくbondageについて描かれています。
生まれつき不自由な片足という運命の束縛、ミルドレッドという悪女へのとりこ、奴隷状態のような労働者への転落・・・
そして、壮大な理想や夢、芸術への囚われ・・・。
フィリップは、そのようなものに飛び込み、巻き込まれ、幾多の苦難を経験します。ときには、フィリップ自身が、自分と関わりを持つ人達を、苦しめることもあります。
いずれにしても、フィリップも、彼を取り巻く人達も、人生を取り巻くbondage的なものから逃れることはできません。
そのあたりが、非常にうまく描かれています。
特に、フィリップが愛した女性であるミルドレッドとの関係は、作品全体のうち多くを占めて描かれているのですが、本当にこんな嫌な女いるのか?というくらい描き方が秀逸です。読んでいて、「おいおい、フィリップなんでそこまでしてあげるんだよ!ほっとけよそんなク〇女!」と私は何度思ったことか(笑)。
この作品はサマセット・モームの自伝的小説ですから、これがモームの実体験に基づくものだったとすれば、本当にトラウマになるほどの女性関係を経験されたのだと想像します。ただ、それをこのような素晴らしい小説に昇華してしまうのですから、さすがだなぁと思います。
とにかく、そうやって色んな経験をして生きていく中で、フィリップは「人生は無意味だ」という思いを強くします。
人生は無意味だと思うことで、フィリップは逆説的にある種の開放感を抱きます。
おそらく、彼は本当に人生が無意味だと悟ったのではなく、自分の人生を開放するために、便宜的に人生が無意味だと結論づけたような気がします。本当に人生が無意味だという考えに、誰も耐えられないと思いますから。
そのようにしてフィリップは、人生という重荷から解放されるのです。幸せになろうが、苦難を味わおうが、人生は無意味なのだからどちらでも同じことであり、それはそれで人生という模様のひとつなのだということです。
しかし、それはあくまでも「解放された気になっているだけ」であって、本当に開放されたわけではありません。
フィリップが、ミルドレッドの幻影から自由になれないことからもそれは分かります。
そのような囚われ状態から抜け出そうとしたのかどうかは分かりませんが、フィリップは、サリーという健全な女性と結ばれることを選択します。
この選択は、一見すると、どこにでもある平凡な幸せであり、数多くの人が送る無意味な人生のひとつでしょう。
しかし、フィリップはこう言います。
生まれ、仕事をして、結婚して子供を作って死ぬという人生であっても、それはそれでひとつの完璧な人生なのだとフィリップは考えます。
そして、彼はサリーとの幸福な生活を選び、物語は終わります。
これはこれで感動的なハッピーエンドだと思います。
しかし、人生においてbondage的なものから逃れることはできないのだとすれば、幸福な生活というのも、いっときのことなのかもしれません。
フィリップの性格からすると、家庭を持ち、子供をつくり育てていくうちに、かつての自由な旅への憧れ、つまり、結婚により諦めた世界中を巡る渇望が復活するような気がするからです。
そのとき、サリーとの幸福な生活は維持できるのでしょうか。フィリップはおとなしく幸福に屈服し続けることができるのでしょうか。
おそらく、生まれ、仕事をして、結婚して子供を作って死ぬという平凡な暮らしを、幸福だと自分が思い込もうとしていたことに気が付くのではないでしょうか。
そのあたりは分かりませんが、私はそのような続編を想像してしまいました。
「どんなにもがいても、人間はbondage的なものからは逃れられない。それが人生という檻なのだ。」
サマセット・モームが言いたかったことがそれなのかどうかは分かりません。
でも、タイトルにこめたのは、そのような想いだったのではないかと勝手に想像するのです。
私達も、若い頃は色々な理想や憧れを抱いて人生を送ります。
しかし、年を重ねるにつれて、現実というものに多くの人は囚われていきます。そして、多くの人は、仕事をして、結婚し、子供を作り、死んでいきます。
そのような平凡な人生は、幸福なのでしょうか。
皆がそうしているから安心=幸福だと思い込みたいだけなのかもしれません。
追い求めていた何かを諦めた自分を正当化するために、幸福という幻想ににすがっているだけなのかもしれません。
そういうことを考えると、モームの『月と六ペンス』のストリックランドは、普通の幸福を求める生き方とは対極的であることが分かります。
だからこそ、おそらく人々は『月と六ペンス』に魅かれるのでしょう。ストリックランドのような生き方をする人は稀だからです。
ちなみに、『人間の絆』に、おそらくストリックランドだろう、と思われる人物の描写が出てきます。
その意味では、二つの作品は兄弟のようなものなのかもしれません。
皆さんもぜひ、『人間の絆』を読んでみてください。圧倒的な読後感に浸れると思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
Thank you for reading!